二話 これって、転生した意味ある?

〈チュンチュン! チュンチュン!〉


 雀の鳴く声と共に、朝日が私に新しい朝を知らせてくれる。

 それはすなわち一一回目の始まり。憂鬱の始まり。

 本来の私の名前は桜瀬卯月さくらせうづき。日本の東京都に住む比較的裕福な家庭の一七歳だった。それ以外は至って普通の高校生で、決して目立つ訳でもなく、かといって目立たない訳でもなく。


 数少ない友達の中では、異世界転生や召還、悪役令嬢を題材にしたゲームや小説が流行っていたみたいだけど、私は興味がなかった。それでも多少の知識はあるからわかるんだ。転生しているのは確かなのに、見た目がそのままだなんて、普通の転生物語では滅多にないはず。

 それなのに……。


「東京に住んでいた頃の私って、ちょうど今くらいの年齢だったわね。姿形がそのままだなんて、奇妙な話だわ」


 薄い灰色の髪に茶色い瞳、それに顔つきだけじゃない。背丈や肉付き具合だってそう。完全に日本で暮らしていた頃の私だわ。


「これって、本当に異世界転生なのかしら……」


 ふんわりとした羽毛布団を顔まで被り、独りでに呟く。つい数分前までは男達に襲われかけ、投身自殺した私。

 起きたくない。もう何もしたくないんだ。

 それにどうせ、この後の流れはわかっているんだもの。ノックが二回鳴った後に部屋の扉が開いて……。


 コンコン。ガチャ。


「お嬢様ー! おはようございまーす! 起きてくださーい! 今日から二年生、新学年ですよー!」


 こんな感じで元気に挨拶してくるのは、我がヴェロニカ公爵家のメイドをしているメア。この屋敷で信頼できる唯一の人物なんだけど、仕事ができない楽天家。この異世界に転生した頃は、彼女の明るさに何度も助けられたわ。そんなに歳も離れていないし、親友とも言える存在だった。

 でも今は……。


「……おはよう。今日から私の身の回りの世話は自分でするわ。さぁ、わかったら出て行ってちょうだい。着替えの邪魔よ」


 ベッドの端に座り、顔を反らしながらメアをあしらう。メアの中の昨日までのアンスリア私は、こんな態度ではなかった。今、メアはどんな顔をしているのだろう。その顔すら恐くて見られない。


「何を仰います! お嬢様のお世話をするのが私の勤めです! さあ、ベッドからお降りください!」


「着替えは自分でできると言ったでしょう? 何度も言わせないで」


「でも……今度新しく雇われた執事君に負けたくなくて……」


「メア、いい加減にしなさい」


「はい……失礼しました」


 ガチャ。


 寂しげに退室するメアの背を見つめ、ぎゅっと胸を押さえる。本当はこんな態度を取りたくはない。

 でも、そうしないとメアは死んでしまうから。

 私と仲良くしたせいで、二ヶ月後の私の誕生日に繁華街の大階段から落ちて死ぬ。大雨に曝された彼女の亡骸の隣には、一際大きなケーキが落ちていたらしい。『一七歳のお誕生日おめでとう!』と書かれたバースデーカードと共に。


「あんなに大きいのなんて、食べきれる訳ないじゃない……」


 もう何が正しいのかわからない。何度もやり直した中で、何通りもの攻略ルートを探した。好きでもない婚約者に気に入られる為に、寝る間も惜しんで努力した料理や学力。魔法だってある程度は使いこなせる。誰にでも優しく接してきた。

 それでも結末は同じだった。

 これは現実であって、ゲームや小説なんかではない。私にとってここは、永遠に抜け出すことのできない地獄だ。


「お嬢様ーっ! いってらっしゃいませー!」


 あんな態度をとられたにも関わらず、正門まで付き添ってくれたメアが私を見送ってくれる。このレムリア学園は貴族や富豪が通う特権学校だから、誰もが皆、使用人を抱えているんだけど……。


「「「アメリナお嬢様、いってらっしゃいませ」」」


「うん! いってくるね!」


 今日から入学した一学年下のアメリナには、三人もの使用人を控えさせられていた。彼女は家族に愛された実の妹。扱いが私とは大違いね。


「あっ、アンスリアお姉様! 待って!」


「……おはよう」


 転生する度、最初の朝は決まってアメリナに捕まってしまう。時間をずらしても、遅刻してもそう。欠席しようものなら部屋まで直接向かえに来る。

 未来は変えられない。どう足掻いても、この後の事象は必ずして起こるんだ。


「……それでね! 中等部の歴史の先生にチクチクと説教されちゃったんだ」


「……そう」


 何度も聞いたアメリナの話を聞きながら、安山岩を敷き詰めた床石の庭園を二人で歩く。何重もの円を描くように花達が咲き乱れ、一刻とて休む事なく、噴水が湧き上がるその庭園。

 正門から校舎へ向かうには、必ず通る場所なんだ。だから必然的に大勢の生徒達が行き交う。


「そうなの! それがあまりにも長くて……」


 ドン!! バシャーン!!


 庭園の中心に差し掛かったところで、必ず起こる出来事。何かに押された私がつまずき、隣を歩いていたアメリナを突き飛ばす事に。それが見事に噴水へダイブ。妹までも虐げる極悪令嬢が誕生する日だ。


「お姉……様? どうして突き飛ばしたの? ……いえ、ごめんなさい。私ったら、騒ぎすぎですよね……」


「……。」


 最初の頃は、すぐに助けに行って弁解した。でもそれも無意味。身の潔白を示す証拠がないどころか、私が押した現場を目撃した生徒が、こんなにも大勢いるんだから。


「お姉様、待って! うっ! 痛っ」


 水場でびしょ濡れになるアメリナが私を呼ぶ。それでも私は立ち去ろうとする足を止める事はない。

 本当なら駆け足で逃げ去りたいくらいだ。この後の事を思うと……。


「君、大丈夫かい? さあ、手を」


 背後から聞こえる男性の声。それはとても優しく、凛々しい声色。誰もが聞き惚れて耳を傾けてしまうほどだ。


「あ、ありがとう……ございます」


 その声の男性は、自分が濡れる事も顧みずに水場へ入り、アメリナを抱き上げた。


「待つんだ、アンスリア。彼女は君の妹ではないのか?」


 ぴたりと足を止め、踵を返す私。顔を上げればそこには、婚約者である王太子ジュリアン様の姿があった。明らかに難しそうな表情の彼。いい加減見慣れたわ。


「ええ、そうですわ」


 大層煩わしそうに返事をする。実際そうだし。


「もう少し、他者への配慮を考えてくれないか。次期王妃として、貴族としての在り方を見直すべきだ」


「そんなもの、私にはなんの意味も価値もありませんわ。婚約を解消したいのであればどうぞご自由に。いつでもレオニード公爵とシャルロット夫人を付き添い、馳せ参じますので」


「……アンスリア」


「それでは……失礼致します」


 深く頭を下げ、その場を立ち去る。人だかりの中を通る最中、今にも殺されそうな鋭い視線が刺さり、ヒソヒソと陰言を言われてしまう。

 大観衆が見守る中で王太子に不敬な態度をとったんだから、当然ね。


 再び始まる地獄の日々。

 輪廻するこの世界を終わらせる事は、未来永劫叶わないんだ。今更何かをする気にもなれない。感情が湧かない。なぜなら……。


 私はもう、諦めたから。

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