第46話 彼女には心配をかけたくはないと思った


 森を抜ける頃には昼を過ぎていた。太陽は昇りきっていてきらきらと地上を照らしている。大きな雲がゆっくりと空を泳ぎ、雨の気配などない。涼しげな風が吹き抜けて平原に生える草花を揺らした。


 平原の道を歩いていけばぽつりぽつりと家が見えてくる。ドワーフの村というのは他の村とは少し変わっていた。


 家は頑丈そうな石煉瓦で建てられて、工房があるのか煙がうっすらと昇っているのが見える。村というよりは小さな町のように感じる光景にクラウスは周囲を見渡した。ドワーフの村ということで出歩いているのはドワーフ以外に見当たらず、皆、恰幅が良くて元気そうだ。


 依頼主のドワーフの男は一つの店で立ち止まると「少し待っていてくれ」と荷物を持って店内へ入っていった。


 それほど時間も経たずにドワーフの男は出てくると、「用は終わったよ」とクラウスに言う。



「あとはマルリダまでの護衛をお願いするよ」

「わかった」

「今日はどうする。休まなくていいか? 宿代ならわしが出すぞ」



 ドワーフの男の申し出にクラウスは少し休息も必要だなとフィリベルトのほうへ目を向ける。彼も同じだったようで「休もう」と返事を返す。



「明日の朝に出れば夕刻にはマルリダに着くだろうから急がなくてもいい」

「おっさんの言う通り、急いでも疲れるだけだからなー」

「なら、休もう」



 クラウスがドワーフの男に「いいだろうか」と問えば、彼は「遠慮せんと休め」と笑った。




「宿はこの先にあるから案内しよう」



 ドワーフの男に案内された宿は夫婦で営んでいるようで恰幅の良い女店主が「歓迎するよ」とクラウスたちを迎え入れた。あまり人間が立ち寄ることはないらしく、それでもないことはないので対応はできると言われた。


 男女に別れて部屋を取ったクラウスは皆が思い思いに休む中、部屋を出た。食堂にもなっているロビーには女店主が掃除をしている姿が見える。



「おや、お兄さん。どうしたんだ?」

「すまないが水を貰えるか?」

「あぁ、構わないよ」



 女店主はグラスに水を注いでクラウスに差し出した。それを受け取って礼を言うと、テーブルに腰を下ろす。女店主が「ゆっくりおやすみ」と言って離れていく。


 窓から射す陽の光にクラウスはぼんやりと外を眺める。何を考えるでもなくそうしていると、「クラウスさん?」と声をかけられた。視線を移せばブリュンヒルトが心配げに見つめていた。



「どうした、ヒルデ」

「いや、私が気になるんですけど、それ……」

「何がだ?」

「クラウスさんどうかしましたかって……」



 そう言われてクラウスは自分のことを聞かれているのかと気づき、「特に何も」と答えた。ただぼうっと外を眺めていただけだったことを伝えれば、ブリュンヒルトは少し安堵した表情を見せる。



「クラウスさん、表情が読めないで心配になるんですよね」

「そうか、すまない」


「最近は表情が柔らかくなってるなって思うんですけど。それでもやっぱり読めない時は読めないので」



 ブリュンヒルトはクラウスの隣に座って「ちゃんと休んでくださいね」と言う。これでも休んでいるつもりなのだが、彼女からはそうは見えないのかもしれない。クラウスは「ちゃんと休んでいる」と返してグラスに口をつける。


 部屋でいるよりもこうして遠くを眺めながらぼんやりとしているほうがクラウスにとっては休める。それを言うとブリュンヒルトから「私、邪魔しましたか?」と言われてしまったので、クラウスは「そんなことはない」と訂正した。



「こうやって話すことでも休めている」

「それならいいんですけど……」

「俺は心配かけてばっかりだな」



 自分の表情の足りなさと関係ないだろうと溜め込む癖というのは自覚している。これが原因で仲間に心配をかけてしまったことにクラウスはすまないと謝った。


 リングレットのことも今のパーティメンバーには関係ないと思っていたことだ。だから言わなかったのだが、話したことで少しだけ楽になった。溜め込むのはよくないのだろうなとその時に感じてクラウスは反省している。



