第8話 辺境伯家の居候


「おろし金をありがとうございました!」

「ああ。厨房にあるものは、何でも使っていいからね!」

「はぁい!」


 元気よくお礼を言って、キアは厨房を後にした。

 昨夜から、辺境伯家の厨房にはお世話になりっぱなしだ。

 リンゴをすりおろすためにおろし金を借りに行ったのがきっかけで、昨夜と今朝の食事は使用人たちと一緒にとらせてもらった。


「あ、キアさん! テオさんのお加減はどう?」

「少しだけ、リンゴの汁を飲み込めました」


 キアが来る前、テオに薬湯を飲ませる係だった侍女マリーが声をかけてくれる。彼女はキアが来たおかげで仕事が楽になったと言っていた。

 実際、他の仕事をしながらでは、意識のないテオの口に根気よく薬湯を含ませることは難しかっただろう。


 昨日、宿に荷物を取りに戻ってから、キアはテオにつきっきりで看病している。

 テオの体を横向きにして、薬湯やらリンゴの搾り汁やらを布に浸して口に含ませる。彼がわずかでも水分を取れるように工夫しているのだ。そのせいか、テオの唇はすこしずつ潤いを取り戻している。


(早く意識を取り戻してもらわないと)


 水差しを持ってテオの部屋に戻ると、ベッドサイドに誰かが立っていた。

 キアは扉を開けたところで足を止め、見知らぬ訪問者を観察した。


 こちらに背を向けて立っている白シャツに黒いズボンの人物。背中まである長い黒髪が、窓からの穏やかな風にサラサラと靡いている。

 金色や茶色の髪が多いラキウス王国で、黒髪はとても珍しい。服装や体形から見ても男性のようだが、ラキウス王国の男性の多くは短髪だ。よって、彼は異国人の可能性が高い。隣国と接しているこの辺境伯家ならば、異国の客がいてもおかしくはない。


(長髪の男の人……誰だろう?)


 そう思った瞬間、彼が振り向いた。

 きれいな顔立ちの青年だ。なのに、苦しげな表情を浮かべている。彼の紫水晶のような瞳に見つめられて──キアはドキッとした。


(やだっ、憂い顔のイケメン!)


「おまえがテオの妹か?」

 彼は少しだけ眉をひそめるようにして、キアにそう尋ねた。


「はい。あなた様は?」

「俺はマティアスの友人で、ここの居候だ。ケニーと呼んでくれ」

「ケニー……様は、兄を見舞って下さったのですか?」

「ああ。彼が怪我をした時、俺も馬車に同乗していたんだ。……済まない。彼は、本当は俺を庇ってくれたんだ」


 ケニーはそう告白すると、悔しそうに唇を噛みしめた。

 キアは事情がよく呑み込めずに目を瞬いた。


「兄は、マティアス様ではなく、あなたを庇ったのですか? ……いえ、でも、兄はきっと、ケニー様がご無事だったことを喜んでいると思います。大丈夫です。きっと良くなりますから!」


 憂い顔のイケメンを励ますため、キアは明るい笑顔を浮かべた。


「そう……か」

 ケニーは驚いたように目を見開いたが、やがて小さく頷いた。

「また、見舞いに来る」


 そう言い残し、ケニーは静かに部屋を出て行った。



(何か、いわくがありそうね)


 開け放たれたままだった扉を閉め、ベッド横の椅子に座ると、キアは腕を組んで考えこんだ。


 仮に────馬車を襲ったのがただの盗賊ではなく、辺境伯家の居候である異国人ケニーを狙ったのだとしたら、その理由は何だろう。

 黒狼隊の隊員であるテオが、自ら刃を受けてまで彼を守ったのならば、そこには何かしらの意味があるはずだ。


(これは、探りを入れる必要がありそうね)


 荷物を取りに宿へ戻った時、化粧師にはテオの状況と、キアが辺境伯家に泊まることになったと伝えた。

 予想外の状況に、彼は「無理すんなよ」と言ってくれたが────。


 頼みの綱だったテオが意識不明では仕方ない。無理のない範囲で、自分なりに情報を集めてみようとキアは心に決めた。


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