第15話 白薔薇の小道で


「え、ええっと……これは、いったい、どういう状況なのでしょうか?」


 キアはそろそろと顔を上げ、目の前に立つ人物を見上げた。いや、見上げようとしたのだが、白シャツの襟元で視線を止めてしまった。

 そこから上のお顔を見たいのに、直視する勇気がない。


 ここは、ベルミ辺境伯家の中庭にある小さな薔薇園だ。白薔薇が咲き乱れるアーチがいくつも設けられた、まるで白薔薇の回廊のような麗しい小道。

 そんな場所で立ちすくむキアの前にいるのは、短い銀髪にアイスブルーの瞳を持つ背の高い美丈夫。イザック・リベリュル隊長だ。


 昨夜、突然現れたイザックほか数名は、騒ぎのあとで部屋から出てきた辺境伯代理ことマティアスに、賊を追っている特別部隊と名乗ったらしい。

 昨夜気を失ってしまったキアは、今朝その話を聞いて、気を利かせて初対面を装う挨拶をしたのだが────そのままイザックにこの薔薇園に連れ出されてしまったのだ。


 彼はなぜ、キアをこのような場所に連れ出したのだろう。

 白薔薇の小道はとてもロマンティックな場所だ。幾重ものアーチと薔薇の枝が巻きつくこの場所は、白薔薇のトンネルのようだ。

 しかし、キアにとってここはある意味袋小路のようなものだ。目の前に立ちふさがるイザックの圧がすごくて逃げ出したいのに、白薔薇に囲まれて逃げ場がない。

 キアがチラリと顔を上げると、イザックは無言のまま柔らかく目を細めて、ふわりと微笑んだ。


(ひえっ……)


 キアは思わず息を呑んだ。

 これはもしかして、キアが任務完了のご褒美に要求した「笑顔」だろうか。途中で気を失ったキアの為に、もう一度披露してくれているのかも知れない。


「その……笑顔は、もしや──」

「しっ!」


 一応確認を取ろうとしたら、イザックは人差し指をサッと口元にかざして視線だけを横へ向けた。

 息を呑むほど絵になる姿だ。


(めちゃめちゃカッコイイけど……怖い)


 顔は確かに笑っているのに、氷のような瞳はあたりの気配を探っているような緊張感をはらんでいる。


「何もしゃべるな。ケニーが見てる」

「へ?」

「おまえ、困ったやつに好かれたな。彼にはこのまま素直に国へ帰ってもらわねばならん。これ以上話をややこしくされては困る。いいか? 今から俺が何をしても騒ぐなよ」


 イザックは、近くにいるキアでさえ聞き取れるかわからないほどの小声でそう言うと、いきなりキアに向かって手を伸ばした。


 がっしりした左腕がキアの背中に回り、グイッと引き寄せられたかと思えば、次いで大きな右手がキアの顔に迫り、平凡な薄茶の髪をふわりと後ろへ梳いてゆく。

 流れるようなその手が顎をとらえた瞬間、キアの背筋がゾワリと震えた。


(こ……これはいったい……)


 キアの動揺など微塵も気にせず、氷のように冷たいアイスブルーの瞳が近づいて来る。

 唇が触れるほど近づいたイザックの顔に、キアは思わず悲鳴を上げそうになった。


「ヒッ!」


 白目をむいて気絶しそうになったキアは、気がつくと、イザックの胸に抱き寄せられていた。


「声を上げるな。ケニーには、お前を諦めてもらわねばならん」


 耳元で囁かれたのは甘い言葉ではなく、いかにも事務的な指示だ。


「て、転職の話なら、ちゃんとお断りしましたよ」


 同じように囁いたはずなのに、それ以上喋るなとでも言うように、キアの後頭部を包む大きな手に力が入る。

 むぎゅっと抱きつぶされて、イザックの胸板で鼻と口が塞がれた。


(くっ……苦しい! 息が!)


 キアは藻掻くように、下げていた両手を密着した体の隙間にねじ込んだ。

 イザックの胸との間にわずかな隙間を確保できて、妨げられていた呼吸が復活した。

 キアが大きく息をすると、一瞬で、爽やかな森林の香りに包まれた。


(あ、いい香り……)


 イザックの香水だろうか。キアは男性のつける香水に詳しくはないが、きっと高級なコロンなのだろう。濃厚な森の中、大自然に抱かれているような気持になってくる。

 とは言え、ほんわかしたのは一瞬のことで、イザックに抱きしめられるという非常事態を思い出し、キアは緊張感を取り戻した。


「あの……まだ、ですか?」

「まだだ。彼は案外、執着心が強いようだな」


 背中に回された手にグッと力が入る。


(いやいやいや……これ以上はムリですからーっ!)


 心で叫んでも状況は変わらない。

 お嬢様命で生きてきたキアは、こんな風に異性と触れ合った事などないのだ。


(でもでも、この体勢なら、リベリュル隊長のお顔は見なくてすむわね!)


 この至近距離で、色気ダダ洩れのイザックの顔を見てしまったら、その場で石になりかねない。

 自分からねだった「笑顔」が、素面しらふではとても直視出来ないシロモノだということに、キアはようやく気づいたのだ。

 体をイザックの胸に預けているこの体勢ですら、全身は強張り、今にも膝の力が抜けそうなのだ。


(神様、もう贅沢は言いません。隊長様の笑顔なんて二度と望みませんから……どうか、ケニー様を早くお部屋へ戻して下さいよぉ~!)


 キアの必死の願いが届いたのか、ややあってイザックの腕の力が緩んだ。


「どうやら、諦めて帰ったようだな」

「ほわぁ~よかったぁ~」


 盛大に息を吐いたキアに、イザックの声が降ってくる。


「いいか、あいつには今後一切関わるな。おまえには必要ないと思って知らせなかったが、あいつはナヴィア王国第五王子、レヴァンケル・ナヴィアだ」


「へ?」


 イザックの言葉の意味を理解した瞬間、キアは膝から崩れ落ちた。


  

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