第二章……聖女と共に
第9話 水の都、クリーラの教会にて
水の都――クリーラはこのアルジュラールの地を守る聖都と呼ばれている。月の女神――アルテカマルの加護を受けているとされて彼の神を信仰していた。
澄んだ水が湧き続け、枯れることを知らないその土地では作物が良く育つのだという。その話に真実みを帯びさせるようにクリーラの領地へとはいると、すくすくと育っている田畑の様子が目に映った。
馬車が門をくぐり、都へと入っていくと石造りの頑丈で立派な家々が立ち並んでいる。多くの人が行き交っていて、市場からは活気のある声が響いていた。
真っ直ぐ進んでいく先に大きな建物が見える。周囲とはひと際、違って豪奢でけれど派手でないそれは教会だ。
小さな城を思わせるこの教会が彼の神、アルテカマルを信仰する場所である。
教会の扉に続く長い階段の前で馬車が止まったのでクラウスたちは降りた。ブリュンヒルトが案内するように「こっちです」と歩き出すのでそれに着いていく。
音もなく歩けば、リジュが不快そうに見つめてきた。これは癖のようなものでもう沁みついてしまっている以上、直すことはできないし、するつもりもない。気配は消していないのだから妥協してほしいのだがと、クラウスは彼女の視線に気づかない振りをした。
階段を上り、教会へと入ればブリュンヒルトを見た信徒たちがひそひそと声を潜める。彼女を避けるように、逃げるように。
落ちこぼれというだけでこの扱いなのか、クラウスはその様子に酷いものだなと思う。
「あら、落ちこぼれ聖女が戻ってきたわ」
からからと響く声にクラウスは前を見るとそこには一人の少女が立っていた。
長く赤い髪をカールさせて、兎の耳のように二つに結った少女が白い聖職者風の長い服の裾をひらりと靡かせる。猫のような黄色い瞳をきりっと上げてブリュンヒルトを見下していた。
「カロリーネさん」
「ブリュンヒルトさん、よく無事で」
カロリーネと呼ばれた彼女は水色の魔法石を基調した装飾のされているロッドを手にしながら、「びっくりしたわぁ」と思ってもないことを口にする。
「大した護衛もついていないのに戻ってこれて。流石聖女って感じ? まぁ、わたくしが一番優れた聖女なのだけれど」
聖女と彼女は自身の事を名乗った。ブリュンヒルトが言っていたもう一人というのは彼女の事のようだ。二人を見合ってから、クラウスはこうも違うのかという感想を抱いた。
ブリュンヒルトは大人しいとは言わないものの、威張り散らすようなことはしない。対してカロリーネは自信家であり、相手を見下すようなことをしている。
二人は正反対のように見えた。聖女というのはもう少し清廉されたイメージがあったのだが、どうやら実際は違うらしい。クラウスは現実というのはこんなものかと一人、納得する。
リジュとファルはカロリーネが苦手なのか、二人とも顔を顰めていた。それでも口には出さずにじっとしている。
「まぁ、落ちこぼれなのだからこれぐらいできないとねぇ」
「カロリーネさん、お話がそれだけなら私は教主様にお話が……」
「なんでアナタが教主様に用があるのよ」
「報告はしないと……」
カロリーネは「あー、報告ねぇ」と髪を指でくるくると弄る。ブリュンヒルトが何か言うが、彼女がいなくなる気配がない。
面倒な女だなとクラウスが思っていれば、カロリーネと目が合った。瞬間、彼女は目を瞬かせて近寄ってくる。
「紅眼っ! 神の落とし子じゃないっ!」
その言葉に信徒たちが一斉にクラウスを見る。
そんなこと言われたなと、クラウスはブリュンヒルトにも言われたことを思い出した。紅い瞳は珍しいのだったかと。
ブリュンヒルトが「この方に護衛をしてもらって」と話せば、カロリーネは「へぇ」とクラウスを観察し始める。
「綺麗な長い黒髪ねぇ……それに顔が良い。わたくし好みだわぁ」
じろじろとあちこち見ながらカロリーネは呟き、名案が浮かんだような顔をして指を鳴らした。
「神の落とし子はアナタには勿体無いわっ! どうかしら、わたくしの騎士として傍においてもいいわよ?」
「断る」
即答。あまりの速さにカロリーネだけでなく、その場にいた人たちは黙った。
態度も大きい、上から目線、面倒そうな女というのがクラウスの今のカロリーネにたいする印象だ。そんな相手の元にいたいとは思わないし、そもそも自分は誰かに仕えるために此処に来たわけではないのだ。
「用が終われば俺はこの都を出る」
「はーーっ! わたくしの申し出を断ると!」
カロリーネに「聖女の守り手として働けるのよ、衣食住が約束された地位よ!」と言われるも、クラウスは「興味がない」と答える。
