第35話 海斗の家へ行く
「そうだ、今度ぼくの家に遊びに来て」
「行きます、絶対行きます!」
思いがけない海斗からの提案に、麻保は舞い上がりたいほどの気分になり、本当に海斗の周りをうろうろ歩き回った。そんな不思議な反応に、海斗は思わずうろたえた。
「僕の体に何かついてる?」
「そうじゃなくて……」
麻保は、次に首を傾げたり手をぐるぐる回している。
麻保ちゃんて不思議なリアクションをするんだよな、と海斗はおかしくなり、笑いをこらえるのが大変だった。
「あまり期待しないでよ。僕は大学に入ってから実家を離れ、アパートで一人暮らしをしているんだ。だから、君の家みたいな豪邸じゃないし……がっかりさせちゃ悪いかなと思って、来てもらうのをためらっていた」
「そうだったんですね。気にすることないのに」
「本当に、無理してこなくてもいいんですよ」
「いいえっ、行きます。だって、すごいじゃないですか。親元を離れて、独立して暮らしているなんて、羨ましいです。何でも自分でできるなんて、尊敬しちゃいます。食事も洗濯も、買い物も、それから家の中のいろいろなこと、やることはたくさんありそうだけど、自分の力で立派にやっているんだもの」
「そういわれると照れるな、それほど大それたことはやってないけど、興味があったら見に来てください。だけど、本当にあんまり期待しないで」
「はい、私今後の参考にします」
とさりげなく返事をしたが、期待で胸を膨らませながらカレンダーを眺めた。今度の休日は海斗の家へ行くことが決まりその日が来るのが待ちきれないほど楽しみになっていた。
一人暮らしということは、私と二人きりになったらいいムードになるかもしれない。と麻保の妄想は膨らんでいく。
海斗の家に訪問する日がやってきて、麻保はできうる限りのおしゃれをして、ほんのり化粧し色付きのリップクリームで決めて海斗の家へ向かった。スマホを見ながらアパートを探す。大通りから一本裏通りへ入ったところにそのアパートはあった。決して豪邸とはいいがたいが小綺麗に整えられた敷地には駐車場と小さな植え込みがあり、洒落ていた。アパートは鉄筋造で、白い外壁が綺麗だった。
階段を昇り二階の海斗の部屋の前で呼び鈴を鳴らした。ピンポーンと明るい音がして、は~い、と聞きなれた声がした。
「麻保です、こんにちは」
「ちょっと待っててね」
ちょっとドキドキしてきた。さて、どんな部屋なんだろう。男性の部屋へ呼ばれるのは初めての経験で、どんなリアクションをしたらよいのかもわからない。
ドアが開き、短パンにTシャツ姿の海斗が現れた。すごいリラックスした服装。それはそうよね、自分の家にいるんだもの。驚いたように目を凝らす麻保に向かって、海斗が言った。
「わあ、可愛い」
「そ、そうですか」
海斗の視線が麻保の足に向かう。麻保もTシャツにスカート姿。少しフレアがかっていて、体を動かすたびにふんわりと広がる。まあ、回転するようなことがなければ広がりすぎて舞い上がることはないが。
玄関には、スニーカーが何足が並んでいる。見覚えのある靴があった。真正面に廊下が続く。
「さあ、こっちへどうぞ。といっても一部屋しかないけど」
「へえ、ここが海斗さんの城ですね」
玄関を上がり廊下を抜けるとキッチンが見えた。キッチンの前には小さなテーブルがあり椅子が二客置かれている。あれ、二客ある。一人暮らしなのに。
「あら、二客ある」
「一つしか椅子がないっていうのも、変でしょう。誰かが来たときに、座る場所がないから」
「そうですね」
と答えたが何故か不安な気持ちになる。考えすぎは良くない、と疑念は打ち消した。
「二人用のテーブルでよかったな。麻保ちゃんも、気兼ねなく座れる。どうぞ」
「はい、では遠慮なく」
と座り思わず部屋を眺めてしまう。あまりじろじろ見るのも悪いから、海斗がキッチンの方を向いた好きに観察する。
八畳ほどの洋間には窓際にベッドと机が置かれていてパソコンが設置されていた。部屋の真ん中には小さなカウチと背の低いテーブルがあり、テレビが置かれていた。
「狭いから必要最低限のものしかないけど」
「いいえ、十分必要なものはあります。これだけそろっていれば、一人暮らしも充実してできるでしょうね」
「まあ、そうかな」
海斗は、恥ずかしそうに笑い、テーブルにグラスを二つ置いた。
「うわあ、ソーダですか」
「レモンスカッシュ」
「素早い」
さすが海斗さん。手際がいいわあ。はじける泡に感激しながら、からんと氷の音をさせてストローでレモンスカッシュを飲んだ。
「美味しい」
「でしょう。これ得意なんです」
すごいわあ、こうやってさりげなくおもてなしをしてくれるんだわ、と口の中で泡がはじけていた。
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