第32話 波に遊ばれる麻保
「海へはよく来ますか?」
子供のころに着た記憶はあるが、中学生以降は誰とも来ていない。
「小学生以来です。なかなか来る機会がなくて。あの……海斗さんは、海へはよく来るんでしょう?」
夏のデートには、うってつけの場所かもしれない。契約彼女に誘われて、来ることもあるのではないだろうか。
「いいえ、久しぶりに来ました。高校生の時に一度来ましたが。海っていいよなあ。来るまではおっくうだけど、開放的な気持ちになる。あっ、なかなか行こうと思わないってことです、きっかけがないと」
「そうですよね。なんで今まで来なかったのかなあ、こんないい場所なのに。なかなか、チャンスがないと来られないんですよ、えへっ、えへへ……」
と訳の分からない笑いでごまかす麻保。海斗はそんな麻保を不思議そうに見ている。
「その水着、いいですよ、似合いますね。それに、ちょっといつもより大人っぽくなる」
「わあ、ありがとうございます!」
新調してきたかいがあった。それに、年齢より上に見えるっていうのは、意外と私ってセクシーなのかな。
「海斗さんも素敵ですね。とっても似合ってます」
「僕のは高校生の時に買ったトランクスです。履いてみたらサイズが変わってなかったから、これにしました」
カーキのトランクスが野性的で、程よく筋肉のついている海斗の体にマッチしている。それに、海の色にもよく映える。
「場所も取ったし、入りましょうか。それとも砂浜で遊びますか。砂山を作ったり、もぐったりして」
「せっかく来たんだから、まずは海に入りましょう!」
「そうだね、じゃ、レッツゴー!」
水泳はあまり得意ではないから、水深の浅いところじゃないとだめだけど。海へ向かって海斗を先頭に駆け出す。
素敵、ドラマのワンシーンみたい、と麻保の気分は盛り上がる。
「わっ、冷た~い」
「本当だわ」
「暑いからちょうどいいや」
「きゃっ、気持ちがいい~~!」
波打ち際で足をつけると、打ち寄せる波がざばんと足を濡らす。
「もうちょっと進もう」
「はい」
さらに数歩沖へ進む。波が体に打ち付けてしぶきを上げる。
「楽しい、うわっ、今度の波は大きそうです」
「おお、もうちょっと、前に行きましょう」
海斗が麻保の手を引っ張っていく。大きい波が来来ると体全体に当たり、白い波しぶきが心地よく体を濡らす。
「あ、この辺でいいです」
「もう、怖いの?」
「だって、私あまり泳げないんです」
「僕につかまってれば大丈夫」
「えっ、そんな」
うわっ、そんなことを言われて、恥ずかしいな。でも、思い切ってつかまろうかな。
と迷ってると、海斗は麻保の手をぎゅっとつかんだ。
「あっ」
「少しぐらい大丈夫」
「まあ……」
「僕のほうが背が高いからね」
麻保はギュッと海斗の手を握り、波が来ても何とかさらわれないように足を踏ん張る。
「ほら、ほら、そんな怖い顔をしなくても大丈夫だって。つかまってれば」
「では、遠慮なく」
こんな時に、こんな受け答えをする自分が情けなくなりながらも、手をしっかり握る。おおっ、また波が来る。思い切り手を掴んで、顔に波が当たらないようにガードして、背中を向けたりしながら、やり過ごそうとしたのだが、波は容赦なく麻保の顔を直撃した。
麻保は息を止めて踏ん張る。数秒頑張れば、波は言ってくれるはず。海はプールと違って、波の上下に従って水深が浅くなったりものすごく深くなったりするのだ。
波が引くと、水深は麻保の腹のあたりに下がった。
「わ~~ん、波がすごかったです!」
「アハハ」
「もう、笑わないで! 怖かった~~」
「本当だ。顔までびしょ濡れになってる」
もうのんきなことを言って、自分が背が高いものだから、自分より低いものの気持ちなんてわからないのよ、と心の中で毒づいた。
「僕に掴まっていれば、濡れないよ」
「ほら、全然濡れてないでしょ」
海斗さんの顔は全く濡れていなかった。身長の差だから仕方ないのだ。
そうこうしているうちに次の波が来るではないか。
「ああ~~っ、波がっ!」
「ほらほら、掴まって」
麻保は思わず濡れていないという海斗の方へ体を投げ出すように両手を広げた。そして、体ごと足を浮かせるようにしがみついた。
「わあ~~~」
「……おお、」
麻保の両腕は、完全に海斗の体を掴み、それどころではなく完全にしがみついていた。だが、そんなことを意識している場合ではない。できるだけ、背伸びをして海斗と同じ高さまで体を持ち上げて、顔を出していなければ、と思うと顔もぴったり海斗のわきにくっついていた。
よ~し、大波でもなんでもいらっしゃい。麻保は覚悟を決めて、万全の態勢になった。
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