三話 あれ、いつもと違う

「アンスリア様、ごきげんよう」


 代わり映えのない授業を受けているうちに、気がつけば昼休みになっていた。

 声をかけてきたのは三人の女生徒。レムリア学園に入学してすぐにできた学友だ。いいえ、正しくは悪友ね。


「今朝の一件、拝見致しましたわ。妹のアメリナ様には困りましたわね」


「見え透いた演技をして、ジュリアン様の気を引く小芝居。きっと婚約者の座を横取りしようとしているんですわよ」


「まあ、本当に? 最っ低の妹君ですわね。ヴェロニカ家の恥ですわ」


 私の席を取り囲む三人は、さも楽しそうにアメリナを侮辱する。

 すぐに気づくべきだったんだ。この三人は入学当初から誰かしらを標的に定める。蔑む相手を見つけては悪い噂を流し、断罪と称して陰に陽に虐めを繰り返しているんだ。

 彼女達の背後には公爵令嬢である私という後ろ楯があるから、誰も逆らう事はできない。


「ごめんなさいね。少し体調が優れませんので、これで失礼するわ」


 トントンと教科書を整え、そそくさと退散する私。


「あら、それは大変ですわね。お大事に」


 これでまた噂が広まるのだろう。妹を突き飛ばした挙げ句、取り巻きと一緒に妹を罵る姉アンスリア。


「はぁ……どうせ巻き戻るのなら、入学式の日にしなさいよね」


 毎度リセットされるのは、なぜか二年生の始業式から。その頃ではすでに悪役令嬢爆進中なのに。些細な誤解が混乱を招き、いつの間にか周りから恐れられる恐怖の象徴。それが私。


「産まれた時まで遡れるのなら、せめて悪役令嬢ルートは回避できたかもしれないのに……」


 この世界に転生したのは、アンスリアが誕生した時だった。

 現世で授業中に居眠りしてて、目覚めたらこの異世界。特に死んだ訳でもなく、呪術や祈祷なんかもした訳ではない。


 可能性があるとすれば、誰かに呪いをかけられた。とか?

 現世で唯一恨まれるような事があるとすれば、虐められていたクラスの子に手を差し述べず、見て見ぬふりをしていた事。初めは仲良くしていたのだけど、虐めに巻き込まれたくなくて、ある日を境にその子を遠ざけてしまった。

 そしてその子は、行方不明になった。

 大企業の娘だったから、誘拐も含めて相当な大規模捜索が展開されたみたいだけれど。


瑠璃るりさん……ごめんなさい」


 自然と零れる『ごめん』の一言。あの時の彼女はどんな気持ちで生きていたのか。そう思うと、後悔という荒波が私を苦悩の海へと沈めてくる。

 今の私は何度も人生をやり直しているけど、本当の意味でやり直す事はできないんだ。何も変えられないんだから。


 食欲なんてものは湧くはずもなく、何の目的も持たずに庭園を歩く。小さな水路がそこかしこに駆け巡り、大理石の涼み台が等間隔に立ち並ぶ。


「少し休もうかしら」


 制服のスカートを押さえ、そっと涼み台に腰かけた。サラサラと木々の葉が風に揺られ、草花が踊る。誰もいないこの空間が、最も心の休まる安寧の地だ。

 逃げる事も死ぬ事もできないこの世界。

 必ず最後は卒業パーティーで終幕となる人生。


「あぁ、このまま消えてなくなりたい……」


 仰向けに寝そべり、青く澄んだ空を眺める。鳥達が自由に飛び回り、幹の上で仲睦まじく寄り添う。


 パァン!!


 その時、何かが弾けるような音が響いた。驚いた鳥達が翼を広げ、一目散に飛び立つ。そのすぐ後にして、数人の話し声が聞こえてきていた。


「ちょっとあなた! 公爵の娘だからって図に乗りすぎではないかしら! 所詮二番煎じの妹風情、何の威厳も権力もないくせに!」


「たとえ妹でも公爵の娘なのは事実です! どうあっても爵位は私の方が上なんですよ! もっと私に敬意と礼節を持ってください!」


「なっ! なんですってえっ! このっ!!」


 パァン!!


