第4話 月下の約束

キリキリと締め付ける様に胸が痛む。


原因は分かっている。


最近、幸さんがやたらと幸せそうだから。


誰のおかげで幸せかなんて、考えたくもない。


亮誠は浮かない顔の俺に、あっけらかんとこう言った。


「・・・無謀な片思いするからだ。相手は花の女子大生!!回りがほっとくわけねェだろ?」


「・・・そんなこと分かってる」


「なら、とっとと諦めろ。んで、近場の女子高生で手ェ打て。お前なら、引く手数多だろ?こないだの、白百合の女子、結構可愛かったのになんであっさり振ったかなぁ?」


理解不能だと言った調子で続ける亮誠。


俺は小さく溜息をついて頬杖を突いた。


「じゃあ、お前が行けばいいだろう?」


「だーめ。今は年上がいーの。モノ分かり良くて、大人で口うるさくない大人の女」


つい先月まで、年下の女子高生とお付き合いしていた男が何を言う。


「・・・そのうち刺されるぞ」


呆れ顔で言い返すと、片眉を上げて笑い返された。


殺されない自信があるらしい。


「・・よくもまあ・・・そんな簡単に気持ちが切り換えられるな」


「んー?だって俺ら、やること山積みよ?ガッコの勉強に、部活、それに経営学・・・恋愛にどっぷりハマってる余裕はねーの。決められた時間を最大限に活かして楽しめる相手。俺が彼女に求めるものはソレだけ。割り切って付き合えば、気持ちなんてすぐに切り替えられる」


「・・・・お前のそういうとこ、尊敬するよ」


俺には到底まねできそうにないけれど。


呟いたら、亮誠が小さく溜息をついた。


「どのみち、泣くのはお前だ。さっさと楽な方に逃げろよ。”普通”の恋愛できるのなんて、今のうちだぞ」


「・・・分かってる」


でも、分かりたくない自分がいた。




★★★★★★




なんでこの人はこうなんだろう・・・・


途方に暮れる気持ちで、応接のソファに腰掛けたまま幸せそうな寝顔を晒す彼女を見下ろす。


☆★☆★


生徒会の雑務が予定時間内に終わらなかった為、6月の創立祭の予算編成は自宅で作成することになった。


会長、副会長ともに有名国立大を目指す優等生の彼らは、今頃予備校で勉強の真っ最中だ。


来年の自分を想像すると、うんざりする。


そんな3年生の負担を少しでも軽くするために後輩の俺達は、出来る限りの準備を進めておくのだ。


毎年繰り返されるこの光景。


去年は、書記として参加して、後方支援ですんでいたけれど・・


今年は、自分が纏めるしかない。



こういう役回りは、中等部の頃から慣れていたので別段苦痛でも何でもなかった。


ほぼ代わり映えすることのないメンバーで、毎年同じ行事を行うのだ。


もう5年目ともなれば、役割分担は確認するまでも無い。


皆、それぞれの仕事を持ち帰って、翌日の定例会で確認し合う。


それで、殆どのことは賄えるのだ。


受験生の手を煩わせるほどのことでもない。



・・・結構やる気で帰って来たんだけどな・・・



なのに。


なんで、彼女はここにいるんだろう?


それも、ひとりきりで。



やることは山積みで、時間配分も考えてある。



でも、その全ては、幸さんを見つけた時に脆くも崩れ去った、



・・・起こすべきなんだろうか?・・・



いつも出迎えてくれるはずの佐代子さんはいない。


車も無かったから、守口さんと一緒に出かけた可能性が大きい。


だとしたら、どうして、幸さんはここにいるんだ?


佐代子さんが出かけると聞いたら、すぐに帰りそうなもんなのに。



せめて、いつもの台所で、起きて待っていてくれたなら・・・


そう思わずにはいられない。


そうしたら、俺はいつも通り従弟の顔で、彼女に挨拶をしてこんなに動揺することも無く、穏やかな時間を過ごせたのに。



ここから一歩でも動いたら、彼女は起きてしまうんじゃないだろうか?


カバンを床に下ろすことすらできずに、直立不動のままで幸さんを見つめるしかない俺。


そう簡単に誰かに寝顔を見せるような、無防備な人じゃないことは良く知っていた。



もちろん、家族である俺や、佐代子さんの前では別だとは思っていたけれど・・・



いつかこんなことがあるかもとは思っていたのに。


信じられない位、動揺している自分がいた。



目の前には好きな人がいて、しかもすやすやと寝息を立てて眠っているのだ。


完全に緊張を解いた状態で。


この家に居る限り、自分を脅かすものは何にもやってこないと、


信じ切っているかのような、安心しきった寝顔で。



・・・こんな顔を、別の男の前でも見せているのだろうか?



ふいに浮かんだ疑問は、ざわざわと胸を落ち着かなくさせる。


俺の知らない誰かに、彼女が恋をしていることは知っていた。


確認するまでも無い。


明らかに、その表情が違っていたからだ。


確かめて、傷つくような自虐的なことはしたくなくて。


と、いうより、現実を直視するのが怖くて。


ずっと、気付かないふりをしていた。


見ないふりをして、やり過ごせるならそれに越したことはない。


どうしても、彼女じゃなきゃならないわけじゃない。


でも、今、側にいてほしいのは


他の誰でもない、彼女だった。


いつも、心にあるのは、俺の名前を呼んで笑う”幸さん”その人だった。


酸素不足のように、少しずつ息が苦しくなっていく。


俺は誘われるように、彼女の腰掛けるソファに近づいて行った。


足音がしたかどうかすらわからない。


けれど、彼女は穏やかに眠り続けたままだ。


室内灯の眩しさから目をそらすように、少し左側に傾いで眠っている横顔。


左手で握られたままの携帯。



誰かからの連絡を待っていたんだろうか?



