こって牛と若鮎

@takagi1950

第1話

こって牛と若鮎

                                             

                                織田 はじめ  

 

小学六年の時、当時住んでいた大阪から和歌山県粉河町にある母方の祖父母の家を訪問した。初めての一人旅で緊張したが国鉄粉河駅に着き、祖父母の顔を見ると自然と笑顔になった。

「勇、よう来たな。間違わずに来れたか」

オバアのこの言葉を無視するように、大きな声で返事を返した。

「もう子供じゃないから屁のカッパ。お前の母ちゃん出べそ」心細さを笑いに変えた。

仏壇にお参りすると早速歓迎の宴に。近くで暮らす叔父夫妻とその娘で私と同年代の従妹が一緒だった。従妹は亜里沙と言い、陸上の短距離選手で顔が小さく色黒で当時の人気歌手キョンキョンの面影があった。二年振りの再会だが、異性に関心が芽える年頃で気になる存在。細身で切れの良い動きがまるで若鮎のように思え心がざわついた。それに比べて私はこって牛のようで正しく鈍牛といえた。


食卓に近くの紀ノ川の支流で捕れた鮎の塩焼き、山菜、私の好きなビフテキが短冊で用意されていた。ビフテキに箸を伸ばし一つ掴んだ。ここで亜理紗が「勇ちゃんの箸の持ち方おかしい。クロスしているよ」といい場が氷づいた。それを察してオバァが「この鮎は紀ノ川の亜理紗のようなピチピチの鮎だ。お爺が捕って来て井戸に入れて綺麗になるようにお化粧しとった」と笑いを取ろうとしたが、誰からも反応はなく見事に滑った。

私は気になり、チラチラと横目で亜理紗を見たが、泣きそうな顔だった。これを見ても結局優しい言葉を掛けることは出来なかった。

この日の夜は、枕が変わった興奮もあり、なかなか眠れなかった。それでも瞼に浮かんだ天使のような亜理紗が「早よう寝て、明日一緒に遊ぼうね」と言ってくれたように思うと眠りに落ちた。

 翌日、お盆の恒例行事である盂蘭盆があり、足の痺れに耐えた。その褒美で亜里沙とミカン山と紀ノ川に遊びに行くことに。オバアが二人に気を使ったと思った。予想通り亜里沙は飛び跳ねるようにキビキビ動き回り野生児だった。山でヘビを退治して埋め、川でアユ五匹を槍で刺し夕食の材料になった。亜理紗が躊躇なく服のまま川に入った時は驚いたが、川から上がると水が頭からズボンを通してボトボト落ち、その姿は女神のように思えた。ちなみに私は全く捕れず、都会のガキ大将も形無し。また亜理紗に負けたと思ったが、何故か悔しくなかった。


 三日目、昼前に亜理紗が訪ねて来た。「勇ちゃん。元気してるかなモシ」テレからか心持、語尾を強めたように……。「よう亜理紗。今日もういっぺん川に行って、俺に鮎の捕まえ方教えてくれや」と恥ずかしさもあり、怖い顔でぶっきら棒に言った。

これに「ああええよ連れもって行こか」と呆気らかんと答えて、早速準備を始める。「この飯、持っていけや。川で鮎焼いて食べてこいや。川で食べる飯は美味いぞ」とオバアが大きな握り飯を四個亜理紗に渡す。

昨日の汚名挽回とばかりに、箱メガネを口に咥え必死に鮎を探す。自分のこの姿はこって牛いやカバに近いのではと想像すると笑ってしまった。それでも息を整え、箱を少し斜めにして光線を入れると水中が良く見え鮎の群れを発見。群れの中央を目がけて槍を投げたが何回やっても捕まえることが出来ない。失敗するたびに亜理紗が槍を拾い渡してくれる。

私は「チクショー。もうちょっとやったのに悔しいな」と言葉にはしたが、手ごたえはなかった。それを知っていて亜理紗から「もう少しだね。狙う鮎をもっと絞らないと駄目だよ。集中力が大事だよ、集中力が」と言われると自分の弱点を突かれたように思い最後まで助言を無視。結果的に、これが最大の過ちだった。何回やっても捕まえる事が出来ず、疲労困憊で息を整えるため岩場に座り休憩している間に亜理紗は五匹捕まえた。

プライドが大きく傷ついたが、それを隠して「亜理紗、凄いな。さすが紀州の若鮎だ」というと大きな笑顔を返し「勇ちゃん、優しいね。笑窪可愛いよ」と言って笑い転げ、私も照れ笑いした。


亜理紗は器用に料理し川原で焼いて食べる。座って甲斐甲斐しく鮎を料理する亜理紗を見上げると、水に濡れた顔が川面で反射された光線に照らされてキラキラと輝き、腕の産毛の先に小さな水滴が付き乱反射して眩しく輝いていた。腰と胸の線も私とは異なり丸みがあり素直に綺麗と思った。見とれて手が肩に出そうになったが必死に耐える。そんなモヤモヤした不謹慎な気持ちを亜理紗のキーの高い声が打ち消す。

