第45話 森林の魔物マンティコア


 朝焼けが眩しい。ゆっくりと昇る太陽の光にクラウスの紅い瞳がきらりと煌めく。ブリュンヒルトはその眼を見て思う、綺麗だなと。


 神の落とし子のみが持つとされる紅い瞳はルビーの宝石のようで。妖しくも純粋さも見せる輝きは惹き込まれそうになる。


 クラウスは神の落とし子ということを気にはしていないようだった。ブリュンヒルトにクリーラの教主に説明されても、そういうものなのかと納得しただけで特別なものだとは思っていない。実感というのがないのかもしれない、だから驕ることもせずにいる。


 ブリュンヒルトは教主から神の落とし子というのは特別な存在なのだと教わっていた。神より一つ加護を与えらた特別な人間なのだと、それでいて危険な存在にもなりうると。


 悪の道へと落ちやすいとされている、気を付けなさいと言われていた。けれど、実際に神の落とし子であるクラウスと接してみるとそんなことはないと思った。


 彼は悪へと落ちるような心弱い存在ではない。誰かを想い、気遣う優しさを持っている彼がそんな道へと進むはずがないと断言できるほどにクラウスの心は純粋なものだった。


 昨夜、クラウスの話を聞いてそれは確信を持てた。


(彼の傍に居よう)


 ブリュンヒルトは思う、見捨てたりなど裏切ったりなどするものかと。手を差し伸べてくれた彼の傍にいようと誓う。



「ヒルデ?」



 名を呼ばれてブリュンヒルトははっと我に返った。クラウスを見れば彼は不思議にしていたので、「なんでもないんですよ!」と返す。



「その、クラウスさんの瞳は紅いなぁって」

「紅いが……あぁ、神の落とし子のことか」



 神職に関わる人間にとっては特別だったなとクラウスは思い出したように呟く。ブリュンヒルトは思っていたこととは違うのだが、言うのは恥ずかしいのでその話に乗るように「凄いものなんですよ」と返した。


 クラウスはやはり気にしていないようで、「そうか」と軽い返事が返ってきた。



「現に呪いに耐性ありますし!」

「あまり実感がない。今も言われるまで忘れていたしな」

「でしょうね……。というか、指輪すっかり使いこなしてますし」



 カースマジックである深紅の指輪をクラウスは身につけている。それは指輪が彼の指から離れないからなのだが、今では扱い方を覚えてしまったようで戦いでも活躍していた。


 クラウスは指輪を擦りながら「使い勝手は良い」と答える。



「扱いを誤ると大変だろうが、気を付けていけば問題はない」

「ここぞって時にしか使ってませんもんね、クラウスさん」

「多用は良くないだろうと思っているからな」



 今は扱えているが何が起こる分からないのがカースマジックだ。多用は危険性を上げるだろうとクラウスは判断して、使う場面を決めていた。ちゃんと考えられているのだなとブリュンヒルトは感心する。



「クラウスさんなら大丈夫だと思いますけど、何かあったら言ってくださいね?」

「あぁ、その時は頼む」



 クラウスに頼まれてブリュンヒルトは少し嬉しそうに頬を緩めながら、「任せてください!」と胸を張った。



「クラウスの兄さんにヒルデの嬢ちゃん、準備できたぜー」



 アロイは二人にそう言って腕を頭の後ろに回す。クラウスは返事を返すとブリュンヒルトに「行こうか」と声をかけた。小さな優しさを感じながらブリュンヒルトは「はい!」と彼の隣に立った。


          ***


 魔囁きの森はしっとりと湿気を帯びている。じめじめとした暑さを感じながらクラウスたちは前を進んだ。


 木々に這う蔦で覆われている森は獣の鳴き声が響いている。鳥が飛び立つ音がし、ざわざわと枝葉が揺れた。


 先頭を歩くのはシグルドだ。スノーウェル族は身体が頑丈なだけでなく、嗅覚と聴覚が優れているため索敵に向いている。フィリベルトは荷車の隣でいつでも動けるように大楯を構え、ブリュンヒルトもロッドを手に防御魔法を唱えられる準備をしていた。アロイはクロスボウを手に撃てるようにしている。


 クラウスは殿を任せられていた。彼の傍にはきょろきょろ見渡しながら獣耳を動かしているルールエがいる。彼女の戦い方では前に出ることはできないので後ろに下がったのだ。この位置ならばすぐにブリュンヒルトの元にいけて、クラウスがカバーできるためこうなった。


