第25話「愛する人の命と望みと」

「ま、君が言いたいことぐらい、もう察しが付いてるよ」


 もぐもぐと口を動かしながら、アスヴァレンは言った。

 あの衛兵……マティアスが買って来てくれたのは、どら焼きに似た形の焼き菓子だ。

山羊のチーズをたっぷり混ぜ込んだスポンジ生地をパイ生地に包んで焼いたもので、表面は焦げ気味なぐらいこんがり焼けている。

 でも、その焦げた部分のほろ苦さが、不思議と重厚な甘さとよく合う。


使用しているチーズの流出量は非常に少ないらしく、それ故にこのお菓子も大量生産できないのだとか。

 もちろん他のチーズでも代用はできるけど、このチーズの独特の風味までは真似できないだろう。

 大きさはちょっとしたホールケーキほどで、八分割した内の二切れを、アスヴァレンは既に完食した。

今、彼が食べているのは三切れ目だ。


「大方、『元の世界に帰りたくないんだけど……』とか、そんなとこだろ」


 彼の言葉に、私はケーキを喉に詰まらせそうになった。

 ……図星、に近い。

 さすがにいきなりそう訴える気はなかったけれど、先ずは進捗状況を伺うなり、アスヴァレンの考えをそれとなく聞くなり、といったことから入るつもりだった。


「私が元の世界に帰りたくない、ですって? あの、どうしてそう思うのですか?」

「んっ、んぐぐぐっ。り、理由は明白だよ」


 三切れ目のケーキを完食した後、確信を込めた口調で言った。

 慌てて食べたせいで喉に詰まらせたのか、「み、みず」と呻きながら円卓の上に視線を巡らせる。


「はい、どうぞ」

「ああ、見かけによらず気が利くねー……って、熱いじゃないか!」


 私が勧めたお茶を拒否し、水差しを引っ掴むと、その中身を一気に飲み干した。


「ぷはーっ。ふぅー……君、性格悪すぎるね」

「何のことでしょうか」


 内心で舌打ちしながら、カップを傾けてお茶を一口飲む。

透明感のある白い磁器を満たすのは、赤褐色をしたお茶。

芳醇な香りと風味を持つこのお茶は、今日のお菓子によく合う。


「……ともかく、理由は明白だよ」


 と、同じ言葉を繰り返す。

 私は表面上は落ち着いてお茶を飲む振りをしながら、耳を立てて次の言葉を待つ。


「君、元の世界ではそんなに幸せじゃなかったろ」


 私は呻きそうになりながらも、訝しがるような顔で首を傾げる。


「そんなことはありませんけど。。生憎と、私はご覧の通り容姿に恵まれておりますし、頭もいいので余裕綽々な毎日でした」

「でも、エルに……あんなかわいい子に大事にしてもらって、申し分のない生活環境まで与えてもらって、悪い気はしないよね? それとも、元の世界ではもっともっと快適に生きてたって言うのかい?」


 気が付けばカップは空になっていた。

 それでも内心の動揺を誤魔化すため、お茶を飲む振りを続ける。

 その間にどう返すか考えよう、という腹である。

 ところが、アスヴァレンはお見通しだったみたい。


「それ、もう空っぽだよね? おかわりいるぅ?」


 と、半眼になりながらこれ見よがしにティーポットを持ち上げてみせる。

 本当に性格の悪い男だ。

 それから、「でもまぁ」と続ける。


「君だけが、特別に不幸だって言いたいわけじゃないよ。だいたい皆そんなもんだよ。生きるってさ、大抵は辛くてしんどいことなんだ」


 アスヴァレンは、珍しく神妙な顔をしたかと思うと、しみじみとした口調で語り始めた。

常ならぬ様子に戸惑いつつ、聞き入ってしまう。


「綺麗事を並べて何とか自分を誤魔化したり、時に夢とか希望を思い描いて現実逃避しながら、何とか自分は幸せだって思い込もうとしてる奴が大半だよ。今の君が置かれてる状況になったらさ、誰だって今までの人生との落差に愕然とするよ。んで、そこに留まりたいって思って当然さ。だから、それを恥じる必要はないんだよ?」


