第13話「君のことは、僕が絶対に助けてあげる」

 信じられないことだけど、抽斗の中には陛下とアスヴァレンがいた。


 抽斗の底全体がモニターになっていて、そこから別の部屋の様子を眺めるという状況が近いだろうか。

 椅子に腰を下ろした陛下に、アスヴァレンが何か話しかけているけれど、その内容までは聞き取れない。


 これはいったい何? どういうこと?

 どんな仕掛けがあるのか確かめようと、抽斗に顔を近付けたその時、不可視の力が私を引っ張った。


「えっ? えっ? あ、あっ……!」



 浮遊感、それに続いて落下する感覚があった。

 気が付けば、私は床の上に転がっていた。


「いた……」


 肉体がないのに痛みを感じるのは、錯覚なのだろうか。

 ゆっくり半身を起こし、自分が今いる部屋を見回す。

 先ほどまでいた部屋ではない。

 同じように広い部屋だけれど、もっと重厚な印象がある。


 陛下とアスヴァレンの姿を見つけ、慌てて居住まいを正したけれど、彼らは私のほうを見ようともしない。

 そうだった。

 今の私は実体がない存在だということを思い出す。

 彼らからは本当に見えていないのだろうか、と慎重に近付いて行く。


「し、失礼しております」


 そう声を掛けても、顔を上げる素振りすら見せない。

 やはり見えていないみたい、と胸を撫で下ろす。

 よくよく見れば、部屋の内装も二人の様子も、先ほど抽斗の中で見たものと全く同じ光景だ。

 抽斗そのものが入り口になり、離れた空間へと移動した……ということだろうか。


 相手からは私の姿が見えないとなると、二人が何を話しているのか気になる。

 プライバシーの侵害に該当することを理解しつつ、好奇心には抗えなかった。

 陛下は上半身裸の状態で椅子に腰を掛けている。


 ……男性の身体を見る機会など、私にはそう多くない。

 せいぜいプールや海水浴の時ぐらいで、それすら近年は行っていない。

 別に邪な気持ちがあったわけじゃないけれど、慌ててアスヴァレンへと視線を移す。

 彼の左腕を持ち上げたアスヴァレンが、小さく首を傾げた。

 肌の表面を指でなぞり、何かを見透かすように目を凝らして観察する。


「ん、効き目ありだね。綺麗に消えてるよ」

「さすがはアスヴァレンだな。では、斬り落とす必要はなくなったということか?」

「うん。……今のところはね」


 アスヴァレンは頷いてから、嘆息混じりに付け加えた。

 それから、陛下の腕を左手で支えながら、その表面を撫でる右手の親指に少し圧を加える。

 何か所かに渡って同じ動作を繰り返す内に、その顔に苦々しいものが浮かんでくる。


 私も思わず陛下の左腕を凝視する。

 あの黒い靄は消えている……かに思ったのも束の間、微かに、本当に微かにではあるけれど、不自然な靄が揺らぐのが見えた。


「表面上は消えたけれど、やはり『種』はまだ残っているようだよ。これがまた発芽して、君を構成するエーテルに改竄を加える危険性は大いにあるね。今回の薬でも、まだ『種』を除去するところまでは叶わなかったよ」

「……そうか」


 重々しく頷く陛下の頭を、アスヴァレンは幼子にするようにぽんぽんっと撫でる。


「大丈夫だよ、エル。フィリス・リュネの在庫はまだ十分にあるし、それを全部君の薬に回せば十年以上は症状を抑えておけるよ。その間に僕は、もっと画期的な治療法を確立させてみせる」

「ああ」


 アスヴァレンは、あくまで気楽な口調で言った。

 でも、斬り落とすとはあまりにも不穏な言葉だ。。

 いったい何を指しているのだろう?

 話の流れからすると、腕のことを言っているように思える。

 アスヴァレンは陛下の頭を抱き寄せ、彼の金髪に顔を埋める。


「大丈夫だよ。……君のことは、僕が絶対に助けてあげるからね」

(何があっても、絶対に。君だけは助けてみせる。今度こそ)


 頭の中にそう響いて、思わず顔を上げた。

 アスヴァレンが口に出していない筈の言葉さえ聞こえた気がしたけれど、これはいったい……?

 珍しく真剣な表情を浮かべているものの、その顔は陛下からは見えない。

 暫くそのままの体勢でいて、やがて陛下がが「そろそろ離れろ」と言った。


「んー?」


 生返事をしながら、陛下を抱き締める腕に一層力を入れる。


「おい」

「もうちょっとだけこのままー」

「お前っ、いい加減にしろ」


 陛下は語気を強めると、アスヴァレンを振り解くように椅子から立ち上がった。

 露骨に残念そうな顔で「えー」と言う彼を見下ろし、心底うんざりした様子で嘆息する。


「何故そういつもベタベタしたがるんだ」

「だってさー、仕方ないじゃないか。エルのことがかわいくてかわいくて」

「気持ちの悪いことを言うな。十七にもなった男に対して言うことじゃないだろうが」

「いくつになってもエルは僕のかわいいエルのままだよ?」


 その二人のやりとりを呆気に取られながら見ていた私は、陛下が十七歳ということに驚いて我へと返った。

 もっと年上だと思っていたのに、私と二つしか変わらないとは。

 でも、改めて陛下の顔を伺うと、私が知る彼よりも幾分かあどけない印象だ。


 そうか。

 これは同じ時間軸の別の場所ではなくて、過去の出来事を見ているのだ。

 私はそう確信した。


「……お前には何かと感謝はしているが、それとこれとは話が別だ」

「エル、僕に感謝してくれてるんだ? えへへー、嬉しいなぁ」

「自分の都合のいいところだけ抜き出すな」

「僕は今までずっとそうして生きてきたし、これからも変わらないよ?」


 そう言ってへらへら笑うアスヴァレンに、陛下は諦観を込めて嘆息した。

 アスヴァレンは壁に掛かった絵に目を留めると、笑みを消した。

 姫神テオセベイアと、彼女を守る精悍な騎士たちを描いた絵だ。

 何か思うところがあるのか、思案顔でじっと絵を見つめる。


「テオセベイア、か。姫神の交歓の儀」


 呼気に紛れさせるような独白は、陛下の耳には届かなかったようだ。

 彼は着衣を整えると、再びアスヴァレンへと向き直った。

 何かを躊躇うような、そんな表情を浮かべている。


「エル?」

「先ほどの話だがな、アスヴァレン。お前に感謝していると言った気持ちに嘘偽りはないが、フィリス・リュネの在庫を全て俺に使うことには異を唱えたい」

「え……」


 アスヴァレンが顔を曇らせる。


「神花を必要とする者は多い。それに、サリクス殿下もまだ後遺症に苦しんでおられる。俺への投与は最低限、進行を抑えられる程度にしてくれ」

「でも、エル! あんなに辛そうにしていたじゃないか。エーテルを改竄する苦痛は想像を絶するほどだって聞くよ」

「それは、俺が耐えればいいだけのことだ」


 二人の視線が交差する。

 陛下は完全な無表情で、それに対するアスヴァレンは何かを訴えるような顔だ。

 どうか考え直して欲しい、そんな想いがひしひしと伝わってくるけれど、当の陛下は自分の考えを曲げる気はないみたい。


 折れたのはアスヴァレンだった。

 詰めていた息を吐き出し、たった一言、「わかったよ」とだけ言った。

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