 荷車を引く馬の手綱を引くドワーフの男は警戒しているように周囲を見る。


 森の中腹を越えた辺りだった。獣の鳴き声と鳥の飛び立つ音が響く中、シグルドの耳は捉えた。



「こちらに何か向かってきている」



 シグルドの言葉に荷車を止め、フィリベルトが一歩前に出る。ブリュンヒルトは荷車とドワーフの男を守るために防御魔法を展開した。ルールエはすぐに彼女の元へと駆けだし、背後に隠れてぬいぐるみの準備をする。アロイはクロスボウを構え、クラウスも短刀を抜いた。


 たったったと駆けてくる音をルールエも捉えたらしく、「来る」と呟く。瞬間、だっと飛び出してきた存在をシグルドは鞭のような剣で弾き飛ばした。


 それは魔物だった。赤い赤い体色に獅子の身体は大きく、老人の顔を持つその魔物には蠍のような尾がついていた。


 魔物はにっと笑うように三列の鋭い歯を見せてクラウスたちを見つめている。



「マンティコア」

「うげぇ、マジか……」



 フィリベルトの呟きにアロイが出会っちまったかと呟く。魔囁きの森を抜ける以上、避けれるとは思っていなかったが、いざ遭遇すると厄介な魔物だ。じっと様子を窺っている眼は獲物を見つけた獣の色を持っている。


 逃がしてはくれそうにない様子にクラウスはブリュンヒルトに「防御魔法を絶やすな」と指示を出した。


 皆が武器を構えたのを合図にマンティコアは飛び掛かった。素早くフィリベルトが前に出て大楯で受け止めると剣を向ける。マンティコアの皮膚に傷をつけるも、相手は引く気を見せずに押し返そうとしてきた。


 ぐっと足に力を籠めて受け返すフィリベルトにマンティコアは牙をむく。マンティコアの足を狙うように鞭のような剣がしなるが、攻撃に気づかれてしまい避けられた。


 にやにやと笑いながらマンティコアはクラウスたちを見つめて攻撃をするタイミングを狙っているようだった。



「蠍の尾に気を付けろ! 毒を持っている!」



 フィリベルトに言われて皆が蠍の尾を注視したのと同じく、マンティコアはその尾を振りました。近くにいたシグルドは素早くそれを鞭のような剣でいなして後ろに下がる。


 蠍の尾を先に対処する必要がある、そう考えたクラウスは静かに地を蹴った。マンティコアはフィリベルトに牙を向けるが大楯で受け止められてしまう。鋭い爪で引っ掻くが大楯を傷つけるだけだ。


 シグルドが鞭のような剣でマンティコアを打てば、低い悲鳴を上げなながらフィリベルトから離れた。その隙を狙ったかのように矢が飛んでくる。真っ直ぐに足を狙い撃った矢が刺さり、マンティコアは老人の顔を顰めてアロイを睨んだ。


 マンティコアは一鳴きしてアロイのほうへと突進していく。アロイはクロスボウを向けて矢を放ち、マンティコアの身体にダメージを与えた。


 光のベールがマンティコアの突進を弾き返す。ブリュンヒルトの防御壁にマンティコアは首を振ってからその牙で噛み砕こうとした。ぎちぎちと音を鳴らしながらも光のベールは形を保ちながらブリュンヒルトたちを守っている。


 ウサギ、犬、猫、狼、熊、様々なぬいぐるみたちがマンティコアに向かって飛びついた。魔物の牙が爪がついてるぬいぐるみたちはそれを武器に攻撃し、そうでない子たちは手にしたナイフで切りつけている。


 マンティコアは光のベールから離れて群がってくるぬいぐるみたちを払おうと身体を振り回す。その隙に背後を取ったクラウスは二刀の短刀を蠍の尾に向けた。


 ぐっとと力を入れて引き裂けば、蠍の尾が吹き飛ぶ。



「アガァァァァァァアッ」



 斬られた蠍の尾が地面に落ちて転がり、マンティコアは激痛に悲鳴を上げた。後ろを振り向いてクラウスを見つめると勢いよく前足で引っ掻く。避けようと姿勢を低くしたクラウスだったが、目の前にマンティコアの牙が向けられていることに気づき、咄嗟に腕で守る。



「っ……」



 がぶりと牙がクラウスの腕に食い込む。ロングコートの袖から血が流れるのを感じながらクラウスはぐっと痛みに堪えた。マンティコアが嚙み砕こうと力を入れようとした時だ、深紅の指輪が反応し、魔法石が鈍く光る。


