第44話 クラウスが冒険者になった理由
ファントルムを町から北に向かった先に魔囁きの森はある。それほど深い森ではないので朝から入れば昼頃には抜けられる距離だ。
昼過ぎにファントルムを出てクラウスたちは、森に入る前に一夜を明かして早朝から抜けることにした。町から離れているだけあり、平原を荷車と共にゆっくりと進むと森に着く頃には日が暮れていた。
森から少し離れた平地で野営をすることに決めたクラウスたちは荷物を下ろして準備を始める。ドワーフが薪に火をつけようとするのをアロイが手伝っていた。食事などの準備はブリュンヒルトとルールエがやってくれて、クラウスがすることは周囲の警戒だけだった。
日も落ちて暗い空に月が昇る。とても静かな夜で、獣の鳴き声すらしない。薪の火がぱちぱちと音を鳴らしながら燃えていた。
薪を囲むようにクラウスたちは座る。軽い食事を終えてクラウスがほんやりと空を見上げていると、ドワーフに声をかけられた。
「リーダーっていうのも大変だろう」
「俺一人でやっているわけではないからそうでもない」
「そりゃあ、良い仲間を持ったな。わしが冒険者だった時は酷いもんだったぞ」
「元冒険者なのか」
クラウスの問いにドワーフは「そうだよ」と笑う。若い頃は冒険者として活躍していたもんだよと。
「わしがいたパーティは酷くてな。リーダーが女ったらしで頻繁に恋愛絡みで問題起こしておったわ」
「それは……酷いな」
「そのくせ、自分勝手で偉そうにしておるから周囲から毛嫌いされておった」
あのパーティにいる時は肩身が狭かったとドワーフは思い出したのか溜息をついていた。余程、面倒なパーティだったのか、苦労した様子が窺える。
ドワーフの男は「パーティを組むときはよく考えるべきだ」と話した。組む相手がどういった存在なのか、自分と気が合うのか、メンバーのことを考えてくれているのか。それらがかみ合わないパーティはいずれ崩壊する。
悪い噂というのはすぐに広まるもので、いざ協力してもらおうとしても誰も力を貸してくれなくないなどよくあることだ。依頼だって「お前の噂は知っている」と言われて断られることもある。だから、組む相手はしっかりと見極めておけとドワーフの男はアドバイスをした。
「まー、あんたは大丈夫そうだな。頑張れよ、わしのようにはならないようにな」
ドワーフの男はそう言って「今日はもう休もう」と荷車のほうへと行ってしまう。クラウスは彼の背を眺めながら思う、自分は大丈夫だろうかと。
ふと、隣を見ればそわそわとしているブリュンヒルトに気づいた。何か言いたげで、口をもごもごさせながらクラウスと焚火を交互に見合っていた。
「どうした、ヒルデ」
「えっと、その……」
気になったので声をかければ、ブリュンヒルトはわたわたとしながら口を開いては閉じている。様子がおかしいことにはクラウスでも気づくが、彼女が言わないことには対応ができないので「どうした?」と問うしかない。
それでもなかなか言い出さないブリュンヒルトにクラウスが首を傾げれば、シグルドから「リーダー」と呼ばれた。
ルールエの隣に座り、彼女の腰を抱くシグルドはクラウスを見つめながら「聞きたいことがある」と言う。
「なんだろうか」
「リングレットとは誰だ」
リングレット、その名にクラウスは渋い表情を見せた。それを見てか、ブリュンヒルトが「シグルドさん!」と声を上げる。けれど、彼は「ヒルデが聞かないからだろう」と返した。
「気になっているのならばさっさと聞くべきだ」
「そ、それは、そう……なんですけど……」
「まー、気にならねぇかって言われと、気になるもんなぁ」
アロイは話に入るように言った、疲れた目元を少しばかり細めながら。クラウスはそうだったと思い出す、ラプスの町の冒険者との会話を聞かれていたのだったと。
ルールエが「クラウスお兄ちゃんは別のパーティにいたの?」と首を傾げていた。その瞳は純粋なもので、好奇心や揶揄いなどを含まない。
皆の視線というのは興味があるといったものもあるが、心配しているといった色を持っていたのでクラウスは困ったように眉を下げながら焚火へと視線を移した。
「リングレットは前のパーティのリーダーだ」
心配をかけることでもないとクラウスは前のパーティのことを話すことにした。
幼馴染だったアンジェから「一緒に冒険者にならない?」と誘われた時、特に断る理由がなかった。幾ばくかの恋心があったのもあるが、自分にできることといったら育ての父から教えてもらった技術だけだ。これが役に立つのならばと彼女と共に冒険者になることにした。
アンジェは魔法が得意で冒険者になるとその成長は早く、一人でも戦えるほどにまでなっていた。最初は彼女に合わせるようにクラウスはしていた、自分の戦い方が他と違っていることを知ったから。
彼女の迷惑にならないように、けれど助けるように動いて。怪我をしないように守り、彼女の無茶にも応えていた。
もともと、良い所の生まれであるアンジェは親の反対を押し切って冒険者になっている。クラウスと共になったと知った彼女の両親に責められたこともあったが、仕方ないことだと受け止めた。アンジェが冒険者に憧れていたのは幼馴染だから知っていた、だから彼女の夢のためならばと自分が悪く言われてもいいと思った。
それから二人で冒険者をやっていた時にリングレットたちに出逢った。リングレットとミラに誘われて依頼を受けたのがきっかけだ。それから自然とパーティを組むようになった。
パーティを組んでから自分の立場が悪くなったのは覚えている。ミラからは「その歩き方やめてくれない」と「顔が良いだけ」と口悪く言われて、リングレットからは「お前は急に出てくるな」と「前に出るのは俺だけでいいんだよ」と怒られて。
