第10話 攫ってくれないかと問われても、答えられない
教主の部屋に招かれたが、壁にびっしりと詰まった本棚が並ぶそこは少し居心地が良くない。クラウスはあまり深く立ち入らないように扉の傍に立った。
「ブリュンヒルトがお世話になったようで。護衛料はこれぐらいで足りるでしょうか」
教主はアンティーク調の書き物机の引き出しから袋を取り出して差し出してきた。クラウスはそれを受け取り、中身を見て顔を上げる。
あまりにも、そうあまりにも金額が相場よりも高いのだ。銅貨や銀貨に紛れ、いや隠すように金貨が多く入れられている。
「どういうことだろうか?」
教主が何か言いたいことはクラウスでも理解できた。
「彼女が聖女であることの口止め料……というのは建前です」
教主は「ブリュンヒルトが聖女であることは必要に応じて説明することもあるので、口止め料というのは建前でしかない」と言ってクラウスを見つめる。
「貴方ならば誰にも見つかることなく、ブリュンヒルトを攫うことができるのではと」
「どういう意味だ」
「彼女をどうか、この都から攫ってほしいのです」
教主は悲しげに語り出した。
この都に月の女神――アルテカマルから神託が降り、二人の少女が聖女として選ばれた。一人は由緒正しい家柄のご令嬢、カロリーネ。もう一人は孤児院育ちの娘、ブリュンヒルト。
両者は言わずとも比較の対象とされた。家柄が良く、魔力も高いカロリーネが真の聖女であると謳う者が増えるのにそう時間はかからなかった。
孤児のブリュンヒルトはそうして落ちこぼれとして扱われるようになる。ただ、彼女は魔法に長けてはいないにしろ、浄化の力は強かった。けれど、それだけでは周囲を味方にはつけれない。
次第にカロリーネ派に過激な信徒が増え始めた。ブリュンヒルトは彼女の邪魔をしている、彼女こそが真なる聖女なのだと。そして、彼らはブリュンヒルトに手酷い嫌がらせをするようになった。
「陰で悪口を言われるならばいい。けれど、食事に毒物のようなものを仕込まれたことがあったのです」
ブリュンヒルトを殺そうとする者が現れた、このままでは彼女の身が危ぶまれる。
教主はブリュンヒルトも聖女であると信徒たちに伝えてはいるものの、過激派はそれに異を唱えているのだという。
「彼女は聖女である。けれど、この都にいてはその命が危うい」
「それで俺にあいつを攫えと?」
「暗殺の技に長けた方ならばできなくはないのでは?」
教主は「足音の無さとその息遣いを感じさせない呼吸法はそうですよね?」とクラウスのことを見抜いていた。
これで二回目だなとクラウスは思う、リジュにも指摘されたことだと。彼女の場合は勘のようなものだったが彼は違う、確実に分かって言っている。
「わたしは彼女を守りたいのです」
「聖女だからか?」
「それもありますが。彼女は何も、そう何もしていないのですから」
何も彼女は悪さなど、カロリーネの邪魔などしていない。聖女として、ブリュンヒルトは力を使ってきたのだ。そんな彼女を放っておけるだろうか。
「偽善だろうと何を言われようと構いません。どうか、引き受けてはくれませんか?」
彼女を攫っていただきたいと言う教主の瞳は真剣なものだった。だが、クラウスは首を縦には振れなかった。
攫ったところでブリュンヒルトの意思を自分は優先してしまうだろう。彼女にも選択をする権利があるのだからと、クラウスは返事をしなかった。
教主は察したようだがそれでも、彼は諦めず「今すぐとは言いません」と呟く。
「少しでもいいので考えてください」
教主は「そのお金はそのまま受け取ってください」と言って頭を下げる。それをクラウスは心悲しげに見つめた。
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