第21話「遠征」
ブス呼ばわりされた。
この私が。
人類最高峰の美貌を持つ、絶世の美少女である私が。
その事実に、心が千々に乱れそうになる。
それでも、何度も深呼吸して自分を宥める。
落ち着け、落ち着くのだ、私よ。
あんな稚拙な悪口に心を乱されるべきではない。
あんなものはただの雑音に過ぎないのだから。
ああ、でも。正直言って腹が立つ。
ぎりぎりと奥歯を噛み締めていると、再び扉が開いた。
マティルダが戻って来た、そう早合点した私は臨戦態勢を取る。
「……美夜? どうした?」
「あ、陛下」
ところが、入って来たのはマティルダではなく陛下だった。
安堵と同時に決まり悪さを覚えた私は、慌てて居住まいを直す。
そして適当に思い付いた話題を振った。
「あの、アスヴァレン……様は、その」
「ああ、今手当てを終えたところだ。決して深い傷ではないとは言え、それが発熱や発病に繋がる恐れもあるからな」
困った奴だ、そんな思いを吐き出すように嘆息した。
私は少しばかり複雑な気持ちで、そんな陛下を見つめる。
あまり付き合いが長くない私でも、陛下とアスヴァレンがお互いを大切に想い合っているのがわかる。
二人のやり取りを、図らずも盗み見したから、尚のことだ。
不意に、陛下が静かに呼び掛けた。
「美夜」
「は、はい」
「少々邪魔をしても構わないだろうか」
「ええ、全然、特に」
我ながら意味のわからない返し方をしながら、椅子を一脚引き出す。
私の言わんとすることが伝わったようで、彼は短く礼を言って腰を下ろした。
逡巡した後、私も卓を挟んだ向かい側に座る。
先ずはお茶の用意でもするべきか、そんなことを思ったけれども、陛下はすぐに話を切り出した。
「昨日は来ることができなくて悪かった」
「いえ、別に、そんなこと。陛下にそんな義務などありません、ではなくて、えっと、その、様々な事情があると伺いました……アスヴァレン様から」
アスヴァレンが「いじめるなよ」と言った理由がやっと理解できた。
つい、突き放すような無関心であるかのような物言いをしてしまう点に対しての忠告だろう。
以前、私が笑ったことを喜ぶ陛下を見て不思議に思ったけれど、あれは自分で思う以上に私の態度が彼を傷付けていたということか。
「ああ、そうだった。アスヴァレンが迷惑をかけて悪かった」
「いえ、その、陛下に謝っていただくことではありませんから」
苦笑を浮かべる陛下に、なるべく言葉を選びつつ返した。
よし、上手く行っている……筈だ。
「因みに、アスヴァレンは何と言っていた?」
「え?」
少しだけ、ほんの少しだけ、陛下の目が鋭くなる。
いったいどうしたのだろう。
「陛下への態度についてご指摘いただきました」
「全く、あいつは。美夜、どうかアスヴァレンの言ったことは聞き流してもらえるとありがたい」
「……はぁ」
陛下本人は気にしていない、ということだろうか。
とは言うものの、アスヴァレンの言うこともっともだと思うから承諾することもできず、言葉を濁しておいた。
「他には?」
「他……と仰いますと?」
質問の意図をわかりかねて、相手の顔を見返す。ややあってから、陛下は「いや」と首を振った。
「特に何事もなければいいんだ」
「はい」
私は素直に頷きつつも、陛下の態度に感じた違和感に思いを巡らせる。
何だろう、アスヴァレンが私に何かを伝えることを危惧している?
