七話 えーっ、行かなきゃ駄目ですか?

 私の誕生日を過ぎてから数日、平穏な学園生活が続いていた。

 あの執事の青年、リヒトの機転……というか強行で、二階にある私の自室に侵入する事ができたから。

 メア以外の使用人にも疎まれているから、もしも学校を抜け出した事が知られてしまえば、すぐにでもレオニード公爵の耳に入れられていただろう。

 あれから彼とは言葉を交わしていないけれど、何とかアメリナのお世話を続けているみたい。

 そのアメリナとも夕食以外に顔を会わさず、通学すらも一緒に行かないで済んでいるなんて。もしかしたら彼の計らいなのかもしれない。今度声をかけてみようかしら。

 なんたって彼のお陰で、こうして平和に……。


「アンスリア様、廊下にてバーナード様がお待ちですわ。何やら所用があるそうで」


「……そう。わかったわ」


 あぁ、短い平和だったわね。

 三年生のバーナード・サイ・バルムスキー公爵令息と言えば、私の事を最も毛嫌いしている人だ。

 でも、それも仕方のない事。ジュリアン様の右腕として、次期国王の宰相として、王太子の婚約者に相応しくない私を快く思う訳がない。


「はぁ……敵が多すぎるわね」


「えっ? 何か仰いました?」


「いいえ、何でもないわ」


 静かに席を立ち、廊下で待つバーナード様の元へ向かった。

 黄色い声援の中、窓際に寄りかかるバーナード様。私を見るなり片眼鏡モノクルをかけ直すその仕草。何かと決めつけて、的外れな指摘をしてくる時の癖ね。


「バーナード様、お待たせしてしまい申し訳ございません」


「僕の方こそ、突然の不躾な訪問で申し訳ない」


「いえ、滅相もございません……」


 自然と視線を合わせられず、俯いてしまう。彼の言葉は正義。公明正大。『お前は悪だ』と言えば、全ての人が『あいつは悪だ』と思い込む。

 真実なんて、何も知らないくせに。


「時にアンスリア嬢、なぜ貴女はジュリアン殿下とお会いにならないのです?」


 いきなり本題とは、そんなに私とは長く同じ空間にいたくないのね。

 バーナード様が訪れた理由。おそらくはジュリアン様から様子を見てくるように頼まれた、という事かしら。


「申し訳ございません。ジュリアン様は非常に多忙な御方だと存じておりますので、お会いするのはお邪魔かと……」


 なんて歯切れの悪い言い訳なんだろう。自分でもそう思うわ。

 本当は知っているのでしょう。始業式の日の朝、私がジュリアン様に何て言ったのかを。


「なるほど、結構です」


 それだけ言い放ち、片眼鏡モノクルをかけ直すバーナード様。その鋭い眼差しで、私の事を見下ろす。


「放課後、応接室までご足労願います。殿下が貴女をお待ちしておりますので。何やら・・・先日の件で話がある、とか」


「……はい」


 それだけ伝えて、バーナード様は立ち去っていった。あの反応、絶対に知っているわね。


 ━放課後━


 胃が痛い。朝からずっと胃が痛かった。それに頭痛も酷いわ。

 きっとジュリアン様から正式に婚約解消の話を出されるに違いない。転生前の過去にも何度か呼び出された事があったけど、今回ばかりはそうなるだろう。まぁ、自業自得だけど。

 こんなに早い段階で婚約解消なんて事になったら、私はヴェロニカ家から追放されるわね。娼館送りか、もしくは辺境での強制労働か。


「どちらもあり得るわね。レオニード公爵なら」


 そんな事を考えているうちに、二階にある応接室へと到着してしまった。ジュリアン様はこの学園の生徒会長を勤めている。王太子殿下ともなれば、当然の采配ね。

 それ故に何室かの私室を与えられ、その内の一室を応接室として使っている。

 呼ばれたのが普段から使用している執務室ではないところを見ると、決して良い話ではなさそう。


 コンコンコン。


「アンスリア・リオ・ヴェロニカです。お呼びと伺って参りました」


「どうぞ」


 ガチャ。


「失礼致します」


 久々に訪れた応接室。書籍を片手に、ジュリアン様が微笑む。

 ここは十分な広さとは裏腹に、僅かばかりに並ぶ書架と長椅子。それと背の低い小さな机しかない。清掃は行き届いているけれど、あまり使われていないのがよくわかる。


 最後に来たのは七回目の転生の時。多忙の身であるジュリアン様の時間を頂戴して、何日も練習して作ったお弁当を渡しに行ったあの日。確かに約束していた、あの放課後。

 偶然にも、今日がその日だったわね。

 その頃の私はメアを喪った心の傷を紛らわす為、料理に没頭していたんだ。そのせいか、今でもはっきりこの日を覚えているわ。

 誰かに慰めて欲しくて、貴方を頼ったのに。

 貴方は、ジュリアン様は来なかった。


「どうしたんだい? 遠慮する必要はない。そこに掛けて」


「はい」


 心配そうに見つめ、私の手をとるジュリアン様。貴方は本当に優しい人だった。何度二年生をやり直しても、悪い噂が私を堕とそうとも。

 ……でも、私を見るその優しい瞳は、いつしか変わるの。軽蔑と憐れみの眼差しに。


「私にご用があるとお聞きしましたが、ジュリアン様がお忙しいようでしたら日を改めますわ」


 早くこの場を去りたくて、強引にもそんな事を言ってしまう。


「いや、それには及ばないよ。君に会えるのなら、無理にでも時間を作るさ」


 普通の女性なら、飛び上がるほど歓喜してしまう言葉。決して虚言なんかではない。彼の本心なのだろう。


「婚約解消の話……本気なのかい?」


「えっ?」


 予想通りと言えばそうだけど、ジュリアン様の反応がなんだか少し違う。


「僕達がまだ幼かった頃、初めて出会った日の事を覚えているかい?」


 ジュリアン様との出会い。

 それは彼が一〇歳を迎える誕生パーティーの日。王族としての権力を与えられた記念すべき日だ。


「初めての社交界の時だったかな。まだ子供だった僕は、次々と言い寄ってくる大人達に怯え、逃げ隠れしていたんだ」


 ええ、よく覚えているわ。あの時の私は、元の世界と大きく違う景観に感動して一人で歩き回っていた。

 私にとっても、本当に特別な日だったんだ。初めて領地から離れ、この世界を観る事ができた日だったから。

 そして、私の中の・・・・家族・・が、いなくなった日だから。

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