第2章 キア、お使いに出る
第6話 乗合馬車の旅
ポクポク ポクポク
十人ほどの客を乗せた乗合馬車が、のんびりと西へ向かっている。
乗合馬車の客層は女性や子供、それに老人が多い。若い男性の多くは乗合馬車でちんたら旅をするよりも、先を急いで馬を駆る人が多いのだろう。
この馬車に乗っている唯一の若い男は、あの不気味な化粧師だ。
キアは窓にそって作られた長椅子のちょうど真ん中の席に座っているが、化粧師は向かい側の一番後ろに座って後方を眺めている。今日は魔導士のようなマントは着ていないが、その代わりに、つば広の帽子を顔が見えないほど深く被っている。
(もしかして……顔を見られたくないのかしら?)
聞いてみたい気もするが、彼とはあくまで他人のふりをしなければならない。
それに────彼には恨みがある。キアの作った
(まだ味見もしてなかったのに!)
空になった天板を発見したキアが、どんなに落胆し怒りに震えたのか、彼は知らないのだ。
食べ物の怨みは根深く恐ろしいという事を、彼に教えてやらねばならない。
キアはフンっと顎を反らし、正面に見える窓の外へと視線を移した。
王都を囲む城壁を出ると、辺りは一面の穀倉地帯へ変わった。夏の初めの今は、小麦の収穫時期だ。小麦色の畑ではたくさんの人が働いている。
(うわぁ、懐かしいな)
石で囲まれた王都に住んでいると、素朴な田園風景はなかなか見られない。キアの故郷も町の周りは長閑な田園地帯なので、車窓の風景に懐かしさが込み上げてくる。
故郷を出たのはずいぶん昔のような気がするが、実際はほんのひと月ほどしか経っていない。王太子様の誕生祝の晩餐会に出るため、お嬢様と王都へ向かって旅していた時は、麦畑はまだ青々とした穂を揺らしていた。
(ソニアお嬢様は、元気にしてるかな?)
主であり、
(会いたいなぁ)
ソニアのことを思うとちょっぴり寂しくなる。
いっそこの仕事が終わったら、乗合馬車で故郷に帰ってしまおうか。そんな思いが浮かんでくるが、ソニアはイザックの嘘を信じ、キアが王宮の侍女として働いていると思っている。いつか王都に遊びに行くからと、無邪気な手紙をくれた彼女を心配させたくはない。
(まぁ、実際お給金はいいしなぁ)
黒狼隊の侍女となるきっかけとなった〝王子のむちゃぶり事件〟でも、キアは少なくない報酬を受け取っている。
(まぁいっか。もうしばらく様子を見よう)
気持ちがすっきりしたせいか、次に思い浮かんだのは任務のことだった。
今回キアは、報告が途切れた隊員と連絡をとるため、兄を訪ねてベルミ辺境伯家を訪れる妹のフリをする。昨夜、夕飯を取りに来た化粧師を捕まえて尋ねたところ、今回は偽名や変装は必要ないらしい。キアという名前はラキウス王国で一二を争うほど多いからだろう。
「リベリュル隊長がそのままでいいって言ってたよ。ああ、ただ、髪をほどいて薄化粧をするようにってさ」
「そんなのでいいの?」
キアは普段、髪を三つ編みにして結い上げている。その侍女仕様の髪をほどくことと、薄化粧をすることだけでいいらしい。ちなみに、化粧師から基本の化粧道具一式も受け取った。
キアの平凡な顔は、それだけで十分印象が変わるという。なので、今日のキアは下ろした髪に薄化粧を施している。
出がけに見た鏡の中の自分は、確かにいつもの自分とはちょっと違っていた。出立の挨拶をしに行った時、イザックも満足そうに頷いてくれた。
「おまえの兄についてまとめた情報だ。ベルミ辺境伯領に着くまでに頭に入れておけ。覚えたらこの書類はオーギュストに渡すように」
イザックはそう事務的に言ってから、「気をつけて行け」と言ってくれた。
冷たい無表情ではなく、厳しい表情の中にもキアのことを心配してくれる感情が見え隠れしていたことに、キアは思わずキュンとしてしまった。
(くぅー。性格が鬼畜でも、見目の良い上司はやっぱりいいわぁ)
短い銀髪に縁どられた精悍な美貌と、氷山を思わせるアイスブルーの瞳を思い出して、キアはついニマニマしてしまう。
交換条件に出した「笑顔」の為にも、この任務を成功させなければならない。
連絡が途切れたという隊員。キアの兄役のプロフィールも既に覚えた。あとは、いかに自然に兄を訪ねて辺境伯の館へ入り込むか──だ。
(よぉし! 高額報酬とイザック様の笑顔ゲットのために、がんばるぞぉ!)
乗合馬車の中、無言で気合いを入れるキアだった。
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