三十五話 初めてだから、緊張するわ

 私は今、王都にあるレムリア王国最大の劇場へと足を運んでいた。

 なぜなら、今日は兼ねてより予定されていた演奏会が開かれるからだ。まさか演者としてここに訪れるとは、夢にも思わなかったけれど。

 この劇場は石造りの大きな建築物で、様々な彫像が屋根に飾られている。壁からは豪華なタペストリーが垂れ下がり、多彩な植木が華やぐ。

 本来なら、一昨日の出来事で出場権を剥奪されていたはず。でも、ジュリアン様がそれを認めなかった。

 本当にアンスリアが破損させたという証明ができないのなら、安易に裁く事は許さない。そう仰って。


「ごめんね、僕の我が儘に付き合わせてしまって。やり難いかもしれないけど、僕も近くで応援してるから」


 そう私を気遣ってくれるのは、隣のソファに座るジュリアン様。

 ここは劇場ホールの二階中央にある特別席ロイヤルボックス壇上ステージを余す事無く一望でき、隔てられた空間が落ち着いて観賞させてくれる。

 そんな個室のような場所で、私とジュリアン様は二人きりだった。


「いえ、そんな。私の方こそ、お手間を取らせてしまって……」


「いや、良いんだよ。だって、僕はまだ疑っているからね。本当に君が、そんな事をするのか」


「……。」


 私は、一昨日の出来事をジュリアン様に話した。私がジェニファーさんのバイオリンを壊した、という嘘を。

 どうしてわざわざジュリアン様に話したのか。そんなもの、言わなくてもわかるでしょう。

 同じ学園に通っているのだから、隠したところですぐに彼の耳に入ってしまうもの。

 きっと今のジュリアン様なら、私が真実を話せば迷わず信じてくれると思う。あの夏の日のように。

 でも、私にはそれができない理由がある。頼ってはいけない理由がある。

 それはジュリアン様に、ずっと嘘を吐いているから。私はまだ、過去の貴方様を引き摺っているのだから。


「アンスリア、そろそろアメリナの出番だよ」


「ええ、そうですね」


 そして、アメリナの演奏が始まった。

 あんなに自信が無さそうだったけれど、まるで嘘のような落ち着きようで安心したわ。

 遠くの特別ボックス席で観賞しているレオニード公爵とシャルロット夫人もまた、大層上機嫌で聞き惚れているわね。

 私の演奏でも、あんな笑顔を見せてくれるのだろうか。

 本当ならメアもこの場にいたのに。きっと誰よりも、私の演奏を笑顔で聞いてくれていたのに。


 ━劇場・舞台裏━


 一学年の演奏が終わり、幕が下りた頃。

 ようやく二学年の出番がやって来ていた。つまりは私の出番。二年生をやり直して一一回。今思えば、演奏会に出演するのは初めてだ。

 そう思った瞬間、極度の緊張が私を襲う。


「アンスリア様、私との二重奏デュオ、宜しくお願い致しますわ」


「ええ、こちらこそ」


 微笑むルールカさんは、バイオリンを抱き締めながら握手を求める。

 でもその笑顔は、どこかぎこちがない。それに何だか、いつもと雰囲気が違って見えた。


『ご来場の皆様、大変お待たせ致しました。続いての演奏は、二年生、特進クラスの演奏です』


 舞台裏まで響く館内放送アナウンス

 特進クラスという事は、私とルールカさんの出番が来たんだ。

 貴族や特待生だけを集めた私の教室。それが特進クラス。二学年の中で最も期待を集められるだけに、流石の私でさえ緊張が増すわね。


「それではアンスリア様、参りましょう」


「ええ」


 私達は上品に奏でられる拍手の中、壇上ステージへと上がった。

 薄暗い劇場ホールの中で、眩い程の照明が私達を照らす。何千人もの人達が、私達に注目する。下からも、上からも、右も左も。


 バイオリンを肩に乗せ、指でそっと弓を掴む私達。

 少しだけ顔を横に向け、互いに視線を送る。先程とは違い、ルールカさんの表情が柔らかい。本当に、私とここに立ちたかったのね。


 そして、ベラドンナ先生による伴奏が始まった。

 ルールカさんが流れるように弓を運び、旋律へ乗り出していく。

 続けて私も弓を運び、掛け合うように反響エコーさせる。

 最初の運弓法ボーイングはデタシェ。弓を返す時も音量を変えず、速度も均一に。

 決して傲らず、緑豊かな道を優雅に歩くように。


 少しずつ速度テンポの上がる伴奏に合わせ、私達も奏法マルテラートへと変えていく。音と音をはっきりと響かせ、主人公の楽しいという気持ちを、心踊る感情を音で表現させて。


 不思議とルールカさんと目を合わせ、小さく微笑む。彼女はずっと、私の旋律に合わせて練習していた。私もずっと、ルールカさんの刻む旋律を聞いていた。初めての二重奏デュオでも、互いを意識していたからこそ、こうして一体となれたのね。


 あっという間に向かえたこの楽曲の最後。奏法はビブラート。

 震えるように音色を揺らし、登場人物達の悲壮感を思わせて。

 そう。この曲の主題テーマは大切な人との別れ。それを音楽で例えた悲しい物語だった。


 旋律が消え、バイオリンを置く私達。スカートに手を添えて、静かにお辞儀をする。

 途端に鳴り響くのは、劇場の外にも轟くほどの拍手だった。皆が席を立ち、賛辞という旋律を奏でる。

 幕が下り、私達の姿が見えなくなっても。


「アンスリア様、本当に、ありがとうございました」


 舞台裏に戻ると、感極まったルールカさんがそう言う。


「私の方こそ、ありがとう。こんなに音楽が楽しく思えたのは、産まれて初めてだわ」


 それは私の本心だった。純粋に楽しかったんだ。


「それじゃあ、私は席に戻るから。また学校で会いましょう」


「……はい」


 別れ際のルールカさんは、少し寂しげだった。遠目に映る彼女は、きっと何かを隠している。そう感じた。


 ━ヴェロニカ邸・正門━


 演奏会を無事に終えた私は、ジュリアン様に屋敷まで送り届けてもらっていた。

 ご多忙な身でありながら私を気遣ってくれるだなんて、本当にお優しい御方。


「ジュリアン様、本日は誠にありがとうございました。それに、送迎までして戴いて」


「ううん、良いんだよ。少しでも長く、君と居たかっただけだから」


 相変わらず恥ずかしい事をさらりと言うジュリアン様。その度に、心が痛む。

 もしも一一回目これが最初の人生だったなら、もっと貴方様に寄り添えたのかもしれない。

 この異世界に生きる貴族として、貴方様との婚約を受け入れられていたのかもしれない。

 でも、今はまだ……。

 次第に私を見放していく、冷徹な貴方様の記憶姿が消えないの。いつかまた、そうなるのではないか。

 そんな恐怖が、優しくされる度に、甦るから。


「あっ、一つ言い忘れていたんだけどね」


「えっ? あっ、はい。何でしょうか」


「来週から、学園内ではバーナードが君に付き添ってくれるらしいよ。僕の代わりに、君の無実を証明する為にね」


「まぁ、そうなんですね」

 ……はい?


「そろそろ僕は帰るから、メアに宜しく言っておいて。それじゃ、また学園で」


「はい、お気を付けて」


 ……えー、嘘ぉ。バーナード様とずっと一緒だなんて、私どうしたら良いのよ。

 そんな過去は一度も無かったのに。

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