第3話 二度焼きパンと化粧師の情報


「うーん、いろいろと怪し過ぎるんだよなぁ」


 聞き込みをしてみたけれど、結局のところ、王宮で働く人たちも黒狼隊のことはよく知らないようだった。


「祭典用のイケメン集団か、はたまた国王の秘密部隊か……」


 ブツブツとひとり言をつぶやきながら、キアは天板に並べた薄いパンの表面にバターを塗り、その上から蜂蜜をたらしてゆく。余って固くなったパンの救済作業だ。


 実は、黒狼隊の隊舎にも狭いが調理場がある。

 どう見ても使われた形跡のなかった薪オーブンの中では、今まさに、第一陣のガーリックバター味「二度焼きパンラスク」が焼かれている最中だ。

 焼きが程よくすすんだのか、香ばしい匂いと食欲をそそるガーリックの匂いがぷーんと漂ってくる。


「やばっ、よだれが!」


 キアは慌てて天板の上から飛び退いた。

 危うく第二陣の上によだれを垂らすところだったが、こんな時にリアクションが無いのは寂しい。


 思えば前の職場は楽しかった。

 ソニアお嬢様や使用人仲間たちと、楽しく話をしながら仕事ができたし、今のような場面では必ず誰かが突っ込んでくれた。

 寂しさの反動なのか、ひと気のないこの隊舎で働くようになってから、キアはひとり言が増えた。あまりに静かすぎて、せめて自分だけでも喋っていないと静寂に押しつぶされてしまいそうな気がするのだ。


「はぁーあ」


 がっくりとこうべを垂れたキアが、作業にもどった時だった。


「これ、何の匂い?」


 突然かけられた声に、キアは文字通り飛び上がった。


「ひゃあっ! 誰?」


 悲鳴を上げつつ振り返ると、調理場の入口に魔導士のようなフード付きマントを被った男が立っていた。顔は見えないが、このいで立ちと声には覚えがある。


「あんた! あの時の化粧師!」


 キアはヴィクトール王子のむちゃぶりで、貴族の令嬢に化けたことがある。その時キアに化粧を施したのが、この不気味な男だった。


「よお、久しぶり。てか、オレはよく見かけてたけどな」


 調子のいいことを言いながら、化粧師は調理場の中に入ってくる。


「え……まさか、時々感じてたあの視線は、あんたなの?」

「いや、オレだけじゃないぜ。で、これ何の匂い?」

「パンが余ってしょうがないから、二度焼きパンを作ってるのよ。もうすぐ第一弾が焼き上がるけど……食べる?」


 キアは化粧師をチラリと見てから、オーブンの蓋を開けてみた。いい具合にきつね色になったパンから、ガーリックバターの匂いが押寄せてくる。

 化粧師を誘ったのは、なにも会話する相手に飢えていたからではない。彼はようやく出会えた黒狼隊の関係者だ。ほんの少しでもいいから情報を引き出したい。


「食っていいの?」

「うん。余りものだもの」


 キアは分厚いミトンでガーリックバターパンの天板を取り出し、新たに蜂蜜バターパンの天板をオーブンに入れた。


「うおっ、あつっ、うまっ!」


 木の調理台に乗せた天板の上から、化粧師はさっそくつまみ食いをしている。

 キアは素早くお茶を淹れると、丸椅子を持って来て化粧師を調理台の前に座らせた。


「ねぇ、ここの人たちは何で姿を見せないの? ホントに気味が悪いんだけど」


 向かい側に仁王立ちして、キアは質問をはじめた。


「おまえ、リベリュル隊長から何も聞いてないのか?」

「聞いてないからあんたに聞いてるんじゃない!」


 キアが唇を尖らせると、化粧師は「そうだな」と笑った。


「恐らく隊長は、おまえの適性を調べてるんじゃないかな?」

「適性? 何の?」


 キアはきょとんとする。


「仕事の適正に決まってるだろ。何も知らせずに、おまえがどう動くか見ているのさ。おまえも、いろいろ聞き回ったんだろ?」

「そりゃぁ……まぁ。でも、聞けたのは噂話だけだったよ」

「その噂話で、少しは黒狼隊の事がわかったんじゃないのか? そもそもおまえは、貴重な体験をしてるじゃないか」

「貴重な体験?」


 何だろう、とキアは首を傾げた。

 この仕事につく前、キアはとある伯爵家の侍女だった。主である令嬢の供をして王宮に来たはずが────。


「あっ……貴重な体験って、もしかして王子様のむちゃぶりのこと?」


 目の前にいる化粧師によって貴族の令嬢に化けたキアは、知らず王様に毒を盛った犯人を炙り出すための囮に仕立て上げられていた。実際に、暴漢に襲われそうになった。今思い出しても冷や汗が出る。


「なっ、実に貴重な体験だったろ? まだわからないのか? おまえ、思ったより鈍い奴だな。仕方ないから一つだけヒントをやるよ。この隊舎にいる奴は基本だ。仕事中の隊員は外に出てるからな」


 化粧師はそれだけ言うと、椅子から立ち上がった。

 颯爽と踵を返して出て行こうとする化粧師のマントを、キアは駆け寄ってつかんだ。


「待ってよ! それじゃあ黒狼隊っていうのは、みんな別々の仕事をしているの?」

「ああ、答え合わせはリベリュル隊長としてくれ。会議室でおまえを待ってるよ」

「へ?」

「オーブンの始末をしてからでいいよ。美味かった。ごちそうさん」


 化粧師のマントが、キアの手の中からスルスルとすり抜けてゆく。

 呆然としていたキアは、我に返るなり頭を抱えた。


「会議室で待ってるって……それ、先に言ってよぉー!」


  

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