自分が必要とされていないことには気づいていたけれど、アンジェが心配だった。だから黙って彼らの指示に従っていた。その結果、「まともに戦うことができない男」というレッテルを貼られてしまう。
戦えないわけではない、影でこっそりと彼らの邪魔になる魔物を退治していた。言う必要もないだろうと黙っていただけだった。
そうしてアンジェはリングレットに惹かれて恋に落ちた。別にもとから叶わぬ恋だと諦めていたことだったのでそれほど気にはしていなかった。いなかったけれど、彼女に言われた嘘だけは今でも胸を突く。
勝手についてきた男。誰が勝手についてきたのか、冒険者になろうと言ったのは君だろうと。裏切られた気持ちを抱くのは悪いことだろうか、だから嘘は嫌だった。
邪魔ならば邪魔だと言ってくれればいい、それだけで済む話だ。けれど、クラウスは言わなかった、アンジェが幸せならばそれでいいと。
邪魔者は消えるとそうしてパーティを抜けた。
話してみると大したことはない。今はもう気にもしていないことで、彼らとは関係なくなったのだから。そう言って視線を上げれば、涙を流すブリュンヒルトと目が合った。
「……どうした」
「どうし、て、どうして怒らないんですかっ!」
ブリュンヒルトは泣きながら言う、どうして怒らないのかと。クラウスは何も悪いことをしていないじゃないかと言いながら。
悪口を言われ、邪険にされて、嘘をつかれて追い出される。何か悪いことをしたわけでもないのにそんな仕打ちをされたというのに、どうして怒らないのか。理不尽じゃないかとブリュンヒルトは怒っていた。
怒る、クラウスは考えもしなかった。あの時は裏切られた感情と冷めていく想いだけしかなくて、怒りなど感じていなかった。普通の人間ならば怒るのかと、クラウスはその時に知る。
「怒るのか、そうか……」
「いや、それキレていいからな、クラウスの兄さん。どう考えてもその女とリーダーはくそすぎるぜ?」
アロイの言葉に同意するようにシグルドが頷き、ルールエは「その人たちひどすぎ!」と怒っていた。フィリベルトはクラウスの気持ちが分からなくもないのか、「怒ることすら思いつかないよな」と言った。
「私もそうだ。部下に裏切られた時、怒りよりも諦めの感情が勝った。冷めていく想いに怒りなど消えていった」
「おっさんが言うと重いな……」
「申し訳ないが前のパーティメンバーは総じて酷いとしか言いようがないぞ、リーダーよ」
シグルドに言われてクラウスは酷くないかと問われると、多少は酷かったかもしれないと思わなくもなかった。けれど、どうしても責めることがクラウスにはできなかったのだ。
今は冷めた想いとはいえ、幼馴染のアンジェを悪く言うことはできなかった。そう言えば、シグルドは「優しいな」と呆れ気味に返す。
「まー、優しいところもクラウスの兄さんの良いところだからなぁ」
「優しすぎるのも良くないとオレは思うが」
「治らないと私は思うぞ、これは」
クラウスに彼らを責めるのは難しいだろうとフィリベルトは言う。今だって怒りなど無くもう気にしていないのだから。
「その女、勿体ないことしたなぁ。絶対、クラウスの兄さんのほうが良い男だろ」
「俺はそれほどできた人間ではない」
「いやいや、かなりのよくできてるって」
何ができるとかそういった問題ではなく、人間性というものがクラウスはよくできているとアロイは話す。嘘をつけない、嘘を嫌う性格もそれは優しさがあるからだと。
アロイと同じ意見のようでフィリベルトとブリュンヒルトが「そうそう」と相槌を打つ。そうだろうかとクラウスが思っていると、ルールエから「クラウスお兄ちゃんは優しいよ!」と言った。
「クラウスお兄ちゃんはしっかりしていて、あたしみたいな初心者にもちゃんと教えてくれるし、気にかけてくれてる。とっても優しいリーダーだよ!」
ルールエは「あたしはリーダーがクラウスお兄ちゃんで良かったよ!」と笑顔を向けた。その笑みが眩しくてクラウスは目を細めてしまう、自分には勿体無いと。フィリベルトも「彼女の言う通りだ」と言った。
「お前はリーダーとして不安かもしれないが、私はお前がリーダーで良いと思っている。いろんなリーダーを見てきたが、お前が一番良い。優しすぎるとは思うがな」
「そうです! クラウスさんは悪くないですし、ちゃんとしっかりリーダーとしてやっていますからね!」
ブリュンヒルトは身を乗り出しながらクラウスをじっと見つめる。もう泣いてはいないけれど潤んだ瞳は力強いものだった。嘘の色などなく、信頼しているのだと感じ取れる。
クラウスはみんなの勢いに驚きながらも、彼らなりの励ましと信頼であることに気づいてか、気恥ずかしそうに頬を掻く。
「私はクラウスさんを見捨てたりなんてしません! 裏切るようなことなんて、絶対に!」
安心くださいとブリュンヒルトは微笑む。その笑みは優しくて、不安を溶かしてくれるようだった。
「……ありがとう、ヒルデ」
その温かさに答えるようにクラウスは笑みを見せた、それは穏やかなもので。ブリュンヒルトは見惚れるように固まってしまう。
「どうした、ヒルデ?」
「い、いえ! お礼を言われれることでもないんですよ!」
「そうだろうか?」
「そうです!」
ブリュンヒルトは慌てたように言っているのを不思議そうにクラウスは首を傾げる。そんな二人の様子をフィリベルトたちは温かな眼差しで見守っていた。
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