第15話「王女殿下生活の始まり」

 身支度と朝食を済ませた私が中庭の散策をしたいと伝えたところ、侍女たちは快諾してくれた。

 その付き添い役として名乗りを上げたのはマルガレータだったけれど、サーシャがそれを制した。

 そんな訳で、私は今、彼女と庭の散策をしている。


 本音を言うと一人になりたかった。

 それとなくその旨を伝えてみたものの、棄却されてしまった。

 どうやらこの国では、高貴な身分の者が供も付けずに一人で出歩くべきではないというのが常識らしい。

 たとえ、それが城内であっても。


 因みに、今の私はエレフザード陛下の遠戚にして他国の姫君の一人ということになっている。

 何でも、リヒルディスという国の末の姫君という「設定」である。

 侍女たちにあれこれ聞かれたらどう答えればいいのだろうかと悩んだけれど、杞憂だった。

 侍女の一人であるマルガレータは、良くも悪くも私に対して親しげで、何度か答えに窮する質問を投げ掛けて来た。

 でも、その度にサーシャが助け船を出してくれたのだ

 サーシャがどこまで私の事情を聞いているのかは知らないものの、何にせよ有り難い。


 ともかく、他国の賓客という立場に在る私は、外出は無論のこと、城内を歩く時でさえ供を付けなければならない。

 つまり、部屋から出るならそれを誰かに知らせなければならないということだ。


 ……仕方がないとは言え、少々窮屈に感じるのは否めない。


 侍女たちが着せてくれたのは、踝まで届く長いドレスにケープという装い。

 今のブラギルフィアの気候は、日本で言うところの晩冬ないし早春だ。

 まだまだ朝晩の冷え込みは厳しいものの、こうして陽射しの中にいると春の気配を感じる。


この庭は、テオセベイアがまだ地上にいた頃のお気に入りの場所だったのだとサーシャが教えてくれた。

 季節ごとの彼女の好きな花を全て植えているため、年間を通してその季節の花を楽しめるのだ。

 今はミモザの花が見頃で、庭のあちこちで黄色い花を咲かせている。


 浅い付き合いながら、サーシャはなかなかに親しみやすい女性だと思った。

 色々と興味深い話を聞かせてくれる上に、必要以上にぐいぐい踏み込んで来ない。

 これがマルガレータだったら、元気すぎて少し疲れたかもしれない。

 サーシャはその辺りのことも慮ってくれたのだろう。


 とは言え、私の真の目的は庭の散策ではない。

 昨夜に見つけた、あの綻びのようなものを見つけることだ。

 それらしい場所まで来たのはいいけど、一向に見つけられない。

 確かにそう目立つものではなかったし、思った以上に骨が折れるのではないか。

 そう考えた時、ならばどうしてあの時はあんなにすんなり見つけられたのだろうか、という疑問が脳裏を過った。


 ごく小さなものだった。

 遠目からでも気付けたのは、例の黒い靄が放つ燐光が見えたからだ。

 けれども、今はあの燐光が見当たらない。


 今とあの時とで異なる点と言えば、肉体か幽体かということと、それに昼か夜かぐらいの違いだ。

 でも、そこに何かヒントが隠されているのではないだろうか?

