第20話「ブス、性格もブス」
「とにかく……ふわ、あぁ……」
だらしなく座り直したアスヴァレンは、大きな欠伸をした。
先ほどのことが嘘のように、いつも通りの彼に戻っている。
「エルに感謝しなよ」
「……はい」
情けない話だけど、私はそう答えるだけで精一杯だった。
「メリダ、だっけ? あの侍女長のことだからさ、エルが会いに来ないことについて何か余計なこと言ったんじゃないかい?」
「それは……」
「彼女が何言ったか知らないけど、不安になったりするのはお門違いだ。エルが君のためにしてくれたことを思えば、そんな気持ちを抱こうなんて思うわけないもんね」
そう言って、アスヴァレンは私のカップを……まだ手を付けないままのカップを手に取り、中身を嚥下する。
私はそれに対して何も言う気になれなかった。
昨日から陛下が会いに来てくれないのは、然るべき理由があって……というより、そんな言葉では済ませられない複雑な事情があったのだ。
私は自分で考えている以上に危うい立場にあって、それでも安穏と過ごしていられるのは、陛下が立ち回ってくれたお陰だった。
そんなこと、陛下はおくびにも出さなかったし、恩に着せるようなことなど決して言わなかった。
アスヴァレンから聞かなければ、私は何も知らないままだったに違いない。
「陛下……」
半ば無意識に、呼気に忍ばせるようにしてそう呟いていた。
その時、扉を叩く音がした。
私は他人事のように、茫洋とした目をそちらへと向ける。
「美夜?」
その声を聞いた瞬間、目が醒めるような心地だった。
「は、はいっ開いています」
上擦った声が漏れた。
扉を開いて姿を現したのは、エレフザード陛下である。
彼を見た瞬間、私は詰めていた息を吐き出した。
けれども、彼の目は私ではなくアスヴァレンに向けられている。
呆れたような顔は、見る見る内に驚愕に染まる。
「アスヴァレン!」
「やぁ、エル。先にお邪魔しちゃってるよー」
「お邪魔しちゃってるよ、じゃないだろう。お前、いったい何をしているんだ?」
そう言って陛下はアスヴァレンの手首を掴む。
それは先ほどカップを割ったほうの手で、見れば血が流れている。
アスヴァレンは「てへへ」と照れ笑いを浮かべ、片目を瞑ると同時に舌を出してみせる。
「ちょっと切っちゃった」
「お前な」
陛下は本気で怒っているように見える。
アスヴァレンの怪我と、周囲に散らばった陶器の破片を見比べて険しい顔をする。
それから不意に顔を上げて私を見た。
「すまない、美夜。すぐに片付けさせるから、手を切らないよう気を付けていてくれ」
「は、はい」
「さぁ来い、アスヴァレン。すぐに手当てをするぞ」
「はーい、わかったよエル」
陛下はアスヴァレンを引っ立てるようにして、部屋を後にする。
彼が侍女に、カップが割れた後を片付けてくれるように呼び掛けているのが聞こえた。
部屋を訪れたのは、サーシャたちではなくよりにもよってマティルダだった。
私は少し離れた場所に腰を下ろし、可能な限り彼女に意識を向けないようにしながら本を読む。
……案の定、内容はあまり頭に入って来なかった。
マティルダは最低限のことしか口に出さず片付けをこなしてくれて、その点については有り難かった。
そのまま速やかに退室してくれることを期待したけれど、そう思い通りにはいかないものだ。
「美夜お嬢様、少々よろしいですか」
「何でしょう?」
(よろしくない……と言ったらどうするの?)
