第1章 キア、探る

第1話 黒狼隊って何なの?


【近衛騎士団黒狼隊こくろうたい 隊舎付き侍女】


 キアはその辞令を渡された日から、王宮の片隅にある黒狼隊の隊舎で侍女として働き始めた。

 王宮の片隅と聞けば、普通は王宮の建物から少し離れた建物を想像するものだが、この黒狼隊の隊舎はとんでもなく離れた場所にあった。


 ラキウス王国の王宮には、敷地内の建物を全部合わせたよりも広大な庭園があり、その庭園の周りには、庭師が音を上げて放置するほど深い森がある。その森の中にポツンと建っているがキアの仕事場兼住居、黒狼隊の隊舎なのだ。


 はっきり言って不便なことこの上ないが、その分仕事は楽だ。居るのか居ないのかわからない隊員たちは、基本、自分のことは自分でするらしい。

 侍女と言えども隊員たちの個室には入室禁止なので、キアの仕事は共有スペースの掃除と、パンやチーズなどの食材を食堂の片隅に用意することだけだ。


 しかし、勤めはじめて三日もすると、地方出身のキアでもこの隊舎がおかしいことに気がついた。


 まず、隊員たちはキアの前に姿を現さない。それなのに、食堂に並べられた食材がいつの間にか消えているのだ。さすがにトイレや浴室は使っているようだが、ほとんど汚れていないのだ。まるで、使用者が自らの痕跡を残さないように後始末をしているかのように。


 一番不気味なのは、誰もいない場所でキアが仕事をしていると、時おり誰かの視線を感じることだ。


(何ここ、怖っ!)


 キアとて十六歳のまだ若い娘だ。平凡な薄茶の髪と平凡な緑の目を持つ、平凡な顔立ちの娘でも、怖いものは怖いに決まっている。


 そもそも、黒狼隊とはどういった仕事をしている隊なのだろう。近衛騎士団と言うからには、王族を守る騎士の集団には違いないのだろうが、姿を現さないので予想も出来ない。


 新たな仕事場に不信感と得体の知れない恐怖を覚えたキアだったが、とりあえず十日間は我慢することにした。

 身寄りがない彼女には、ここを辞めても行く当てがない。


 以前勤めていた伯爵家を解雇されたのは自業自得だが、この王宮──しかも得体の知れない黒狼隊付き──の侍女になったのは、世継ぎの王子とその部下である氷の騎士の差し金なので、辞めたいと申し出るのにもなかなか勇気がいる。

 以上二つの理由で、キアは不気味な職場で今も働き続けている。


(はぁ~。せっかく王宮で働けるなら、普通の侍女がよかったなぁ~)


 毎日同じことを思ってはため息をついてしまうが、仕事には真面目なキアだ。食材の減り具合が日によって違うことに気づいてしまえば、何か改善案はないかと考えてしまう。


 季節は夏。ラキウス王国は縦に長い大陸の中では北方に位置しているが、盛夏となれば夜でも暑い。いくら日持ちのする食材がメインとは言え、あまり放置してはいたみも出てくる。

 毎朝王宮の調理場まで通い、黒狼隊の隊舎まで食材を運ぶのもキアの仕事なので、なるべく無駄な食材は出したくない。


「あのぉ、食堂でパンが余ったらどうしてますか?」


 調理場の使用人に、食材を受取りがてら聞いてみると、若い料理人の青年がにこやかに答えてくれた。


「薄く切って固く焼しめると長持ちするよ。蜂蜜につけて甘くすれば菓子にもなるし。女の子は甘いもの好きだろ?」

「はい! それはもう!」

「それじゃ、今日は蜂蜜も持って行きな」

「わぁ、ありがとうございます!」


 思いがけない申し出に、キアは飛び上がって喜んだ。

 隊員の為に用意する食事が至って質素な物なので、どうしてもキアの食事も質素になってしまう。使用人食堂での食事も可能だが、いかんせん遠いのだ。


「毎日ごくろうさんだね。黒狼隊の隊舎までは遠いだろ?」

 若い料理人の後ろから、おじいちゃん料理人が顔を出す。

「俺らは仕事が減って助かってるんだけどな」


 おじいちゃんの隣で若者がうんうんと頷いている。キアが来るまでは、彼らが黒狼隊の隊舎に食材を届けていたらしい。


「だから蜂蜜はプレゼントだよ。足りなくなったら分けてあげるから、いつでもおいで」

「ありがとうございます!」


 温かな親切をジーンと噛みしめながら、キアはふと浮かんできた疑問を口にした。


「皆さんは、黒狼隊の方と話したことがありますか? 私はまだ一度もお会いできてないんですけど……」


 キアが問いかけると、若者とおじいちゃんは困ったように顔を見合わせた。


「実は、俺らも見たことないんだ。いつも決められた場所に食材を置いておくだけだったから」

「そうなんですか? なんか気味悪いですね」


 両腕をかき抱き、キアはぶるっと震えた。


「確かに、若い娘さん一人じゃ心細いよな」

「俺が昔聞いた噂じゃぁ、黒狼隊は国王の秘密部隊だって話だったがね。今の隊長は王太子さまの護衛騎士だろ? 貴族様のボンボンが集まる、名ばかりの騎士隊って噂の方が本当かも知れないなぁ」

「確かにそうだな」


 二人は腕組みをして頷き合っている。


(なるほど。お城の人たちも知らないのか。これはもう少し調べてみる必要があるわね)


 キアはしばし考えて、今日のお昼は情報収集がてら、使用人食堂で食べることに決めた。

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