 そう淡々と話すアスヴァレンの口調は、いつになく優しい。

 もしかしたら、本当はそんなに嫌な人じゃないのかもしれない……と思うほど、私はお人好しじゃない。


 その時、ケーキが二切れしか残っていないことに気付いた私は、慌てて一切れを確保する。

アスヴァレンが恨めしげな視線を向けてくると同時に、最後の一切れにフォークを突き刺した。


「僕にくれたっていいじゃないか。今は僕がお客さんなんだからさ」

「半分以上、というか四分の三も食べてまだ不満ですか」

「うう、もっと食べたかったのに」

「……」


 いくら何でも甘いものばかり食べ過ぎではないだろうか。

糖尿病予備軍どころか、既にレッドカードが出ていてもおかしくない。


「それで、何でしたっけ」

「んー?」

「私がここに留まりたいと思って当然とか何とか」

「あー、うん」


 アスヴァレンは頷くと、自分の分のカップを持ち上げ、その中身を飲む。


「留まりたいと思うこと自体は自由だし、仕方のないことだと思うよ」

「……それで?」

「エルは君を元の世界に帰したいと思ってる。だから僕は、エルの望みを叶えるよ」

「つまり、は」


 ずずず、と品のない音を立ててカップの中身を飲み干すアスヴァレン。

 ポケットを弄り、蝋引き紙に包んだキャラメルを取り出したかと思うと、そこそこの大きさのあるそれを丸ごと口に放り込んだ。

 口をもごもご動かしながら「つまりは」と私の言葉を反芻する。


「転送装置の修繕は順調だよ。や、難航してると言えばしてるけど、まぁ何とかなるよ。半年……は、かからないかなぁ。かかる、かも……? 何にしたって、必ず君を元の世界に帰してあげるから、心配しなくていいよ」

「……それがエレフザード陛下の望みだから、ですか?」

「うん」


 何の迷いもなく、彼は大きく頷いた。

 私はぐっと言葉に詰まる。そうだ、この男はエレフザード陛下第一主義なのだ。

 そんな彼に私が「お願い」などしても聞く耳を持つ筈がない。

 別の方法を考えなければ。


「陛下の左腕のことですが……」


 キャラメルを飲み込んだアスヴァレンは、次のお菓子を探ろうとポケットに手を入れたところだった。

一瞬その手を止め、それからまた別のキャラメルを取り出し、口に放り込む。


「ふーん、それが?」


 関心のなさそうな風を装っているけど、確かに今、ほんの一瞬とは言え動揺を見せた。

 これは、交渉材料になるのではないだろうか?