チクリと胸が痛んだけれど、気付かないふりをした。


ガラステーブルの脇にカバンを置いて、彼女と視線を合わせる様にしゃがみ込む。


頬に零れた髪のせいで影になった唇が僅かに動いた。



「・・・・・」



何かを小さく呟いて、またすぐに寝息が聞こえ始める。


髪に触れようと、伸ばした指を空中で固定したまま俺はじっと彼女の横顔を見つめた。



こんなことしても、何にもならないことは誰より俺が一番よく分かっている。


どう足掻いたって、彼女は俺のものにはならない。


目が覚めて、まっすぐに俺を見つめる彼女を抱き寄せることはおろか、触れることすら叶わない。



・・いったい、どんな相手になら、その心を見せるんだろう?


この人の心を僅かでも掴んだ、顔も知らない誰かが憎くてたまらない。



天変地異が起きたって、彼女は俺をまっすぐ見ない。


いつまでたっても”従弟”という安全圏で俺と向き合い続けるだろう。



その関係が、この上なく心地よいことを俺も彼女も知っている。


”好き”という恋愛感情を、家族愛に置き換えたら悩むことも無く、この人と良好な関係を築いていけるのだ。



このままでも悪くない。


そのうち、俺も別の誰かを見つけて、亮誠のように、一瞬の恋愛を楽しんで。


そうして、いつか、志堂を守るために最適な人物と結婚する。



彼女を想ったことは、良い思い出になって、記憶の片隅に追いやられて、きっとそのうち消えていくだろう。


たぶん、それが一番近い未来。



それでも、いつか、忘れる相手だとしても。


今、彼女を好きな気持ちに、これっぽっちの偽りも迷いもない。


ただ、純粋に、この人が・・・・




深々と沈み込んだソファの背もたれに、頭を預けたままの彼女の長い黒髪に触れる。


指の間を滑る、サラサラとした感触にこれが現実なんだと思い知らされた。


肩に零した髪の流れを辿る様に、視線を上げた。


ソファの脇に付いた両手で、彼女を囲い込む。


白い頬に影を作る漆黒の睫毛。



胸が震えた。



彼女の顔を覗き込むように、体を近づける。


額に触れた髪で、幸さんが目を覚ますかと思ったけれど杞憂だった。



と、同時いっそのこと目覚めてくれればいいのにと思う。


そうすれば、何もかも、終わる。



俺は、その場を取り繕うのだろうか?


それとも、彼女に思いを告げるのだろうか?



けれど、ついに最後まで彼女が目を覚ますことはなかった。



重ねた唇の感触。


僅かに触れただけのに、俺の心臓を揺さぶるには十分すぎる威力を持っていた。


思わず触れた自分の唇。


指に付いた、淡い色の口紅。


彼女が、俺とは違う大人なんだと、改めて思い知る。


分かっていたはずなのに。



頭を抱えたくなる。


これ以上どうしろっていうんだ?


望みなんてないのに?




他のだれかで、代用なんて出来るわけない。


見え透いた嘘を吐いて、自分を誤魔化せるほど愚かでも、馬鹿でもない。


欲しいものは、目の前にあるのに。


どうしたって、この手は届かない。



ようやく立ち上がって、彼女の側から離れる。


これ以上側に居て、彼女を起こさずに居られる自信がなかった。





「あら・・・お戻りだったんですね?」


廊下に出たと同時に、台所にある勝手口のドアが開く音が聞こえた。


佐代子さんの声に俺はホッと肩の力を抜いた。


「さっき戻ったんです・・幸さん・・・寝ちゃってるみたいですけど?」


「ええ・・・頭痛が酷いからって鎮痛剤飲んでらしたんで、たぶんそのせいでしょうね」


これで、彼女が目を覚まさなかった理由が分かった。


薬の力で眠っていたわけだ。


胸に広がる嫌な感情。


後悔なんてしていないのに、妙な嫌悪感が湧く。


綺麗事を並べたって、どうしようもないのに。


「強いお薬は体に良くないでしょう?守口さんにお願いして、駅前の・・ほら奥様がいつも行かれる漢方のお店、あそこに行って貰ったんですよ」


微笑んで、紙袋から小さな瓶を取り出す。


「そう・・・あ、佐代子さん。俺、生徒会の仕事のことで、当分部屋にいるから。後で、おにぎりか何か運んでください」


「あら・・副会長になった途端、お忙しいんですね」


「もう慣れてるよ、じゃあ、よろしく」






足早に部屋に戻って、カバンを床に放り出す。


目を閉じると、さっきまじかで見た彼女の横顔を思い出してしまう。


指先には、彼女の口紅がまだ僅かに残っていた。



「・・・一生消えなきゃいいのに」



呟いた自分のセリフに驚く。


俺は、どうやら無意識のうちに彼女に溺れていたらしい。


眠ったままの無防備なあの人の唇を奪う程度には。



いつか消えるのだろうか?



胸に渦巻く思いも、痛みも、なにもかも。



カーテンを開けたままの窓からは、


細くて白い三日月が見えた。


それを睨みつけたまま、俺は自分に問いかける。



息の仕方を忘れるくらい、焦がれた。


そんな相手を、消せるだろうか?

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