第5話 夢心地になる麻保

 二人で会話をしていたところへ、ワンちゃんが入ってきた。


 小ぶりながら、意外と存在感がある。ちょこまかと家の中を自由に歩き回っては、家族の動向を探っているんだろう。新参者の俺を観察しに来たのか、麻保の足元へすり寄って視線はなぜかこちらを向いている。


体を擦り付けてから、今度は彼女の顔をじっと見た。


かまってもらいたがってる。それと俺に何かコメントしてもらいたがっている。


そうか、それなら言ってやるぞ、ワンコ!


「可愛いワンちゃんですね~~。お名前は何というんですか?」と猫なで声で質問する。


 麻保は気が利かないわね、もう。いいところだったんだから。タイミングが超悪すぎ、と心の中で毒づいてから答えた。


「ミッキーです~。ミッキーマウスのミッキー」

「へえ、ワンちゃんなのにミッキー君ですか」

「ネズミの名前を付けるなんて変ですか?」

「いや、そんなことはありません。すばしっこい彼にはそんな雰囲気があるから、ピッタリな名前だと思います」

 

 いわれた本人、いや本犬は、よろしい合格だって表情で尻尾を一振りし、麻保の足元に座りながらさらに体を擦り付け、クーンと甘え声を出した。


「お散歩の催促かな?」

「まだ大丈夫です。朝私が連れて行きましたから」


 麻保はひとしきり体を撫でた。


 私の様子が気になってきたのかな。いいや、それは違う。見慣れない人が来ているから、好奇心から覗きに来たんだわ。


 さすがミッキー。我が家の重要なメンバー。


 さて、ここにいる彼は、お眼鏡にかなったかな。犬の感もばかにはならないもんだからねっ。


「ミッキーいい子ね。ちゃーんとおとなしく座ってるわね~~」

 と、麻保も猫なで声で答えた。


「本当、いい子ですね。躾がしっかりしてるんですね」


 そんなことは決してないのだが、ワンコはさらに優越感に浸っている。鼻をひくひく動かし、あたりを気にしている。さすがワンコ、優れた嗅覚を持っている。


 タイマーもピピっと合図した。鍋を開けてみると……。


「おお、そろそろいい具合に煮えているようですよ」

「わあ、楽しみ」

「お口に合うといいですが」

  

 と言って、味見用に出した小皿にスープを取り、私に出してくれた。いい香り。野菜のまろやかさが調和した黄金のスープ。


「では、いただきます」


 急に空腹感が押し寄せた。


「いいお味です!」

「よかった~~」


 この仕事を始めて調理の勉強をしたので、自信は全くなかったのだが一安心だ。


「私もう、昼食にします」

「そう、じゃお皿に盛りますからお待ちください」


 さらに、肉やジャガイモニンジン玉ねぎなどの具材が盛られたポトフが優しい香りを醸し出し湯気を出している。


 熱々の野菜を口に含む。これは沁みるなあ。十九歳の大学生の彼が、どこでこんな料理の修業を積んだんだろう。


「美味しい! ほっぺが落ちそうです」

「良かった。喜んでもらえて」


 素敵なセリフ。まるで姫に使える執事のようだわ、と麻保はうっとりする。


「おいしいな……」


 この人が、自分のために作ってくれたのかと思うと、体が震えそうになる。


「そうですか……あまり自信はなかったんですよ」

「あら……でも、上手です」

「それじゃ、僕は、そろそろ時間になったので、失礼します」

「あ……もう時間なんですね」


 あ~ん、時間って残酷だわ、と麻保は時計の存在を恨めしく思った。別に時計が悪いわけじゃないんだけどね。


 この仕事が終わったら、一応今日は終わりだと聞かされている。ま、そのことは黙っていなければならないらしいのだが、帰りのあいさつはしなければ、と礼儀正しく言う。また声をかけてもらわなければ、バイト先が減ってしまうので、年下にも敬語を使うのは必須だ。


「じゃ、またよろしくお願いします」

「また来て……くれますか?」

「はい、呼んでくださればいつでも」

「えっ、いいんですか……」

「もちろん」


 わあ、嫌われないでよかった! バンザイ! 


 彼氏代行……呼べばいつでも来てくれるんだわ、と麻保は夢心地になった。



――――――――――― 💛―――――――――――


※次回の投稿は5月30日午後の予定です。

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