第5話 甘栗

「こーんにちはー」


本家の玄関を入って上がり框を抜けて、長い廊下に並んだいくつものドアには目もくれず、2階へ続く階段のすぐ横にある、台所のドアを開ける。


夏場は開け放たれているが、秋から春先まではいつもドアが閉められている。


古い日本家屋は隙間風が吹く為、とても廊下に続くドアを開けたままで炊事は出来ないからだ。


この時間は、本家の住人は誰もいない。


会社に出向いている志堂当主と、馴染みの反物屋に仕立ての相談に出掛けている志堂夫人。


次期当主となる1人息子は大学に行っている時間だ。


留守を任されているのは、長年志堂本家に仕えてきた家政婦のみ。


それが分かっているから、志堂の姓を抜けて随分たつ幸も気兼ねなく尋ねる事が出来る。


記憶に残る母親との楽しい思い出を一緒に懐かしむ事が出来る唯一の相手である佐代子との交流は、幸が大学に入った頃からずっと続いていた。


今では一人息子の一鷹とも気さくに話せる仲である。


「佐代子さーん」


ドアを開けると、流し台に立っていた中年の女性が振り返った。


皺の刻まれた顔を綻ばせて迎えてくれる。


「いらっしゃいませ。幸さん、ちょうどお茶が入ったところですよ」


「お邪魔します。わー嬉しい、ほうじ茶の匂いだ」


小さな石油ストーブで温められた台所。


食器棚の前にある小さなテーブルと椅子。


幸の指定席だ。


「外は寒かったでしょう?」


「何だか、急に寒くなって来たから、着る服に困るんです。今朝慌てて上着を出したの」


薄手の上着とストールで来てしまったので、指先が冷たくなっていた。


ほうじ茶を待つ間、ストーブの前に手を翳して指先を温める。


「あっという間に冬が来ますからねー。そうそう、幸さん、栗は好きですか?」


「栗?ええ、食べます」


「良かった、一鷹さんが大学の学園祭で買ってきて下さったんですよ」


大きめのマグカップになみなみとほうじ茶を注いで幸の前に押しやると、自分は小さな湯飲みにほうじ茶を注いでから、佐代子は幸の前に腰かけた。


飲み物はたっぷり派の幸の為に、いつからか用意されている水玉のマグカップ。


「あー・・そっか、いま丁度学園祭の時期なんだぁ・・」


学生時代がはるか昔の事のように思える。


夜までキャンパスを駆け回った日が懐かしい。


「明日までらしいですけど、良かったら行って見られたら如何です?


一鷹さんも喜びますよ」


「えー、あたし完全部外者だし・・行ったらきっとイチ君が困ると思いますけど」


苦笑してほうじ茶を口に運ぶ幸。


佐代子は何も言わずに微笑むばかりだ。



一鷹のお土産という甘栗をテーブルに広げて、広告で手早く幸が作った箱をくず入れにする。


甘栗のひとつを手に取って、殻を割りながら幸は取りとめのない話をした。


それは、仕事場の事だったり、友人関係の事だったり、この間出掛けた映画の感想だったり、可愛がっている従妹の自慢話だったりする。


まるで、普通の親子が繰り広げるようなありきたりな会話だ。


佐代子は幸の話を聞いていつも楽しそうに微笑んでいる。


早くに母親を亡くした幸にとって、佐代子は母親代わりのような存在だった。


従妹の桜の母親は子供を産んでからもずっと変わらず少女のような人で、姉妹と言った方が近しいくらいだから。


「秋服の入荷日に、可愛いワンピースを見つけたんで、取り置きしてるんです」


「幸さんはお洋服大好きですもんね」


アパレルに勤める以上、流行に乗り遅れるわけにはいかない。


いつも季節と次のブームを先取りするべく常にリサーチを欠かさない彼女は、休日の多くを洋服屋巡り使う程仕事熱心だった。


「この間見せて貰った秋服のトレンドイメージ?でしたっけ。


あのイラストの洋服も可愛らしかったですもんね」


「そう、まさにあんな感じのひざ丈のレトロなワンピースなんです。


細ベルトとベレー帽でクラシカルになるような、上品なお嬢様っぽいイメージですね」


「今日の幸さんのお洋服もとっても似合ってますよ?」


「え、ほんとですか?でも休日モードって感じでしょ?」


自分の格好を見下ろして幸は苦笑いする。


ベージュのドルマンニットにクロップドパンツ。


アクセサリーは何も付けていない。


いつもなら、ピアス、ネックレス、ブレスレットに時計と、前日からコーディネートを考えるのに。


「気張らない感じでいいと思いますけど、ねえ、一鷹さん?」


「ええ!?イチくんっ!?」


いつの間にかドアが開いていたらしく、廊下からこちらを見ている従弟と目が合った。


「いつから居たの?」


「幸さんの話の途中から。いらっしゃい」


「お邪魔してます。あ、学祭なんですってね。どう、楽しい?」


一鷹用のカップを取りに立ち上がった佐代子を横目に一鷹が幸と佐代子に挟まれる形で腰かける。



「準備は大変でしたけどね」


頷いて答えた一鷹が、視線を下げる。


テーブルに置かれた甘栗と幸の手に残ったままの殻つきの甘栗を見て微笑んだ。


「なに?」


笑った一鷹に気づいた幸が怪訝な顔して問いかける。


一鷹は笑みを湛えたまま、幸に向かって掌を差し出した。


「はい」


「え?」


「栗、剥いてあげるから貸して?」


「あ、コレは、話に夢中になってただけで・・」


「その割には殻が傷だらけになってるけど?俺の気のせいですか?」


「もう!年上をからかわないの」


「だって、ちょっと意外だったから・・・すみません」


悪びれずに謝罪を口にする一鷹の表情は相変わらず柔らかい。


「なによそれ」


「幸さんが苦手なのは、運動全般だけだと思ってたから。意外と不器用だったんですね」


カップにほうじ茶を注いで持ってきた佐代子が、その様子に気づいて慌てる。


「あらあら、先に剥いておけば良かったですね」


「違うの、佐代子さん」


「いいよ、佐代子さん。俺がするから」


「そうですか」


あっさり引き下がった佐代子は、洗濯物を取り込んでくると言って台所を出て行った。


「幸さんは食べる専門ね」


器用に栗を剥きながら、一鷹が呟く。


「みかんとか林檎なら、いくらでも剥いてあげるけど?」


「じゃあ、その時はお願いします。ハイ」


差しだされた栗を受け取って、幸がお礼を言う。


「あ、美味しい!甘い!」


「良かった。佐代子さんも美味しいって喜んでたから、幸さんにも食べて欲しかったんです。剥くのは嫌いでも、栗は好きでしょう?」


満足げに笑って一鷹が2つ目の栗を剥く。


「頑張れば剥けるわよ・・・ねえ、そんな次々剥いてくれなくっても平気よ。


イチ君も食べて。これじゃ餌付けされてるみたい」


笑った幸の顔をまじまじと見つめて、一鷹が少し思案するように視線を揺らせた。


それから、栗を持ち上げる。


「じゃあ餌付けしてみようかな?はい。あーんてして」


「えっ」


呟いたと同時に唇に栗が触れて、反射で口を開けてしまう。


僅かに触れた一鷹の親指が予想外に熱くて、何故だか心臓が落ち着かなくなった。


けれど、一鷹ののんびりした声にあっという間に現実に引き戻される。


「ね?餌付けってこういう事でしょう」


「もうっ・・」


赤くなった幸に満足したように微笑んで一鷹が有無を言わさぬ口調で言った。


「これから、毎年、幸さんの栗は俺が剥いて上げますね」

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