「じゃあ次は、違う鮎の捕り方教えてあげる。今度はこの目の細い透明の網を川に張って鮎を追い込んで捕まえようか。今度はきっとうまいこといくから」

 この言葉に亜理紗への妄想は吹き飛び、やる気が湧いて来て急いで川に飛び込む。二人で川の細い支流に網を張り、次に太い方の川に石を積み隙間に草を詰め川の流れを変えて支流の流れを増やす。それでも水の流れを変えるのは大変で二回ほど石が流されたが、そのたびに石を積み上げ木で補強した。


 亜理紗は、大きな石を持ち上げ運ぶ。疲れを知らないかのように機械的に運ぶが、それがリズミカルで見とれ目で追った。足の動きに合わせて頭と肩から水が垂れ、段々と下に流れていくその流れが、細身を演出し奇麗だった。自然と小さな胸の膨らみに目が行って、男が反応して恥ずかしくなった。私はこの時、既にマスターベーションを経験していたが、その対象に亜理紗をしたことを恥じて目を空に向けると、青い空に亜理紗の形をしたと思える雲があった。が、その雲が笑ったように見えたので許してくれているように思い安心する。

 この気持ちを言葉にするように亜理紗が「勇ちゃん、これからが仕上げだよ。もう少し頑張って」と言ってくれ、上流から棒で川面を叩き、笹で水中をかき回す。正に若鮎のようなしなやかな動きで見とれた。この作業を数回するのに三十分ほど掛かり、体力の限界を感じたが、プライドもあり、それを声に出すことは出来なかった。

「ここで少し休憩しようか」

亜理紗が言った時、ヘナヘナと岩にへたり込み、これを見て亜理紗が笑うので、疲れを隠すように大きな笑顔を返した。休憩中に残っていた鮎と握り飯を食べたが、疲労からかお互いに無口。亜里沙も大きく肩で息をしていて、それに合わせて小さな胸が上下に小刻みに動く。その不思議なリズミカルな動きに見とれてしまったが、その不純な気持ちを打ち消すように恐る恐る話し掛ける。

「亜理紗、疲れたな。俺もう限界にちかいぞ」私は弱音を吐いた。

「ホンマやもし、ワシも疲れたけに」

弱々しい声が返って来てホットした。もしかすると疲れていないのではと思っていたので、この言葉に安心する自分がおかしかった。

休憩後、さっきと同じように二人で上流から泳ぎながら鮎を追う。水中眼鏡で見ると川の中で鮎は驚いて右往左往していた。段々と包囲を狭めて網に追い込む。亜理紗が「いいぞいいぞギョウサン入れ」と大きな声を出し、それに負けずに私もこって牛の体形を利用し流れを掻きまわしながら「入れ入れもっともっと入れ入れ入れ」と大きな声を出す。疲れてもう限界と思った数分後、亜里沙が叫んだ。

「これが最後だもし。勇ちゃん、もう少し頑張れ」

この言葉からしばらくして約束通り終わり、亜里沙が網を上げると鮎が二十匹程度絡まっていた。それを二人で雑談しながら丁寧に取ってバケツに入れ意気揚々と引き揚げる。家に帰りオバァにバケツを見せると「今日は沢山取れたなもし。これは二人の気が合ってる証拠だ」と二人を見て笑いながら言い、三人で手を叩き気持ちが一つになった。


滞在最後の日、朝食の食卓に大きな焼鯛が出た。私は昨日、捕った鮎ばかりを手に取って食べていた。見かねたオバアに「勇、鯛早う食べんかいな」と言われたが、箸の持ち方が気になり手が出なかった。それを察した亜里沙が小皿に取り分けようとしたが、私はその皿を取って密かに練習した箸の持ち方で、鯛の身を捌いて入れた。皆の目が私の箸に集中しているように思えて緊張し、ぎこちなかったが旨く出来て笑顔がこぼれる。

 これで少し大人に近づいたように思い、ちらっと見た亜理紗の笑顔も輝いていて本当の天使のように見えた。ここで、こって牛は「亜理紗、箸の件はすまんかったな。注意してくれてありがとう。俺、直す気になったから」と言うと若鮎は「わしも言葉に出す前に頭で考えればよかった。後で言うとか……」と言って表情を曇らせ口ごもった。

 ここでオバァが「これにて一件落着。大の友達になれたなもし。目出たし目出たしだ」と言って二人の手を取って三人で手をつなぐ。次にオバァが「エイエイオー」と言うのでそれに合わせる。これで気持ちは一つになれた。


この時から半世紀以上が経過。昨年、祖父母の法事があり、久しぶりに亜里沙と逢った時に、「勇ちゃんが必須に鮎を追う姿に乙女心が燃えた。明日、もういっぺん鮎捕りに行こうか。付いて来る元気あるかなもし」と挑発するので「ああ、いいぞ。今度は負けんど」とこんな会話もあり嬉しくなった。

ところで亜理紗は看護師になる夢を実現し、私は先生にはなれずに普通のサラリーマンで肩身が狭かった。そんな思いを吹き飛ばすように食卓には、亜里沙と若い時の亜理紗そっくりの娘が、昨日捕った紀ノ川の鮎があり目一杯食べる。

親族が集う姿を見せると、仏壇にいる祖父母も喜んでくれているように思え胸に込み上げてくるものがあり、ふと目を上げると亜里沙と目が合う。そして少しして昔に帰って亜理紗と私は大きなまん丸笑顔になった。

                                                      完 

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