三十二話 虐めって、何が楽しいの?

 翌朝、私はアメリナと馬車を共にしていた。普段は別々の馬車で学園へ向かうのだけれど、毎度この日は一緒に登校している。

 世間では至って普通の平日。私にとっては平穏との決別の日。

 以前の私なら、こんな憂鬱な日にアメリナと一緒だなんて嫌だったはず。でも今は、アメリナが隣に居てくれて良かった。そう思える。


「アンスリアお姉様、私初めて人前で演奏するんですけど、上手くできるか不安なんです。やっとお姉様と同じ舞台に立てるのに」


 いつに無く弱気なアメリナ。努力を重ねたのが実を結び、演奏会の代表になれたらしい。

 ただ、演奏会で同じ舞台に立てると言っても、決して私達が合奏する訳ではない。

 単に同じ日、同じ場所で演奏するだけの話。それでもアメリナは休日も惜しまず練習していたのだから、何て愛おしいのだろう。


「誰でも同じよ。みんな最初は不安だわ。だからこう考えなさい。これは本番ではなく、緊張に慣れる為の練習、特訓なんだ。良いわね?」


「はい! お姉様!」


 ━レムリア学園・廊下━


 教室へ向かう途中、廊下を渡る私に視線が送られていた。その疎らに刺さる視線、それは次第に広がってきている私の噂が理由に違いない。

 本当は公爵の血筋ではない。家では雑務をしている。だから性根が腐って虐めに走る。憂さ晴らしの為に。


「……はぁ」


 思わず溢れる溜め息。

 噂が真実ではないにしろ、事実も同じくらい無情だ。私が皆に訂正しないのは、恐らくそれが原因なのだろう。


「アンスリアお嬢様、お忘れ物ですよ」


 そう言って何かを手渡すのは、リヒトだった。その何かとは……。


「リヒト、この時間は校舎内の立ち入りは禁止よ。それに手巾ハンカチなら持っているわ」


 そう。それは小さな一枚の手巾ハンカチ


「いいえ、お嬢様は忘れておりますよ。大切な、友人との約束を」


 一体何の話なのか、私には皆目検討も付かなかった。リヒトに手渡されたその手巾ハンカチを見るまでは。


「……ありがとう」


「いえ、それではまた、後ほど」


 それは控え目な光沢を放ち、滑らかな肌触りのする手巾ハンカチだった。

 これはシルク素材。それに丁寧に縫われた刺繍まで施され、フリンジで飾られた上質な一品。

 間違いない。男爵令嬢である、イライザ・フレデリクさんが贈ってくれたものだわ。


「嫌われてると思っていたのに、どうして……」


 誤解が解ける事も無く、あれからもう約三か月が過ぎている。ジェニファーさん達の悪質な嫌がらせにより、イライザさんは今も尚、休学している。

 自分の領地に帰ってしまったのかと思ったけれど、もしかしたら復学してくれるのかもしれない。

 その時私は、何て声をかけるべきか。


「誰!? 私のバイオリンをこんなにしたのは誰ですの!?」


 途端に廊下へと響く女性の声。その声色だけでわかる。怒りと悲しみが入り交じっている事を。

 そうだ。忘れていた訳ではないけれど、あの声はやっぱりジェニファーさんだ。耳をつんざくような高い声で叫ぶ姿を、私は何度も見てきたのだから。


「私の穏やかな学園生活も、今日で終わりね」


 あともう少し。あともう少し歩けば教室だ。そして、そこで終わる。ジェニファーさんの取り巻きと共に、私に恨みを持つ者達が立ち上がるんだ。私が犯人だ、と。

 過去未来を知っている私ですら、ジェニファーさんの激昂ぶりが演技ではないと思ってしまうのだから。それに相手が悪役令嬢アンスリアともなれば、まず疑う者はいない。


「お早う。朝から騒がしいわね」


 白々しくもそう言う私。右手で後ろ髪を払い、堂々と席に座る。

 私の席の床には、夥しいほどの木片や金具が散乱していた。バイオリンの素材は様々な木材でできている。でも、私の持っているバイオリンには金細工が使われている。即ちジェニファーさんのバイオリンも同じという事。