 ぶわりと炎が舞ったかと思うとマンティコアを飲み込んだ。突然のことにマンティコアは噛みついていたクラウスの腕から離れて地面を転がる。それ反応してシグルドは鞭のような剣でマンティコアの首を締め上げた。


 刃が首に食い込みマンティコアは暴れる中、身体は燃えている。クラウスはシグルドが抑えこんでいる隙に二刀の短刀をマンティコアの腹部に刺した。身体を包む炎が刃を通り体内へと入り込んで内臓を燃やし尽くす。


 悶え苦しみながら暫く抵抗していたマンティコアは恨むように声を上げて力無く倒れた。ぶわりと炎が消えて、黒焦げになった亡骸だけが残る。


 クラウスは短刀を抜いて息を大きく吐いた。



「クラウスさん、怪我!」



 マンティコアが倒れたのを確認してからブリュンヒルトが慌てて駆け寄ってきた。クラウスは噛まれた腕を擦りながら「問題はない」と言う。



「大した怪我では……」

「駄目です、見せてください!」

「平気だ……」

「見せてください!」



 じっと見つめてくる瞳は少しばかり怒っているようにも見えてクラウスは諦めたように噛まれた腕を見せた。ブリュンヒルトはロングコートの袖を捲って傷を確認する。牙は深く刺さっていたようで噛み痕から血が滴っていた。


 ブリュンヒルトは「これの何処が平気なんですか!」とクラウスを叱る。彼女が怒っているのは平気だと隠そうとしたことだった。クラウスは痛みはあるが戦いには支障がないという意味で言ったのだと素直に話す。



「そういう問題じゃないです! 指輪が反応して守ってくれましたけど、危なかったんですからね!」


「……すまない」

「怪我をしたら隠さずに報告!」

「わかった……」



 ブリュンヒルトの迫力にクラウスは何も言い返すことができずに頷くしかない。そんな二人の様子にアロイが「クラウスの兄さん、怪我は大丈夫か」と近寄ってきた。ブリュンヒルトが怒っているのを見て酷いのかと心配したようだ。


 ブリュンヒルトが「見てくださいよ!」とアロイにクラウスの腕を見せる。傷跡を見て彼は「これはひでぇ」と顔を顰めていた。



「かみ砕かれなくてよかったな、ほんと」

「その指輪は持ち主も守るのか?」

「あぁ、そういうものらしい」



 シグルドの問いにクラウスは答えて指輪を見つめる。ブリュンヒルトが「そのカースマジックは己の呪いで持ち主が死ぬのを望んでいる」と説明した。


 人の恨みや憎しみ、憎悪、それらを吸って生まれた深紅の指輪は呪いによって死ぬのを望んでいる。勝手に死ぬことは許さず、呪いに苛まれながら命を吸われて死ぬことを。



「クラウスさんは呪いに耐性があるので死ぬことはないですが。今のところこの指輪は持ち主に何かあれば守ってくれます。でも、過信はよくないですからね!」


「あぁ、わかっている」

「なら、怪我は隠さないでください。今、癒しますから」



 そう言ってブリュンヒルトはロッドをクラウスの腕に翳した。詠唱をすると紫の魔法石が淡く光り腕の傷を癒していく。傷口は塞がって痛みはだいぶ引いたクラウスは感覚を確認するように腕を動かした。



「完全には痛みは引いてないですけど、これで大丈夫だと思います」

「ありがとう、ヒルデ」

「これも私の役目ですから!」



 得意なことですからと胸を張るブリュンヒルトにクラウスはそうだったなと小さく笑って彼女の頭を撫でた。



「これからも頼む」

「と、同然です!」



 ブリュンヒルトはクラウスの不意打ちに慌てながらも答える。それはなんとも初々しいものでアロイもフィリベルトも思わず温かく見守ってしまう。



「あたしも頑張ったー!」

「ルールー、お前もよくやったぞ」

「シグルドお兄ちゃん、子供扱いしてない?」

「していないが? お前は愛らしいが立派な女性だろう」



 よしよしとルールエの頭を撫でながらシグルドに言われて、ルールエは行動と言葉が合っていないようなと思いながらも、愛らしいという言葉に照れたように視線を逸らした。こういった対応には慣れていない様子だ。



「ひとまず、マンティコアは倒した。他の魔物が来る前に森を抜けよう」

「おっさんの言う通りだな。急ごうぜ」



 二人に言われてクラウスは「わかった」と返事を返し、シグルドたちに声をかけてブリュンヒルトの背を押してからドワーフの男の元へと向かった。




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