第7話 ベルミ辺境伯家の人々


「きみがテオの妹さんだって?」


 ベルミ辺境伯領に着いた翌日のこと。

 まだ日の高いうちに伯爵家を訪れたキアは、玄関先に現れた執事によってあっさりと居間へ通された。


 長椅子に並んで座る辺境伯夫妻は、くせのある金髪に青い瞳のぽっちゃりおじさんグザヴィエと、亜麻色の髪に青い瞳のおっとりした夫人パトリシアだった。

 国境を守る辺境伯と聞けば厳格な雰囲気の人物を想像してしまうが、二人とも穏やかでのんびりとした雰囲気だ。

 堅牢な要塞を思わせるこのお城の主には、とても見えない。


(なんだろう……この、絵に描いたようなほのぼの夫婦は)


 キアは案内された居間の入口で、一瞬ぽかんとしてしまった。


(そもそも、身元の不確かな人間にこんなに簡単に会うなんて、危機感がなさすぎるわ! 私が悪者だったらどうするんだろう?)


 心の中でツッコミを入れつつ、キアは立ったままぺこりと頭を下げた。


「突然の訪問をお許しください。私はテオ・マクソンズの妹でキアと申します。兄の仕事が終わるまで待っていますので、どうか会わせて頂けないでしょうか?」


 キアがテオとの面会をお願いすると、ベルミ夫妻は戸惑ったように顔を見合わせた。

 彼らの表情を見て、キアはだんだん不安になった。果たしてここにテオ・マクソンズは居るのだろうか。それとも────。

 答えを待つシンとした時間が妙に長く感じられて、キアは胸がドキドキした。


「いや、きっとこれが、神のお導きと言うのだろうね」


 くしゃりと相好を崩しグザヴィエがそう言うと、パトリシアもにっこり微笑んで首肯する。


「実は先日、テオが怪我をしてね。我が家の侍医が手当てをしたのだが……」

「ま、まさか……」


 キアが最悪の事態を想像して青ざめると、グザヴィエは慌てて手と首を一緒に降った。


「いやいや、命に別状はないよ。ただね、眠り続けているんだ」

「眠って? ……いつから目覚めないのですか? 兄の怪我とはどんな……」

「五日前だ。息子たちと一緒にテオが城下へおりた時、馬車が襲われたのだよ。彼は我が息子を庇って肩に刃を受けた。幸いすぐに護衛が賊を討ち払い、彼の傷も深くなかったのだが……」

「そんな……会わせて下さい。お願いします!」

「もちろんだ。執事に案内させよう。あとで息子もテオの部屋へ行かせるよ」

「ありがとうございます!」


 思いがけない展開に不安を覚えつつ、キアは両手を揉み絞りながら頭を下げた。



 執事の後について二階へ上がり、長い廊下を歩く。その間、キアの頭は高速回転していた。

 キアに課せられた任務は、連絡を絶ったテオ・マクソンズと連絡をとることだ。状況によってキアが選べる選択肢は二つだけ。


 ① テオが屋敷にいれば、連絡を絶った理由を聞き、王都へ戻る。

 ② テオが屋敷にいなければ、そのまま王都へ戻る(探索部隊に引き継がれる)


 ──しかし、テオが屋敷にいても、意識不明の場合はどうすればいいのだろう。


「こちらです。どうぞ中へお入りください」


 気がつくと、テオの部屋に着いていた。執事が扉を開けて入室を促している。


「は……い。ありがとうございます」


 こじんまりした部屋にキアは足を踏み入れた。

 カーテンで光を遮られた窓際のベッドに、苦しそうな息遣いの青年が横たわっている。黒狼隊の隊員というイメージを覆すような、線の細い優しげな面立ちの青年だ。


「テオ……兄さま?」


 キアと同じ薄茶色の柔らかそうな髪が、汗で額に貼りついている。発熱しているのだ。


「……苦しそう」


 荒い息づかいに大量の汗。唇もカサカサに乾いている。こんな姿を見てしまっては、全くの他人であっても同情してしまう。

 キアは自分の手拭いを取り出して、彼の額の汗を拭ってやった。


「あのっ、お薬とか、水分とかは摂れているのでしょうか?」


 熱を出して寝込んだ時は、とても喉が渇く。ただ、どんなに水が欲しくても、意識がある者しか水を飲むことは出来ない。


「侍女が朝と晩に、薬湯を口に含ませていますが……何分意識が無いので、思うようには」

「そう、ですよね」


 いくら鍛え抜かれた黒狼隊の隊員でも、このまま意識のない状態が続いたら命が危うい。肩に受けた傷ではなく、水分や栄養不足が原因で。


(お嬢様が流感にかかった時は、よくリンゴのしぼり汁を……)


 キアの頭に過去の記憶が浮かんだ時だった。


「おまえがテオの妹か?」


 命令することに慣れた声に振り向けば、まるでヴィクトール王子かと思うようなフワッとしたくせのある金髪に青い瞳の青年が部屋の入口に立っていた。


(……うん。でも、顔は普通だな)


 キアの失礼過ぎる感想など知らない青年は、胸を張って名を名乗った。


「私はベルミ辺境伯が嫡男、マティアス・ベルミだ。テオの妹。おまえ、今日からここでテオの看病をしろ!」

「へ?」

「明日の朝から、父上と母上は湖水地方の祭りに行かねばならない。私たち兄弟はここに残るが、使用人の数は半減する。テオには感謝しているが、私も父上の代理で忙しいのだ。兄を訪ねて来たくらいだ、どうせおまえは暇なのだろう?」

「は、はぁ」


 返事ともつかない声を出し、キアは執事に目を向けた。


「それがよろしいかと。お部屋をご用意いたしますので、今夜から滞在なさるのがよ

ろしいと思います」


 彼もマティアスの言葉に賛成のようだ。


「わ、わかりました。では、宿に戻って荷物を取ってきます」


 ①でも②でもない、三つ目の選択肢がキアの前に広がっていた。


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