何となくだけど、そんな印象を受けた。
この件については、もう少し探りを入れる必要がありそうだ。
けれども、続く陛下の言葉で思考を中断せざるを得なくなった。
「今日もあまり長居はできなくてな。王都から十日ほどのところへ遠征に行くことになった」
「遠征……?」
耳慣れない言葉に、目を瞬かせて相手を見上げる。
遠征、つまり遠出ということだろうか。
鸚鵡返しにする私に、彼は「ああ」と頷く。
「少しの間、そうだな、一ヶ月か、もう少しか……二ヶ月はかからないと思うが、暫くの間、城を留守にすることになった」
「……そうなのですか」
一拍置いて、何とかそれだけを口にした。
努めて平静な口調を装ったつもりだったけど、その声は自分のものじゃないみたいに掠れていた。
「アスヴァレンを城に残しておく。あいつが貴女のことを守ってくれるから、安心して過ごして欲しい」
「……はい」
私は首肯したけれど、口から零れた声には不安感が滲み出ている。
アスヴァレンは陛下の言うことには忠実に従うだろうけれど、それでも精神的な心細さはどしようもない。
ここでは私は完全な異邦人、異質な存在であり、謂わば敵の陣地の真っ只中にいるようなものだ。
不意に、元の世界にいた時でさえそうだったことに思い至る。
まだ知り合ってほんの数日に過ぎないのに、陛下との交流の中に長らく忘れていた安らぎを見出している自分に気付いた。
それを誤魔化すように質問をする。
「遠征、というのは何をしに行くのですか?」
遠征と言われても、私にはあまりぴんとこない。
陛下もそれを察してか、説明を続ける。
「隣国のティエリウス国の北方の海岸沿いは、まだ整備の行き届かない、いわば手付かずの状態だ。となれば、必然的に何らかの理由で市壁の内側にいられない者が住処にする。その地を根城にする者、いわば賊の動きが最近は活発になってきているらしく、そこから最も近い村への被害が懸念される。被害が出る前に、騎士団を率いてそこへ向かい、賊を制圧せよとティエリウス国の陛下から命を受けた」
「制圧?」
穏やかではない言葉に、少なからず驚いてしまう。
「隣国の……ティエリウス国の北方と仰いましたが、ベレス陛下は何をしていらっしゃるのですか?」
「もちろんベレス陛下も既に兵を送られた。ところが、なかなかに難航しているようだ」
違う国の領地のことなのに、何故ブラギルフィア国王自ら行かなければならないのか疑問に思ったけれど、ようやく合点がいった。
エレフザード陛下はブラギルフィア国の王であると同時に、ティエリウス国王の騎士でもあるという話だったか。
アスヴァレンからそう聞いたばかりだけど、その事実を改めて噛み締める。
それにしても、と陛下が言った。
「美夜はこの世界のこともよく勉強してくれているのだな」
「勉強……というほどでも。少しばかりアスヴァレン様に教えていただいただけです」
そう言われて悪い気はしないものの、何となく照れ臭さを覚える。
気を取り直し、陛下から聞いたことを頭の中で反芻する。
制圧ということは、やはり話し合いで即解決とはいかず、荒事になるのだろう。
そうすれば、やはり相手もそれなりに抵抗してくる筈だ。
正規の騎士団が寄せ集めの賊に遅れを取ることはないのかもしれないけど、窮鼠猫を噛むという言葉があるように、死を覚悟した相手がどう反撃に出るかわからない。
どんなに屈強な者でも怪我をする時は怪我をするし、最悪の場合、命を落としかねない。
(元いた世界とは違うのだわ)
改めてそのことに気付き、愕然とした。
私の内心を見取ったか、配下は小さく笑った。
「いや、そう案ずることはない。こうした遠征は、美夜が思うほど珍しいことでもないんだ。騎士団は皆、頼りになる者たちばかりだし、万全の準備をして向かう」
「は、はい」
陛下がそう言うのなら、間違いはないのだろう。
そう納得したものの、やはり不安感は完全に拭いきれない。
私が抱く不安感は、いつのまにか、自分が城に取り残されると知った時に感じたそれとは異なるものに変じていた。
「……だから」
殆ど独白のように呟くのが聞こえた。
「出発前に一度、美夜に会っておきたかった」
聞き間違い……ではない筈だ。
確かにそう聞こえた。
そう確信した瞬間、顔が赤らむのを感じた。
恐る恐る陛下を伺うと、その横顔が視界に映った。
心なしか赤くなっている気がするのは、果たして私の思い過ごしだろうか。
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