 考え込む私に、サーシャが声をかけた。


「王女殿下、何かお悩みですか?」

「え?」

「いえ、先ほどから何かを探していらっしゃるようにお見受けしたものですから。差し支えなければ私も協力致します」

「いえ、特にそういうわけではないの」


 サーシャの問いに、適当に言葉を濁す。


 この世界では魔法や錬金術といった超自然的な力が存在し、当たり前に認識されているとは言え、私のような能力はどういう位置付けになるのかまだわからない。

 何より、私自身がそれらを理解できていない。

 容易に自分の情報を渡すべきではないだろう。


「お心遣いに感謝します。……そういえば、何だかそろそろ寒くなってきたわ」

「あら、それは大変。気が付かず申し訳ありません」

「いえ、そんな。一度お部屋に戻って、今度は何か本を読みたいわ」


私が意図的に話題を変えたことを知ってか知らずか、どちらにせよ彼女はそれ以上詮索しなかった。

 あの綻びは既に消えてしまったのか、それとも何らかの理由で今は視えないのか、あるいは単に見落としているだけなのか。

 ここで思案していても答えは見つかりそうにないし、何より本当に寒くなってきた。

 温かい飲み物でも飲みながら、落ち着いて考えることにしよう。

 それに、他にも確認したいことがある。




 部屋に戻った私は、サーシャが淹れてくれたホットチョコレート片手に、今度は部屋の書棚を検め始めた。


 サーシャは、必要とあれば図書室から本を運んで来ることもできると申し出てくれたけれど、今のところは部屋の書棚だけで十分だ。

 十分、という表現では生温い。

 エレフザード陛下の背丈とと同じぐらいの本棚が、壁の一角を占めている。

 私はその中から何冊かを抜き出し、中身に目を通すことにした。


 それから小一時間ほど経っただろうか。この時間の中でわかったのは、私はこちらの世界の文字も簡単なものなら読めるということだ。

 今、私の目の前に子供向けと思しき本がある。

 字よりも絵の割合のほうが大きく、使用する文法も易しいものだ。

 どうやら、このレベルの本なら内容を理解できるみたい。

 それがもっと難解な文章になると、私の理解を超えてしまう。


 とは言うものの、こちらの世界の言語は地球のどの言語とも異なる。

 使用する文字にも全く見覚えがない。

 それに、こちらの住人と初めから意思疎通ができたことについても、ずっと不思議に思っていた。   

 当然ながら彼らは日本語を話しているわけけじゃなく、私の知らない言語を使っているみたい。

 どうして言葉が通じるのか、簡単なものとは言え文字が読めるのか、考えてみたけれどどうしてもわからない。


 母は私のことを、女神の孫だと言った。

 そして、女神というのはおそらくは姫神テオセベイアを差している。

 その話が本当だとすると、もしかしてその血統が関係するのだろうか。


 私は小さく唸って、本の頁を捲る。

 この本は、姫神テオセベイアについて書いたもので、内容としては彼女が偉大な存在だったこと、身を挺してこの世界を守ったこと、そしていつかこの地に帰還することが記されている。


 考えれば考えるほど頭が混乱してくる。

 短期間で、あまりにも多くの疑問が増えすぎたせいもあるだろう。

 少し休憩しようかと思った時、扉を叩く音が聞こえた。


「王女殿下、サーシャです。少々よろしいでしょうか」

「ええ、どうぞ」

「失礼致します」


 扉が開き、部屋へと入って来たのはサーシャ……ではなかった。

 彼女は後ろに控え、陛下のために道を空ける。


「おはよう、美夜。昨夜はよく眠れたかな?」

「お、はようございます。もう昼ですが……」


 またしても余計なことを言ってしまう。


「あの、何かご用でしょうか?」

「どうやらあまり歓迎されていないようだ」


 そう言って苦笑を浮かべる陛下を前に、私は内心で酷く狼狽える。

 ああ、慌てて取り繕おうとして、またしても失敗に終わってしまった。

 他にもっと言い様があったと後悔しても遅い。

 彼は手に持ったバスケットを軽く掲げる。


「実は差し入れをもらってな。よければ昼食に付き合ってもらえないだろうか?」

「あ、はい。私で良ければ」


 喜んで、と言いかけてその言葉を呑み込んだ。

 さすがにこれは、媚びているように思われかねない気がした。

 陛下は「ああ、よかった」と言って笑みを零す。


「すぐにお茶と食器をご準備致します。どうかもう暫くお待ちください」

「ありがとう、サーシャ。突然押し掛けて悪いな」

「いえ、そろそろ王女殿下の昼食の準備をさせていただくところでしたから」


 一礼すると、サーシャは相変わらず殆ど物音を立てずにその場を後にした。

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