三十三話 久し振り、私の憩い
「ねえ、ジェニファーさん。相変わらず大好きな暴力を楽しんでいるみたいね。一方的に他者を貶めて、一体何が楽しいのかしら」
ルールカさんを虐げる生徒達の背中から、私はそう言った。
大丈夫。私の言葉にはまだ力がある。
その証拠に、数秒前までの狂喜は鳴り止み、群がっていた生徒達が道を開けていった。
これでもう、ジェニファーさんと私の間に遮るものはない。もう逃げられない。
「アンスリア様、今、何か仰いましたか? 私の聞き間違いに……決まっていますわよねぇ」
怪しく嘲笑うジェニファーさん。
何度も繰り返した過去、彼女に何度も虐げられた映像が脳裏を過る。
「ご満悦のところ残念だけど、聞き間違いなんかではないわ。それに、
大丈夫。レオニード公爵に比べれば、彼女にされる嫌がらせなんて子供の悪戯。大した事無いわ。
それに私はどうせ死ぬ。いくら未来を変えようとしても、それだけは変わらない。
「アンスリア様がこれをやった。今、そう仰いましたの?」
「ええ、そうよ」
躊躇いも無く、そう返す。
勿論私はバイオリンに触れてすらいない。ましてやルールカさんがやった訳はない。指紋鑑定なんかがあれば良いのにと、本当に思うわ。
でも、そんな都合の良い物は存在しない。
「そこの貴女、走り去るルールカさんを見たと言っていたけれど……それって、本当にルールカさんだったのかしら」
続けて私は、告発した生徒に向けてそう言う。
「えっ、えっと……」
「確か、その時刻は夕暮れ。秋の夕陽は赤いものね。ルールカさんの髪色みたいに」
今、あの生徒の中では記憶が改竄されているのだろう。
人は唆されやすい生き物。私の言葉一つで、段々とそう思ってしまう。
最早、これは誘導尋問ね。
「……銀髪、そうよ! あれはアンスリア様の銀髪が夕陽で赤く見えたんだわ! だから私が見たのは、アンスリア様です!」
……大変良くできました。間抜けな貴女。
「うっ、うぅ……酷い、酷いですわ! アンスリア様に憧れて同じバイオリンを手に入れましたのに。不快だったのなら、そう仰って頂けたら良かったのに!」
「……。」
大袈裟に泣き喚き、床に崩れるジェニファーさん。何て白々しいのだろうか。
ガチャ。キィ。
「皆さん、お早うございます。……誰も席に着かないで、どうかしたのですか?」
そこに現れたのは、私達の担任を勤めるクリストフ先生だった。
疚しさを隠すように、そそくさと生徒達が解散していく。
私にとって都合が良かったのか、または遅かったのか。
「……覚悟しなさい。アンスリア」
私を睨み付け、ジェニファーさんの口許がそう動く。
あのまま私が黙っていれば、この先も平穏だったのかもしれない。いいえ、そんな事は無いわね。遅かれ早かれ、私が虐げられる事象へと動かされるのだから。
どう足掻いても。
━昼休み━
私は今、庭園の中に佇む
メアにも告げずに。きっと今頃、私を捜しているのだろう。
「私なんか放って、ちゃんとお昼を食べてくれてれば良いのだけど……」
でも私は、メアには会えない。
今朝の出来事で私の立場は決定的なはず。だとすれば、間違いなく嫌がらせが始まる頃だ。メアを巻き込む訳にはいかない。心配させたくない。
だから私は、一人で居なければならない。
ガサッ。ガサッ。
ベンチに腰掛けたのも束の間、
自然と足が震え、見つめる私。
「あの……アンスリア様」
そこに現れたのは、ルールカさんだった。
本来なら石段の小道から来られるのに、何故あんな道なき道を来たのだろうか。
もしかしたら庇った私に礼を言う為に、急いでここへ来たのかもしれない。
違う。その事実を彼女が知る筈がないんだ。
それに少しの間とはいえ、濡れ衣を着せられたルールカさんも被害者。ならやっぱり、私に文句を言いに……。
「申し訳ございません! 本当は私なんです!」
「……え?」
ルールカさんが何を言っているのか、理解が追い付かない。
一体何を謝っているのか、想像も付かない。