冒険者でも生活に苦労する者もいるが、クラウスは今のところそれもない。一人ぐらいならば生きていけるぐらいには依頼をこなせているのだ。
それに誰かに仕えるというのが自身には合っていないとクラウスは思っている。魔物を倒したり、素材を採取したりするのとは勝手が違う。自分には対人能力など無いに等しいと自覚していた。
「何! この落ちこぼれのほうがいいの!」
「そうは言っていないのだが……」
「カロリーネ、おやめなさい」
食ってかかるカロリーネを止めるように落ち着いた声音が響く。視線を移せば、立派な祭服を着こんだ男が立っていた。
金の短い髪がステンドグラスから入る陽ざしで煌めいている。水色の瞳は優しげで、けれど真っ直ぐクラウスを捉えていた。
カロリーネが教主様と呟きながら一歩引き、ブリュンヒルトは頭を下げていた。
「我が聖女が申し訳ない」
「いや、気にしてはいない」
教主と呼ばれた男は一礼してからクラウスの眼を見つめる。
「神の落とし子ですか……」
まじまじと見られ、クラウスはそれほど珍しいのだろうかと居づらそうに視線を逸らす。確かに自分以外に紅い瞳の人間には会ったことがないがこれほどかと。
そんなクラウスに「申し訳ない」と教主は謝罪する。
「我々には珍しい以上の存在でして。して、貴方は何故ここに?」
「教主様、それは私からお話いたします!」
ブリュンヒルトが前に出てこれまでの経緯を簡潔に話した。それを聞いて教主はなるほどと頷き、クラウスの左手の中指に目を向ける。
教主に「指輪を見せていただいても?」と問われてクラウスは手を差し出す。教主はそれを観察してそっと触れたかと思うと素早く手を離した。
「よく、これをつけて無事ですね」
「どういうことだ?」
「これは浄化はされているので周囲を呪うことはありません。けれど、装備している相手を取り込もうとする代物です」
殺めた生き物から精気を吸い、それを魔力として溜め込むことができる。それだけでも十分に危険だが、さらにこれには恨みが籠められて生み出されていた。そうして呪物となったものを身につけるというのは危険なことだ。
教主に「普通の人間ならば持って一日です」と言われてクラウスは首を傾げる。
この指輪をつけてから三日以上は経っているが身体には何の変化もない。体調不良も、戦闘に支障が出ることも、何かの欲に溺れるようなこともなかった。それを聞いて教主は少し考える素振りをみせてから傍に居た信徒に囁いた。
少しして、信徒が台を持ってやってきた。その上には一つの置物が置かれており、猫のような動物の形を模したそれを教主は「触れてみてくださいと」クラウスに言う。
クラウスは言われるがままに右手で置物に触れた。ぞわりと寒気が一瞬するも、特に何もない。その様子に教主は「やはり」と呟いた。
「神の落とし子は神から一つ特別な力を授かると言われています。貴方は呪いに対する守りの加護を受けているのでしょう」
教主に「この置物は触れた人間の精神を害する呪物です」と言われてクラウスは触れていた右手を退ける。
嘘なのではと思うのだが、振り向いた先にいたブリュンヒルトとカロリーネが目を見開いて固まっているのだから本当の事をなのだろう。それでも実感がないので困ったようにクラウスは眉を下げる。
「その指輪は貴方が死ぬまで離れることはありません。けれど、呪いに対する守りの加護を受けているのであれば、持っていても問題はありません」
「外れない以上は持つことになるが……」
「えぇ。それは貴方が持っていてください。ただし、悪しきことには使わぬように」
悪しきことに使えば、それだけ呪いの力は強まる。浄化したとはいえ、再び呪いを振りまくことがあるかもしれない。教主の忠告にクラウスは頷く、悪用などするつもりはないが使用には気をつけようと。
その指輪は溜めた魔力を魔法に変えることができる。それは使用した者の意思に反映されるか、被害が加えられると守るように反応する。なので、扱う時は注意を。教主はそれだけ伝えて笑みを浮かべた。
「此処まで少々長かったでしょう。聖女を護衛していただいたお礼もしなければなりません。お話よろしいでしょうか?」
「それは構わないが」
「ブリュンヒルト。貴女はもう下がっていいです。ゆっくり身体を休めなさい」
教主はブリュンヒルトにそう告げて、クラウスをこちらへと教会の奥へと案内する。
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