私は胸中でそんなことを呟きながら、奇妙な既視感を感じていた。
ああ、そうだ、隆俊伯父だ。
養父から感じていた威圧感、それに酷似したものをこの侍女長からも感じるのだ。
「貴女様に使っていただいている磁器は、いずれもミストルト王家への奉納品ばかり。本来なら王家の方々及び賓客にしかお使いになれない貴重な品です」
私は奥歯をぐっと噛み締めた。
マティルダは、私がその「賓客」に値しない存在なのだと言外に言いたいのだ。
「割ったのはアスヴァレン様です」
「あら、まぁ」
驚いたように目を丸くし、口元に手を当てる。
どこかわざとらしい仕草だ。
「大変失礼致しました、王女殿下」
深々と頭を下げ、「王女殿下」を殊更強調する。
彼女は私が王女殿下などではないことを知っている一人だ。
そんな彼女がわざわざその呼び方をするというのは、嫌な予感しかしない。
「仮初めとは言え、陛下のご遠戚という立場であらせられる女性ですからね。このマティルダ、さぞや素敵な淑女だと買い被っておりました」
実際はそうではないと言いたいのだろうか。
随分と失礼なことを言われていると理解しながら、どう反応して良いかわからない私に、マティルダは更に言葉を重ねる。
「アスヴァレン様はブラギルフィア国が誇る錬金術師。そのような方にご無礼を働くなど、あってはいけないことです。私のような一介の侍女ですらそう理解しております」
ここに至って、彼女が何を言わんとしているのか理解できた。
そういえば、マティルダを初めとした侍女たちはアスヴァレンのことを避けている様子だった。
やはりあれは、畏敬の念に近い感情に基づく行動だったのだ。
そして、「アスヴァレンが割った」と事実を述べることが、「無礼」に該当するらしい。
まともな女性ならアスヴァレンを庇い立てして当然、ということか。
こちらの世界にはこちらの世界の価値観があるのだろうし、マティルダの言葉の是非について物申す気はない。
それでも、酷い侮辱を受けたとは感じている。
怒りが込み上げて来る。
何か言ってやろうか、いや、引っ叩いてやろうか、そんな衝動に覆い被さるようにアスヴァレンの言葉が脳裏に蘇った。
(エルは君のために心を砕いてくれてるんだ)
(君が今ここで漫然と過ごしてられるのも、エルの尽力のお陰だってことを理解しなよ)
そうだった。
陛下がどうしてそこまでしてくれるのかはわからないけれど、私が賓客としてここにいるのは陛下の意向だ。
私は意思の力を総動員して、花のかんばせに、美の女神のような極上の笑顔を浮かべる。
こうしてマティルダと……悪意の塊のような下女と対峙する私は、高雅さこの上ない王女の姿だ。
「素敵な淑女じゃなくてごめんなさいね。こんな私が好きだと言ってくれる人たちに甘やかされてきたものですから、至らない部分もあるかと思います」
もちろんそんな事実はない。
でも、マティルダが私の過去や家庭の事情など知る由もないし、とにかくそう見せることが大事だ。
「それに、アスヴァレン様は大海原のように広いお心の持ち主。自分がカップを割ってしまったことを、私などが庇い立てしなくても許してくださいます」
心が大海原かどうかは知らないけど、大抵のことには頓着しなさそうだ。
私が立派な淑女だろうと性悪ビッチだろうと、何の関心も示さないだろう。
マティルダは瞼の周りの皺を押し上げるように目を見開き、わなわなと私を見つめる。
きっと、私の美貌に戦いているに違いない。
アスヴァレンの言う通り、マティルダがどうこう言おうと関係ない。
侍女長とは言え、所詮は使用人だ。
陛下が決めたことに文句を言うべきではない。
何より、よくよく考えてみれば私自身もミストルト王家の人間だ。
直系ではないとは言え王弟の娘なのだから王女殿下と呼ばれて然るべきだし、使用人ごときにどうこう言われる筋合はない。
「ブス」
「……は?」
マティルダを言い負かし、冷めた満足感を感じていたところに聞こえた、ごく短い言葉。
そのシンプルすぎる悪口の意味をすぐには理解できず、間の抜けた声を出してしまう。
「何度でも言ってやりますよ、このどブス。性格もブス。それでは失礼致します」
そう言って頭を下げ、固まる私を残したままマティルダは退室した。
「な……」
扉が閉まる音と共に我へと返ったものの、完全に出遅れてしまった。
「せ、性格『も』って何よ……?」
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