「その、確かに今は関係ないですけど、気持ちを吐き出すって大事だと思うんです」



 今まで思っていた感情を吐き出して心を楽にするというのも大事なことだ。いくらもう気にはしていないとはいえども、蓄積された想いというのは少なからずある。想いを吐き出すことは悪いことではない。



「クラウスさんは優しいんですよね。だから、理不尽にパーティを追い出されても怒らない。怒っていいんですよ、そういう時は」


「……そういうものか。あの時は気持ちが冷めていったからな」

「フィリベルトさんも言ってましたね……」



 実際にそういった場面になってみると怒る気力など湧かないのかもしれないなとブリュンヒルトは呟く。フィリベルトもクラウスもそうだったのだから。



「でも、私はその人たちは酷いと思います」

「酷かったんだろうな」

「クラウスさんは何も悪くないじゃないですか!」

「そうだが責めるつもりは無い」



 もう終わったことで怒りもなく、気にもしていないのだから責めることはしないとクラウスは言った。ブリュンヒルトは少しばかり納得いっていない様子ではあったけれど、口には出さずにじっと見つめている。



「どうした?」

「……クラウスさんはその、まだあれなんですか」

「あれとは?」

「……アンジェって人が好きなんですか」



 遠慮げに問うブリュンヒルトにクラウスは目を瞬かせる。何が聞きたいのだろうかと彼女を見るがむーっとした表情を見せているだけだ。クラウスはふむっと考えるように顎に手をやった。



「今はもう冷めている」



 今、アンジェに抱いてる感情というのは冷めたものだった。幼馴染として彼女のことを心配はするけれど、恋愛感情などはもうない。嘘をつかれて裏切られた気分を味わってから恋など覚めてしまった。


 素直にクラウスは隠すことなく答えた。別に隠すことでも誤魔化すことでもないからなのだが、ブリュンヒルトにとっては良かったことだったらしくむっとしていた頬が緩んでいた。



「俺は嘘が嫌いだ。誰かを想っての嘘なら許せるが……」

「アンジェさんはそうではなかったですもんね」

「今はもう気にはしていないんだ。薄情と言われそうではあるが……」

「そうは思いませんよ? 追い出されたのはクラウスさんじゃないですか」

「……シグルドにも言われたな」



 薄情ではないとシグルドにも言われたことを思い出してクラウスは小さく笑う。ブリュンヒルトは「誰も思いませんよ」とはっきりと言う。



「前のパーティメンバーの人に何か言われても私が言い返してやりますよ!」

「それは頼もしいな」

「戻ってこいなんて言われても私は渡しませんからね!」



 今更、戻ってこいなど言われてもクラウスはリーダーとしてパーティを組んでいるのだから断るしかない。とはクラウスは思うのだが、ブリュンヒルトは「そんなことを平然と言ったら私は怒りますよ!」と拳を握っている。


 あんな追い出し方をしたのだから戻ってこいなんて言わないと思うがとクラウスは思ったけれど、ブリュンヒルトに「何が起こるかは分からないんですよ」と言われてしまう。



「いや、その、クラウスさんが戻りたいなら、その……」

「俺は戻りたいと思ったことはない」



 今のパーティメンバーには助けられている。前のパーティメンバーと違い、彼らは誰かを想い、協力をし、力を合わせてくれるのだ。リーダーを任せられた身だとしても、このパーティから抜けたいとは思ったことがなかった。



「最初は一人だったのが今ではこの人数だからな」


「今はもう一人じゃないですからね。気軽に相談してくれていいんですよ、溜め込まなくてもいいんです」



 何も言ってくれないのは寂しいとブリュンヒルトは言う、仲間なのだからと。クラウスは寂しいと言われてそう感じるものなのかと知る。



「それはすまかった」

「これからは気をつけてくださいね?」

「あぁ。ヒルデになるべく心配をかけないように気を付けよう」



 ブリュンヒルトにはなるべく心配をかけたくはない。彼女だって背負っているものがあるのだから、冒険者として生きている時だけでも不安など感じさせたくはなかった。


 ブリュンヒルトはそうですよと頷いているのを眺めながらクラウスはまた小さく笑った。彼女とパーティを組んでよかったなと思って。



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