五話 どうしよう……忘れてた
朝の出来事の後、イライザさんは飛び出すように教室を去り、早退した。
みんな口には出さないけれど、私への嫌悪感が凄まじい。面と向かって言われなくたってわかるわ。ギスギスとした教室内の空気がそう伝えているから。
それにしても、ここまで酷い虐めに巻き込まれたのは過去にもそうはない。
もしかしたら、卒業パーティーを待たずして幽閉されてしまうかもね。
「はぁ……やっぱり居ずらいわね」
重苦しい教室の空気に堪えきれず、教室を後にする私。
今は昼休み。各々が昼食をとる為に席を立つ。
大食堂で配膳される者。専属の執事からもてなされる者。恋人や友人と共に持参したお弁当を開ける者。
だけど、私はそのどれにも該当はしない。一一回目の転生をしてからと言うもの、食事が喉を通らないんだ。だから夕食の時間が本当に苦痛で仕方がない。身体が拒否していても無理やりに口にする食事。この上なく吐き気がする。
形だけの家族と顔を会わせるあの時間。思い出しただけでも鳥肌がたつ。
「お嬢様ー!」
廊下を歩いている途中、聞きなれた声が誰かを呼ぶ。
そもそもこの学園には何百人ものお嬢様がいるんだから、そんな敬称だけでは誰を指しているのかわかる訳ないじゃない。
まぁ、私には想像つくけど。
「メア、ここよ」
「あっ! お嬢様はっけーん!」
私の事を指差して、にへらと微笑むメア。
「全く、何度言ったらわかるの? 人に声をかける時は名も告げる事。それと指先を向けるのはやめなさい。失礼よ」
「あっ、そうだった。忘れてました……。でもー、私の中でお嬢様と呼ぶべきお方は、お嬢様だけですから!」
「ややこしい言い回ししないでちょうだい」
メアの間の抜けっぷりにはつくづく呆れさせられてしまう。でも、このやり取りがなんだか楽しい。
い、いけない。ついにやけてしまいそうになるわ。我慢しなきゃ。
「それで、わざわざこんなところまで来て何の用? 昼食の給仕は不要と言ったはずよ」
「それはわかってます! ……わかってますけど」
自然と声をこもらせるメア。言い返してしまえば、また私に叱られると思っているのね。何を言われようが当然叱るけど。
「お嬢様、近ごろ全然食事をしないから、どんどんやつれちゃってるじゃないですか。以前は憎たらしいくらいスタイル抜群だったのに。だから、これ……」
肘に提げていた編みかごの中には、小さな二段のお弁当が入っていた。
万年メイド見習いのメアでは、私用で馬車を手配する権限はない。だとしたら、ここまで歩いてきたという事になる。もしも屋敷からレムリア学園まで歩いたのだとしたら、女の足では片道三時間はかかるであろう距離。ましてや今日は悪天候。まさかね……。
「やっぱり……食べられませんか?」
気まずそうに聞いてくるメア。よく見れば給仕服がびしょびしょに濡れているじゃない。
ただ、濡れているのは右側だけ。きっと編みかごを濡らさないように、持ち手の左側ばかり気にしていたのね。
という事は、やっぱり歩いて……。
「……帰ったら食べるから、持って帰りなさい」
「えっ……でも、デザートにお嬢様の好きなチョコレートケーキが……」
「メア?」
「……はい」
酷く痛む胸を押さえ、メアを追い返す。
私はもう諦めたんだ。その全てを。だから私は、決して誰かに歩み寄ったりはしない。
でないと、その人を不幸にさせてしまうのだから。
「はぁ、やっぱりここが落ち着くわね」
降りしきる雨の中、ようやくたどり着いたのは、庭園の奥に佇む小さな
真っ白な石材の屋根に、彫刻が彫られた芸術的な柱。それに生い茂った草木が外界から隔離させ、音を遮断してくれる。
偶然見かけてからと言うもの、私は毎日ここに訪れている。
自分が傷ついた時や誰かを傷つけた時は、不思議と足を運んでしまうから。
「毎日ここに来てしまうって事は、毎日誰かを苦しめているのね。私……」
屋根の中へ入り、そっとガーデンベンチに腰かける。
雨天の空が陽光を遮り、
「すぅ……すぅ……」
「あら、先客がいたのね。珍しい」
そこには、対に並ぶガーデンベンチに寝そべる一人の男性の姿があった。
仰向けで眠り、静かに寝息を立てるその人。風に揺られた暗めの茶色い髪が頬を撫で、金色と銀色のピアスが時折煌めく。
学生服とは違う、黒を基調とした整った身嗜みを見るに、恐らくは誰かの執事なのだろう。
全く、主に隠れてサボっているのね。主人はどんな躾をしているのかしら。メアだったら、絶対にそんな事はしないのに。
「メア……ちゃんと屋敷に帰れるかしら。私の事が嫌になって、辞めちゃったり……しないかしら」
自然と溢れる涙。
何度人生をやり直しても、必ずメアは私の味方でいてくれた。泣きついた事もあった。この輪廻する世界を相談した事もあった。死なないでと、お願いした事もあった。
それでも結局、私の誕生日には死ぬ。
だから八回目の転生の時に決めたんだ。メアを解雇すると。誕生日の前日に彼女の荷物を全て庭に投げ捨てて、雇用契約の解消を言い渡すんだ。
死なれてしまうよりは、どこかで生きていてくれた方が良い。二度と会えなくても、私にとってはそれが一番の幸せなんだから。
「……ちょっと待って。今日って……何日だったかしら」
勢いよく立ち上がり、頭を抱える私。
心臓が激しく鼓動し、呼吸をも乱す。屋根を打ち付ける雨粒にも負けないほどの冷や汗が流れ、ガクガクと足が震える。
「今日は大雨……六月の……中頃」
私の……。
誕生日だ。
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