第3話 階段2段分
「幸さん、そっち持ちますよ」
「だーいじょーぶよ、すぐだもん」
「いや・・・でも・・」
右手を差し出した俺を綺麗に無視して階段へと向う彼女。
素直に渡すなんて思ってないけどさ。
我が家の階段は、昔ながらの大変上りにくく下りにくい急な段差の構造なのだ。
迷路のような複雑な造りと、来客避けとしか思えないような古い階段が志堂本家のウリだと真顔で言ったのは、悪友の亮誠だったっけ?
まあ・・・分からなくも無いけど。
実際迷いやすくて、家の人間ですら上るのを嫌がる急な階段だし。
とにかく、その階段を勢いよく下りようとする従姉を止めるべく俺は後を追う。
”2階の書斎”があるなんて、言うんじゃなかった。
彼女を少しでも長く屋敷に引き留めておくために、咄嗟に言った一言だったのに。
こんなに食いつくと思わなかった。
「どんな本があるのか見に行ってもいい?」
意中の相手から、そう問われて首を横に振れる高校生の男っていないと思う。
いや、大人になってもいないって・・・もちろん、俺も例外でなく。
彼女を2階の書斎に案内して、本の物色に付き合うこと30分。
両手にやっと抱えられるくらいの量の本を選びだした彼女は、あろうことかそれらすべてを一度に持ち上げて部屋を出たのだ。
慌てて、上の数冊を取り上げたものの、いくらなんでも手すりも持たずに下りるのは危ないってば・・・ただでさえ運動神経無い人なのに・・・(言ったら絶対怒るけど)
幸さんの運動音痴は、俺と佐代子さんの間では有名だ。
大学入学式に気合いを入れて10センチヒール履いて、校門前で見事に転んだ話。
泳げないのに見栄張って出かけたプールで溺れかけた話。
上げればきりがない位、ある意味武勇伝の持ち主なのだ。
しかも、本人は自信を持って”車だって乗れる!”と言い張るんだから。
彼女が教習所に通うのを必死で止めてくれた安曇のおじさんには感謝してもし足りない。
車ぶつけてすめばいいけど・・・
彼女が公道を運転しているのを想像するだに恐ろしい。
俺が、どこにでも連れて行ってあげられるようになるまで、頼むから無茶しないでよ・・・
内心思ってみるものの。
やっぱり言葉に出来るはずもなく。
「階段危ないですって」
「足元気を付けるから平気よ。って・・・イチ君まで、あたしの運動神経の無さ馬鹿にしてるの??」
「そうじゃないですけど・・」
「たしかに、走るのも泳ぐのも苦手よ?でも、日常生活で困ったこと何かないし・・」
高校まで自転車にすら乗れなかったまさに天然記念物モノの彼女。
・・・無自覚って怖い・・・
思いっきり溜息をつきたいのを、必死にこらえて俺は彼女をなだめにかかる。
こういうところ彼女は、難しい。
言いくるめたり、誤魔化したりがきかないのだ。
幸さんのなかには”適当”がないから。
ちゃんと“納得”させないと・・・
「でも、俺がいるのに、わざわざ重たい荷物持つこと無いでしょう?」
「たかだか本の10冊よ?」
「あ・・!!」
階段の途中で無謀にも振り返った彼女の体がコンマ2秒後には傾いていた。
俺は手に持っていた本を放り出して、彼女の腕と腰を同時に引き寄せる。
信じられない位華奢な体が倒れこんで来て同時に、懐かしいような、柔らかい香りに包まれる。
彼女の長い髪が、頬をくすぐる。
一瞬、息を止めてしまった自分がいた。
もちろん、助けないわけにはいかなかったから。
自分の行動にこれっぽっちも後悔なんてしていない。
けど・・・・
その報酬として、これはどうなんだろう?
むしろ、こっちのが地獄じゃないの?
この状況でどうしたって動けないのは俺だけで。
腕の中にあるのは、確かに俺が唯一と決めたたった一人の相手なのに。
掴んだ腕を解くことも、深く抱き寄せることもできないのだ。
幸せと、苦痛とが入り混じって耳鳴りがする。
息の仕方を忘れて、めまいが起きそうな位
強く目を閉じる。
俺は、必死になって今の立場を言い聞かせた。
”まだ”追いつけないのだ。
「・・・・ご・・・ごめんね・・」
肩口で気まずそうな声がした。
そっと目を開けると、2段下の階段からしゃがみこんだ俺を見下ろす彼女がいた。
「・・・けがはない?」
思わずいつもの口調も忘れて問いかける。
立ち上がると、慌てたように彼女が目をそらした。
「う・・・うん」
俺達の立ち位置の差は、階段ちょうど2段分。
一足とびで降りられる距離。
2段飛ばしで追いつけるのに。
たった2段がめちゃくちゃ遠い。
俺は、彼女を助けるために床に落とした本を拾いあげながら言った。
「・・だから言ったでしょ?」
簡単に近づいたらだめだって。
きっともっと欲しくなるのに。
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