第14話「綻び」
気付けば、私は元の部屋にある寝台に座っていた。
寝台の上には、相変わらず私の肉体が横たわっている。
今し方、私が見たものは何だったのだろう。
夢や幻にしては、あまりにも生々しかった。
幽体離脱の経験は今までもあったとは言え、こんなことは初めてで、自分が見たものをどう解釈すべきかわからない。
私の憶測が正しければ、先ほど見たものは過去の出来事だ。
アスヴァレンは陛下の左腕を触診しているようにも見えた。
あれは、私が見た黒い靄と関係あるのだろうか。
その時、視界の端で何かが揺らいだ気がした。
顔を上げると、視線の先にはカーテンで覆われた窓がある。
カーテンをじっと見つめていると、やはりその布地を通して微かな燐光が見えた。
寝台から立ち上がりカーテンを開けた私は、予想以上に外が明るいことに気付く。
空を見上げれば、頭上には見たこともないほど多くの星々が煌めき、円形に近い月が皓々と地上を照らしている。
プラネタリムでしか見たことがないような星空に、言葉を失ってしまう。
幽体の状態で見る景色は相変わらず色褪せているけど、肉眼で見ればさぞかし美しい星空に違いない。
暫く魅せられたように眺めて、そして見覚えのある星の配置が一つとして見当たらないことに思い当たる。
「やっぱり全く違う場所なのだわ……」
その事実を改めて思い知り、掠れた声でそう呟いた。
背の高い硝子窓の外には、星の光を浴びた中庭が広がっている。
侍女が言うには、この庭は限られた場所から行き来できないため安全で、いつでも出入りして構わないのだそうだ。
先ほどの燐光は何だったのだろう。
人工の明かりというのとも違う。
あれに似たものを見たことがある気がする……。
そう思った時、庭の奥のほうでまたしても燐光が見えた。
私はいても立ってもいられず、裸足のまま庭へと降り立った。
ひんやりとした石畳の上を小走りに駆け、あの瞬きが見えたほうを目指す。
「あ……」
私は「それ」を見た瞬間、小さく息を呑んだ。
虚空にできた小さな綻び、とでも言うべきだろうか。
私の目線より少しだけ低い位置に、見落としそうなほど小さな裂け目がある。
小さなポーチの口ぐらいの、私の掌がぎりぎり入る程度小さな裂け目だ。
その周囲をぐるりと回ってみたけれど、少し位置を変えると見えなくなってしまう。
ある特定の方向からしか見えないみたい。
その綻びから、金色の燐光を纏った黒い靄が漏れている。
カーテン越しに見えた淡い輝きはこの燐光だったらしく、これがなければ裂け目そのものも見落としたに違いない。
「何、これ」
そんな疑問が口から零れたけれど、それに対する答えはない。
まるで、ぬいぐるみの表面の一部が解れて、そこから中綿が見えているかのよう。
でも、その裂け目の向こう側にあるのは、当然ながら中綿なんかじゃない。
きらきらした金色の燐光を纏う黒い靄が、どこまでも広がっているみたい。
この靄には見覚えがある。この世界に来る直前に、この靄に包まれたのだ。
それに、エレフザード陛下の左腕にもよく似たものが漂っていた。
不意に、ある考えが閃いた。この世界に来たことと、この靄とに何らかの関連性があるのなら、帰るためのヒントにも成り得るのではないだろうか。
……今すぐ帰りたいかと言うと、正直わからないけれど、それでも情報や手段は得ておくいて損はない。
そう考えて、恐る恐る空間の裂け目へと手を伸ばす。
おっかなびっくり、そのまま更に伸ばし……。
「ん……」
瞼の裏に柔らかな光が、私を目覚めへと導く。
ゆっくりと目を開くと、見慣れぬ天井が見えた。
元の世界で寝起きしていた自室ではなく、ブラギルフィア王城の私に与えられた部屋だ。
「あ、あれ?」
周囲を見回し、それから自分の身体を軽く触る。
今の私は既に幽体ではなく、肉体に戻った状態だ。
そして、カーテンから差し込む光から考えてもう朝だ。
「いったいいつの間に……」
昨夜、幽体になった状態で庭に出て、そこで奇妙なものを見つけた。
まるで空間の裂け目のような。あれはいったい何だったのだろう。
扉を叩く音が、私を思考の淵から引き上げた。
「王女殿下、おはようございます。失礼してもよろしいでしょうか?」
「あ、はい。もう起きております」
気になることは多くあるけれど、一先ずは侍女への対応と日常生活をこなすことにした。
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