 話の内容はわからないけれど、確実にアメリナと誰かが言い争っているわね。まぁ、喧嘩の理由なんてどうでもいいわ。間に入って仲裁する筋合いもないし。勝手にやってなさい。私にさえ絡んでこなければ、それでいいんだから。

 心の中でそう言い聞かせ、両手でそっと耳を塞ぐ。せっかくの夢見心地が台無しね。


「あっ! お姉様! お姉様!」


 ……うそぉ。なんで聞こえちゃうのよ。


 パタパタと駆け寄る音が鳴り、アメリナが私の前で止まった。

 小刻みに吐息を漏らすピンク色の唇。キラキラと潤んだ瞳。今にも泣き出しそうな可憐なその小顔。世の殿方がここにいれば、みなイチコロね。


「お姉様、助けてください!」


 私の手を握り、そう懇願するアメリナ。


「言いたい放題仰った後に姉君のアンスリア様にすがるだなんて! 本当に卑怯ですわね!」


 遅れて追いかけてきたのは、三年生の女生徒だった。夜会で何度かお話をした事があるけれど、確かこの人は侯爵家の令嬢だ。名前はリンカ・ドレイク。

 それともう一人。彼女の後ろで泣いている生徒がいるけど、おそらくはデオドレット伯爵の娘ミレーヌさんね。


「リンカ様、まずは落ち着いてください」


 心底面倒だけど仕方がない。無視してこの場を去ってしまえば、後々厄介な事になりそうだし。

 何があっても卒業パーティーまではリセットできないから、ここは穏便に済ませよう。


「リンカ様、ミレーヌ様、妹の度重なる不敬、謹んでお詫び申し上げます。どうかこの私に免じて、怒りの矛をお納め頂けないでしょうか」


「えっ!? お姉様! 何で謝るの!?」


「口を慎みなさい」


 アメリナを黙らせ、深く頭を下げる。

 喧嘩の理由なんて知らないけど、とりあえず謝っておけばいい。あとは公爵令嬢という肩書きが片付けてくれるんだから。


「……アンスリア様、申し訳ありませんが今回ばかりは見過ごせませんわ」


 怒気の混じった予想外の返答。

 アメリナ、あなたは一体何をしでかしたのよ。本当にこの子は厄介だわ。毎度何かしらのトラブルを持ち込んでくるから、いつもその対処に困るのよね。


「失礼ですが、妹が何を致したのでしょうか?」


「ええ、貴族としてあるまじき不貞な行為をしましたわ。そちらのアメリナ様は、あろう事かミレーヌ様の許嫁に手を出しましたの。男爵家の令息であるソレイユ様を!」


「グス……グス……先ほどソレイユに言われたんです。好きな子ができたから、別れてほしいって……うあぁーん!」


 ……はい?


「淑女たるもの、清楚に慎ましくあるべき。貴族として庶民の手本となるのは責務ですわ!」


 ……はぁ。


「待ってください、お姉様! 私はただ、今日が初登校だったから校舎の案内を頼んだだけなんです! だって上級生に頼んだ方がいろいろ教えてもらえるでしょう!?」


 すかさず反論するアメリナ。再び互いに火がつき、目の前で感情のままに言い争う二人。

 一見正論のようにも聞こえるけれど、それは一般論にすぎない。少なからず庶民も在籍しているこの学園では、貞操観念や礼儀作法にはとても敏感だ。

 許嫁がいる事を知らなかったとはいえ、明らかにアメリナに非がある。

 ……でも。


「ミレーヌ様、この度の一件、かえって良かったのではなくて?」


 ミレーヌさんの肩に触れ、そう言う。途端にリンカさんとアメリナも黙り、私に注目してくる。


「アメリナと出会ってから僅か数刻のうちに目移りしてしまうだなんて。ソレイユ様こそ、とんだ不誠実者ですわ。ですから今回は良い糧になったと思い、全部忘れてしまいなさい」


「そんな……酷い。酷いです! うあぁーん!!」


 床に塞ぎ込み、余計に大泣きするミレーヌさん。

 少し冷たく言い過ぎてしまったかな。でも、これが私のまぎれもない本心だから。


「アンスリア様! あなただって許嫁であるジュリアン様がいらっしゃるではないですか! もし同じ立場であっても、そう言えますの!?」


「ええ、そうですね」


 思いもよらなかった返答だったのか、苦虫を噛んだような顔で私を睨むリンカさん。

 だって当たり前じゃない。産まれてこの方一六年、転生を繰り返して一一回目、ただの一度もジュリアン様を愛した事なんてないのだから。

 それに私は、もう知っているのよ。最後は必ず、ジュリアン様はアメリナを選ぶのだと。


「アメリナ、あなたもよ。ヴェロニカ家の娘としての自覚を持ちなさい。レオニード公爵とシャルロット公爵夫人の為、格式ある人間を志して」


「……はい、お姉様」


「私はもう行くわ。貴女も、もう教室にお戻りなさい」


 どこか不満げなアメリナと炎のようにいきり立つリンカさんをしり目に、無表情でその場を去る。よほどミレーヌさんの泣き喚く声が大きかったのか、遠巻き達が点在していた。


 なんだか今回の転生は、いつも以上に荒れている気がする。このままだと悪役令嬢どころか、最悪令嬢になりそうだわ。

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