「王国筆頭錬金術師と言えども、難航しているようですね。五年前から改善は見られないのですものね」

「んー」


 気のなさそうな調子で言って、キャラメルを頬張りながら今度はキャンディを口に入れる。

 やっぱり、彼は無関心を装っているだけで、内心は私の話に興を惹かれている。


「陛下は、私がその左腕に触れると落ち着くと仰いました。実際、あの方の腕に纏わり付く黒い靄は、私が触れることで薄くなります。これは何を意味するのでしょう?」


 かん、と乾いた音が一つ響いた。

 見れば、アスヴァレンが落としたと思われるキャンディが円卓の上に転がっている。

 彼はそれを拾い上げ、包み紙の中身を口に入れてから私をじっと見つめる。


「それは本当なのかい?」

「ええ、本当です」

「エルはそんなこと一言も言わなかったのに……」


 後半の言葉は、殆ど独白のようだった。

 キャンディを口の中で転がしながら、アスヴァレンは暫し無言だった。

 虚空へと向けた目は、どこか遠い場所を見ているかのようだ。


 何かしらの反応を引き出せるのではないか、そう思って振った話題だったけど、彼はこちらの予想以上に動揺している。

 逆に、私のほうが戸惑ってしまう。


「……美夜」

「は、はい」


 唐突に名前を呼ばれ、やや上擦った声で返事をする。


 一拍遅れて、彼が私の名前を呼ぶのはこれが初めてだと気付いた。

 でも、私の名を呼んだきり彼は再び沈黙した。

 静まり返った部屋に、時計が時を刻む音だけが響く。


 秒針が一周しようという頃になり、口を開いた。


「……君はさ、愛する人の命と望みとが相反する時、どっちを優先するべきだと思う?」

「え……」


 あまりに唐突な、そして抽象的な問いに、咄嗟に答えることができない。

 瞬きすることも忘れてアスヴァレンを見つめ返す。


「いや、君ならどっちを優先する?」

「それは……」


 訂正を加えた彼の言葉を内心で反芻する。

 彼にとっての愛する人とは、エレフザード陛下のことだろうか。

 きっとそうだと思う。


 では、私の場合は?

 陛下に心惹かれていることは事実だけど、いきなり愛などと言われても、あまり実感が沸かない。

 それでも、やっぱり……。


 熟考の後、私は正直な気持ちを言葉にする。


「私なら、生きていて欲しいと思います」

「愛する人の望みを踏みにじっても、自分の信念を曲げさせても、かい?」

「少し、違うかもしれません」


 アスヴァレンの言葉に、小さく首を振る。


「私自身がその人の価値観の最上位、いえ、唯一無二の生きる理由になります。私のためなら何を捨ててもいい、何でもできる、他には何もいらない、そんな信念を持っていただければ全て解決です。それなら命と望みと、双方を救うことができるでしょう? 私と二人きりで、いつまでも幸せに生きるのです」


 アスヴァレンは口に放り込んだお菓子を全て飲み込んだ後、唖然とした顔で私を見る。

 それから、大仰に嘆息する。


「自分最優先ってわけだ?」

「いえ、私が自分を最優先にするのではなく、私の愛する人が私を最優先にするのです。違いをおわかりいただけますね? そうすれば私も相手も末永く、いえ、永遠に幸せでいられます」

「まぁ、確かにそうかもね。にしても、清々しいほど自分本位だね」


 私が彼に向けた言葉を真似されて、正直面白くない。

 若干むっとしながら、その件には触れずに一番重要な件を切り出す。


「えー、そういうわけですので、私を元の世界に帰すという話は一度考え直していただければと」

「何が『そういうわけ』なんだい?」

「えっ」


 ぴしゃりと言い返され、言葉に詰まってしまう。

 今までの思わせぶりな態度は何だったのか。

 困惑する私を真っ直ぐに見据えて、彼は言った。


「何にせよ、君は元の世界に帰すよ」

「……それが陛下の望みだから、ですか?」


 一拍置いてから、彼「うん」と頷いた。


 アスヴァレンの目を、顔にかかる長い前髪から覗く目を私はじっと伺う。

 この時、陛下と同じ金色の双眸をしていることに気付いた。


「私に何かできること……それこそ貴方にも不可能な、私にしかできないことがあるかもしれないのですよ?」

「君には関係ないね。本来、君はこの世界に存在しない筈の人物なんだからさ」


 彼の口調は淀みない。

 けれど、その瞳の中には微かな揺らぎが見えた。

 そこに何か、状況を打破するためのヒントが隠されているのではないか、私はそんな気がした。


「そう、ですか。……承知致しました」


 静かな声でそう告げ、恭しく頭を下げた。


「エルは僕が助けてあげるんだ。今度こそ、絶対に」


 アスヴァレンは、私にというよりも自分自身に言い聞かせるように言った。

 そのまま席を立ち、部屋から出て行く彼を引き留めることなく見送る。


 もちろん、私は納得などしていない。

 アスヴァレンはああ言ったけれど、私は本来ならこの世界で王女殿下として生を受ける筈だったのだ。


 それに、私は姫神の孫でもある。

 こちらの世界に迎え入れられて然るべきだ、そう確信している。

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