第29話 ファーストキスは突然に
熱帯の動物たちのコーナーもあり、麻保は歓声を上げた。爬虫類は、肌がごつごつしていて、目玉だけがくりくりと機敏に動くところがおかしかった。
「楽しかったわあ。誘ってくれてありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ、着てくれてよかった。ずっと気になっていたところなので、一緒に来られてよかった。ちょっと座らない?」
海斗は、展示コーナーの隅のベンチを指さした。
「おお、ちょうどいいところにソファが。だいぶ歩いたので、ちょっと疲れました」
「ワンちゃんのお散歩にも行ったからね」
薄暗いコーナーには人気がなかった。人間は二人きり、魚だけが向こうの水槽で静かに泳いでいる。
「あの……」
「なに」
「ちょっと」
顔を見合わせた瞬間、麻保のすぐ目の前に海斗の顔があった。これ以上接近すると、くっついてしまうほど近い。海斗が体をずらし、ぴったりと麻保に体を近づけた。
「あっ」
「静かに……声を出さないで」
覆いかぶさるように海斗の顔が麻保の上に来た。
次の瞬間海斗の唇が、麻保の唇に重なる。
麻保はあまりの衝撃で動けなくなった。
これは、キス。まさしくキス! キス以外の何物でもない! 麻保にも当然わかる。
唇の上に唇が重なって、ほんのり温かく湿った感覚がくちびるいっ敗に広がる。。
それはほんの一瞬で、すっと海斗の唇が離れた。頬に赤みがさしている。麻保は、あっけにとられてじっとしていた。
だが、上を向いてはいられない。海斗と目を合わせることができず、じっとうつむいてしまい、言葉も発することができない。どんな反応をしたらいいのか、何を言ったらいいのかもわからない。ただ、甘い感覚だけが体を包む。
そのまま一分が過ぎ、二分が過ぎ、不安になった海斗が先に言葉を発した。
「あの……」
「は……はい」
「怒ってないかな?」
「ない……です」
「じゃ、よかった。素敵でした」
「そう……ですね」
こんな返事じゃ間が抜けすぎている。怒ってないことを表さなければ、海斗さん困っている。ここはひとつ行動で示そう。
手をそっと差出海斗の手に触れる。ピクリと震えた手が、ぎゅっと麻保の手を掴んだ。
「麻保さんは、単なるお客さんではなくて、特別な人です」
「えっ、特別」
特別とは、ほかのお客さんたちとは、違うということ。その言葉が胸の中でこだまする。
契約彼氏として付き合っても、自分はほかの人たちとは違い、仕事上だけの付き合いではない。そういう意味だ。特別な好意を持っているということ。フワフワと体が舞い上がっていくような気持ちだ。ではその気持ちを伝えなければ。
「特別って、最高です。嬉しい」
海斗の腕に手を回す。こういう動作、よくカップルがやってるわ。自分もその仲間入りできた。念願がかなった。水槽の魚たちも自分を祝福しているように見える。
そんな麻保の喜びようを見た海斗は、再び麻保の顔に自分の顔を近づけた。今度は麻保の唇に軽く数回優しくついばむようにつけて……次に唇同士をきつく振れ合わせた。
「うぐっ」
思わず声を出しそうになる麻保。人差し指で海斗が制止する。
「しっ」
唇と唇が重なると、どこまでが自分の唇でどこから相手の唇かわからないような不思議な感覚になり、そこだけが熱くなってゆく。海斗さんの唇って柔らかい、というのが素直な麻保の感想だった。それも素直にいおう。
「柔らかい、海斗さんの唇」
「麻保ちゃんの唇はもっと柔らかいね」
胸がくすぐったくなる。目頭がじ~んと熱くなり、体の中がしびれるような気分。
胸の奥から、体中まで優しい気持ちに包まれていく。麻保のファーストキスは飛び切り素敵な体験だった。
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