第一章 ここは精神病院閉鎖病棟 

第1話 高原病院にて。。

 いつからここにいるんだろう?

そんなことすら些末に思える。自我はおれ、ということは男。。。だがそれもどこまで真実なのか、それすらはっきりしない。。。

夢の世界? いやそんな楽園ではないよ、おれのずっといる場所って。。。



 どこだかわからないとかそんな浮世離れしたことはいわないよ、ここは、


    「精神病院なんだ」


 あと記憶が一切ないとかそんな夢のような話でもない、おれには確たる記憶がある。

 しかし、 


「地獄を見てきたんだ」


 そう告白するのが、一番正しいと思う。

ゴミのような人生と植え付けられた感情、夢だったら悪夢なんだろうが、悪夢でさえ覚めなきゃ立派なもんよ、それっきり終わりなんだから。

だがおれのは違う、必ず目覚めてこれがどうすることもできない現実だと毎回思い知らされるんだ。。。


映画や小説ではカット割りがあったり、時間が飛んで描かれるからどんな悲惨なものでもおれからすりゃ「救い」がある。過酷なバッドエンドでも必ず「終わる」から。

 でも人生ってのはなかなか終わらないんだよな、いい意味でも悪い意味でもさ。


「みんなもそう思うだろう?」


「そうなんだよね。。。だからもう終わりにしたいんだが。。。」





 今おれは長い間風雨にさらされたベンチに座っている。おれ自身もかなり長い時間座ってるが、このベンチと同化しそうな雰囲気はまるで出てこない。

 周囲には雑草が伸び放題の空き地が広がっている、広さはサッカー場の半分ぐらいか。おれの座っているのを含めうらぶれたベンチが点在しているが誰もいない。

季節は五月中旬、気温は快適だ。

 服はジャージのズボンに、長そでのカットソーが一枚きり、足元は靴ではなくサンダル履きだ。おれはここ数十年、金にご縁がない、だからこんなみすぼらしいなりだ。

 今いる広場の周りには雑木林が広がっている、風も心地いい。


「悪くはない」


 そう悪くはないんだよね、ただそれだけなんだが。。。

 ずっとこうしていたっていい、だがそれもできないだろ?

 そう人間ってのは刺激がないことに極端に耐性がない、つまり退屈が死ぬほど嫌いなわけだが、状況によっては退屈が死ぬほどありがたいこともあるだろ?

 そう、今のおれはそういう状態なわけ。。。ほんとに死ねりゃさっさと死ぬんだがね。。。


 さて、時間も潰せたしそろそろ帰ろうかね、



     「病棟に。。。」

 そうだよ、おれかなり長いこと「精神病院」にいるんだよ。別に失望してもいいよ、だって「おれ」自身深刻に「失望」してるんだからね。。。

 だがね、一言だけ言っておいてやる、どんな過酷な状況でも人間ってのは

         「慣れる」

 ものなんだよ。



 いいかい? 人が正気を保てなくなるのはその人間が不幸のどん底にいるからじゃない、人が狂気に支配されるのはどん底に滑落していく「瞬間」にあるんだ。人間は仮に不幸であったとしてもその状態が平衡を保っているならなんら問題はない、さっき言ったように「慣れる」。だが真っ逆さまに不幸のどん底に滑落し続ける「瞬間」に慣れは永遠に訪れない。

 どうなってしまうのか自分の運命がわからないからだ、人は何に対してもっとも恐怖心を抱くと思う?


 それは

       「わからない」

 ってことに最大の恐怖心を抱くんだ。

 これは勇者であろうと向こう見ずであろうと貧者であろうと聖者であろうと関係がない。


だから今のおれはそんなに悪い状況じゃないってわけ、「最悪」という状態で固定されているからね。


 さて帰るかとけだるい衰運に身を焦がされながらベンチから離れた。昔はグラウンドだったのだろうが野ざらしで雑草が旺盛に繁茂している。

 誰からも放置された土地、おれ。。。無常さだけが突き刺さる。

 誰からも顧みられないおれ、土地、虚無さだけが堆積していく。

 足取りが異様に重い、歩けなくなってきて近づいたベンチに再び腰掛ける。

 おれは、長く歩けないんだよな。。。

 再び悪循環の澱に沈潜していくのがわかる。

 誰かに肩を叩かれて意識が現実に呼び戻された。



     「まだだよ、若いの」

 


 振り向き見上げると、ほぼ人事不詳のじじいだった。遥か太古からこの病院に入院しているらしいが、詳しいことはあまり知らない。このじじいは満足に言葉を操れないから古参の看護師ですらよく把握していないのだ。

「そうか、若いか? おれもう若さは喪失しちまったよ。夢と希望を引き換えにな」



     「まだまだ、若いの」

 

 そう言えばこのじじいが体をなしている言葉の羅列を初めて聞いたような気がした。珍しいこともあるもんだ。しかし相手にしていても不毛だ。

「こんなところまで来て帰れるのか?」

 じじいはうむうむと頷く。じゃあ大丈夫だなと無責任に決め込んでおれはベンチから離れた。

 振り向くと不安定にじじいが

      「何か」

に鳴動して揺れていた。







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