六話 うーん、誰だっけ?

 バシャッ! バシャッ! バシャッ!


「はぁ! はぁ! お願い、間に合って!」


 降りしきる雨の中、私は全速力で駆けていた。

 あまり食事をとらなかったのが災いしてしまったのか、体力が著しく乏しい。眩暈どころか吐き気までしてしまう。

 でも今は、そんな事どうでもいいわ。


 メアが学園を出てから三〇分は経っているはず。雨で足元が悪いから、そう遠くへは行ってないと思うんだけど。


「はぁ! はぁ! 街中を捜していては埒が明かないわ。なら、行き先はあそこしかないわね」


 王立レムリア学園があるのは王都の西側。そこからヴェロニカ邸までの最短ルートにある繁華街と言えば、北西の郊外にあるモリソンストリートだけだ。きっとそこでメアが命を落とすに違いない。なら、メアがモリソンストリートの大階段を通過する前に、引き留めればいい。


「はぁ……はぁ……良かった。間に合った」


 たどり着いた郊外の大階段。普段なら行き交う市民や旅人が後を絶たないのに、この大雨では疎らに通るだけだった。これならメアが通ればすぐに気がつくわね。

 スカートを膝から折り、上段に座る。傘なんて持っていないから全身がびしょびしょだ。だから階段の泥が付いたところで今更気にはしない。


「私とした事が、こんな大事な日を忘れてしまうだなんて……」


 そうだ。私がメアを遠ざけ過ぎてしまったからだ。

 この世界でただ一人、唯一私の誕生日を祝ってくれる人。私自身ですら忘れてしまうくらいなのに、メアは必ず祝ってくれていたんだ。そのメアが私から離されてしまえば、誕生日この日を意識する者はいない。


「……ごめんなさい。メア」


「えっ? 何がですか?」


「……!?」


 突然の出来事だった。

 雨音に遮られる事なく、鮮明に聞こえたメアの声。気がつかないうちに、私の隣にはメアが座っていた。

 しかも独り言を聞かれてしまっただなんて……。


「……お嬢様?」


「……あなた、傘はどうしたのよ」


「寄り道したお店に置いてきちゃいました……。あはははは」


「もう、本当にあなたは抜けてるわね」


 雨の中、傘もささずに階段に腰かける二人。通行人から発せられる好奇の目は、だんだんと羞恥の感情を芽生えさせてくる。端から見れば、さぞ不思議な光景なのだろう。

 そのお陰なのだけど、次第に冷静さを取り戻せたから良しとしよう。


「ほら、立ちなさい。風邪引く前に帰るわよ」


「えっ? でも……学校は?」


「そんなものどうでもいいのよ。お腹が空いて仕方がないの」


「……はい! お嬢様!」


 幾星霜もの間、私はメアを避け続けてきた。そのせいか、久々の彼女の笑顔が懐かしい。初めからこうしていれば良かったんだ。学園を抜け出して、メアの手を掴んでいれば……。


 ピカッ! ドドォォォン!!


「きゃっ!」


 でも、それも無駄な事。

 未来はやはり、変える事はできないんだ。


「……メア!」


 突然のまばゆい閃光と激しい轟音が、繋がれていた私とメアの手を引き離した。

 驚いた拍子で私の手を離し、足を滑らせたメアは、宙を舞うようにして階段から落ちていった。

 どれだけ手を伸ばしても、メアの手を掴めない。


 あぁ、やっぱり無駄だったんだ。何もかもが。


 バアァァン!!


 痛烈な衝突音が鳴り響いた瞬間、私は目を瞑ってしまった。


「……嘘よ。こんな事、ありえない。だって……今まで無かったじゃない」


 でも、わずかばかりの勇気を振り絞って開いた瞳には、信じがたい光景が広がっていた。


「あっぶねぇー。なんとかギリギリ間に合ったな」


 メアの後頭部が地面に着地する寸前、滑り込んで彼女を抱き止めていた一人の青年。腰を酷く打ち付けてしまったみたいだけど、メアもその人も……無事だった。


「おい、メア! 危うく死ぬとこだったじゃねえか! もっと気をつけろって、いつもそう言ってんだろ!」


「あははは……本当に死んだかと思った」


 へらへらと笑うメアに対し、まるで兄のように叱りつけるこの青年。私は、どこかで会った事がある。

 そうだ、さっきの……。


「そこのあなた。メアを助けてくれた事は感謝致しますが、自分の主を置いて居眠りしていた挙げ句、街中を徘徊しているとはどういう了見ですか?」


 そう。彼はレムリア学園の四阿ガゼボで寝ていた執事服の青年だ。

 それにしても、素直にお礼の一つすら言えないだなんて。私のこの傲慢な態度はどうにかならないのかしら。我ながらにそう思うわ。


「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません。俺はリヒト・アニエルと申します」


 どうやら本物の執事みたいね。

 左手を前に胸に添えて、右手を後ろに回すその仕草。頭を垂れる角度。確かな礼節を持っている。


「そう。自己紹介大変よくできました。それで、全然質問の答えになっていないのだけれど」


「あぁ、これは失礼。その件に関しては、すでに存じ上げているのかと思っていましたので。アンスリアお嬢様・・・


 彼は私の事を知っている。単に悪役令嬢として有名なのかもしれない。いいえ、そうだとしたらメアの事まで知っているはずがないわ。

 何よりも、私に対しての敬称がおかしい。彼は一体、誰の……。


「俺はヴェロニカ公爵家の次女、アメリナお嬢様の新任執事にございます。アンスリアお嬢様とも、毎朝お会いしておりますが?」


「えっ……そうだったかしら」


「……俺って、そんなに存在感薄かったのか」


 人差し指を顎に添え、思案を重ねる。青年の顔を見上げるように見つめ、記憶を呼び起こした。

 そうだ。確かに彼はいた。アメリナを正門で見送っていた使用人の中に。


「……なぜ、アメリナの執事がここにいるの?」


 次第に足が震え、声も震える。悪い想像が脳内を駆け巡り、不安が押し寄せる。


「あぁ、それはですね……」


「もう! 二人とも私の事を忘れてませんか!? 早く帰らないと、本当に風邪引きますよ!」


 話に割って入ってくるメアは、どうしてか少しだけ怒っているようにも見えた。

 きっと除け者にされていたみたいで寂しかったのね。私よりも一歳年上なのに、なんだか妹みたいだわ。

 妹……か。本当の妹とも、アメリナとも、こうして笑っていられたのなら……。


「ところで貴方、主人のアメリナの元へ帰らなくていいの? 今ならまだ間に合うわよ」


 三人で歩く帰路の途中、青年に尋ねる。

 私がレオニード公爵に叱責されるのは構わない。でも、このまま一緒に屋敷へ戻ってしまえば、彼も罰則を与えられてしまうのは明白だから。


「いえ、少々はしたない格好となってしまいましたので。今日のところはお先に帰還させて頂きたく存じます」


「そう。何かあればこう言いなさい。私の命だった、と」


「お気遣い、誠に痛み入ります。アンスリアお嬢様」


「リヒト君ー、私にもその口調で接してよー」


「はぁ? 無理」


 こうして私達三人は、長い道のりを徒歩で帰っていった。

 一一回目の転生で初めての事象。この日死ぬはずだったメアが、生きて私の隣にいる事。

 そして、リヒトという執事が現れた事。間違いなく彼は、今まで存在していなかった人物だわ。

 ほんの僅かだけど、希望を抱いてしまったのは事実。だけど私は、もう諦めてしまったんだ。

 ……未来を。


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