「昨日の帰り、どうしても伝えたかったんです。演奏会を一緒に頑張りましょう、って……。私、アンスリア様と代表になれた事が、本当に嬉しくて」
「……そう」
「それで昇降口でアンスリア様を待っていたら、まだ教室に居るってお聞きしたんです。でも教室にも居らっしゃらなくて……」
この先は聞かなくてもわかる。
そう。そうなのね。ジェニファーさんの自演ではなかったんだ。
「偶然見かけたジェニファーさんのバイオリンを手に取ってしまって。でも! ちゃんと元に戻したんです! それなのに、私が教室を出る間際、大きな音がして、あのバイオリンが床に落ちていたんです。それで恐くなって……」
ルールカさんはただ、言い訳をしているだけなのかもしれない。嘘を吐いているのかもしれない。
本当は制服の裾に引っ掛かっていて、帰り様にバイオリンの位置がずれてしまったのかもしれない。
確信を持ってやったにしろ、本人の意思ではないにしろ、今ではどちらでも構わない。
確かなのは、私は、変わりゆく事象を自らの手で修復してしまったんだ。
「アンスリア様、あの時、確かに逃げたのは私です。でも、壊したのは本当に私ではありません! ……信じて……もらえませんか?」
「……。」
祈るように手を握り合わせ、私の前に跪くルールカさん。
ほんの数分前までは、ルールカさんを信じていた。彼女の泣き顔を見たくなくて、私が身代わりとなった。でも今は……。
もう、何処までが真実で何が虚空なのかわからない。
「……わかりました。やっぱり私、正直にお話して参ります。ジェニファーさんに」
憂いに満ちた表情で、ルールカさんは立ち上がった。
今にも倒れそうな覚束無い足取りで、
それは恐怖で決意が揺らいでいる証。笑って許される筈がないのだから。
「……そんな事しなくて良いわ。やめておきなさい」
呼び止めるように、そう言う私。
背中をびくりと震わせ、恐る恐る振り返るルールカさん。
「貴女は確か、辺境伯の出自だったわよね。ジェニファーさんの侯爵家とはほぼ対等。それに比べて私は、ヴェロニカ公爵の長女よ。誰も手出しできる訳無いわ」
……本当は既に形無しだけど。
きっとジェニファーさんも噂は聞いているはず。だから私に対して強気だったんだわ。
「でも、もしアンスリア様に何かあったら……私……」
まるで
もしこの世界がゲームなら、確実に彼女が主人公ね。いいえ、アメリナと良い勝負かしら。
「うじうじするのはそこまでよ。貴女も貴族の娘なら、しっかり胸を張りなさい」
「は、はい!」
……それに引き換え私は、何とも可愛げの無い事か。
でも、これで良かったんだ。
そうでしょ? イライザさん。
━逢魔時・帰路━
光射す昼と静寂の夜が移り変わる頃、私はヴェロニカ家の馬車に乗っていた。
「あーあ、お腹空いたなぁ。お嬢様の身支度で忙しかったから、朝から何も食べてないもんなぁ」
「ご、ごめんなさい。今度からちゃんと言うから」
昼食を反故にされたメアの愚痴を聞かされながら、馬車は帰りの道を行く。王都を抜け、森の中を抜けて。
結局この日は、何の嫌がらせもされる事は無かった。ジェニファーさんだけではない。不気味な程、他の生徒達も静かに学園生活を送っていた。
それでも木々の隙間から見える景色は、どんよりと歪んで見えていた。不吉な赤い月と共に。
ガタガタ。ガタ、ガタ。……ガタ。
そんな中、突然馬車が速度を落とし、停車した。
窓越しから見えるのは、変わらず森の木々達。
「あれ? 何で停まったんですかね。まだお屋敷には着いていないのに」
そう疑問を抱きながら、メアは御者席の窓を開けた。
でも、そこには誰も居なかった。御者の役目を担うマーカスでさえも。
「あっ、もしかしてマーカスさん、
違う。そうじゃない。
次第に大きく脈打つ私の心臓が、そう警告している。
始まったんだ。
変える事の出来ない、事象が。
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