 そう。この残骸は、やはりジェニファーさんの物だ。


「私、昨日見ました。大きな物音がした後、あの方が教室から駆け出していくところを」


 それは名も知らない女子生徒の告発だった。信憑性を高める為なのか、毎度尾ひれを付けて事実を大きく見せる。

 でも私が教室へ戻った事は真実だ。例え否定したところで嘘つき呼ばわりされるだけだ。


「まさか……な、何で貴女がこんな事するの!? だって私、貴女には何もしていないじゃない!」


 再び荒れるジェニファーさん。確かに直接的には何もされてはいないけれど。

 しかし、何か様子がおかしい。今までなら、すぐに私への野次が飛んでくるはず。それどころか皆の視線すら感じない。


 バァン!!


 沈黙を破るように鳴り響く強打音。反射的にびくりと背筋が凍り付く。恐らくは誰かが机を叩いたからだ。ジェニファーさんか、取り巻きか。

 私は、本当は恐かったんだ。皆に虐げられる事が。何度やり直しても、元の世界でも。


「ちょっと! いつまでシラを切るつもりなの!? さっさと立ちなさいよ!」


「ほら、早くジェニファーさんに謝りなさい! 少し爵位が高いからって良い気になってんじゃないわよ!」


 まるで野犬のように吠えるその声は、予想通り取り巻きのエイミーさんとカルメンさんだ。

 今まで私の肩書きを利用していた癖に、随分な言い様ね。


「さっさと立ちなさいよ! ルールカ・ミュア・バルモーデン!」


 ……え?

 思わず席を立ち、振り返る私。


「……何で、どういう事なの」


 その時私が見たものは、今までではあり得ない光景だった。

 生徒の皆がルールカさんを取り囲み、『謝れ』と叫ぶ。そして両腕を掴まれて無理矢理に跪かされる姿を、ジェニファーさんが見下ろしていた。


「ねえ、ルールカさん。もしや、このまま黙っていれば教師が来て助けてくれるとでも思っていますの? 何て姑息で卑怯なのかしら」


 怒りに震えるジェニファーさん。

 それでもルールカさんは沈黙を貫き、だらりと下を向いていた。

 あんなに穏やかで物静かなルールカさんが他人の物を壊す? 普通なら誰も相手にしないような戯言。それがたった一人の証言で真実と変わる。そして我こそが正義なのだと、平気で弱者を甚振る。悪を成敗しているのだと、次第に快感を覚える。

 あぁ、何て醜い。どの世界でも、人間とは醜い生き物だ。


「何とか言いなさいよ!」


 バシィン!!


 振りかぶられたジェニファーさんの平手が、ルールカさんの頬を殴る。

 エイミーさんも、カルメンさんも。

 共に学んできた生徒達までも、ルールカさんの髪を引き、紙屑を投げつける。


「うっ……ぐすっ……私では……ありません。やめて……ください」


 遂に溢れたその一言。大粒の涙を床に落とし、震えた声でルールカさんが言った。

 彼女が今までずっと黙っていたのは、本当は恐かったからなんだ。何が起きているのかわからず、思考が追い付かず。その証拠に、ルールカさんの肩がずっと震えていたのだから。


「はあ? やめる訳がありませんわ。貴女も私のバイオリンと同じように、滅茶苦茶にしてやるんだから」


 本当に吐き気がする。頭も痛い。

 また私は、目の前で苦しむ人を見殺しにするんだ。

 それでも頭の中に甦るのは、ルールカさんと過ごした記憶達。

 思い出すのは、書庫で二人きりの時。嬉しそうに微笑み、楽しそうに語るルールカさんの顔。

 私の旋律に合わせ、笑顔で合奏するルールカさんの姿。

 思い返せばそうだ。彼女は、ずっと私に声をかけようとしていた。試験の結果が出た時も、魔術の訓練の時も。遠くから私を見ていたのに。


「……でも、私には関係ないわ」


 そう言い聞かせ、惨状から顔を背ける私。

 その時、私の手には真っ白な手巾ハンカチが握られていた。無意識に手に取っていたのか、勝手に動いて私の手に収まったのか。


「……なんて、そんな訳ないか」


 そうだ。私はもう、見捨てたりはしない。

 臆病なばかりに、私は何度も後悔してきたのだから。


「ねえ、ジェニファーさん。残念だけど、壊したのは私よ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る