第2話 新しいバイト先

 俺は杉山海斗(すぎやまかいと)十九歳。大学の友人である相馬旭(そうまあさひ)からあるバイトを紹介されつい一か月ほど前から始めたところだ。彼の高校時代の先輩で同じ大学を卒業したという人が、卒業後始めた人材派遣会社だ。


 卒業後すぐに起業するなんて大したものだ。それだけでも感心していた。俺も同じ志を持つものとして、卒業後はいつか起業しようと漠然とした思いを抱いていた。夢を持つだけで、ノウハウなどは全くわからず思いあぐねていた矢先のこと、これは渡りに船と飛びついた。


 将来この仕事で培ったノウハウがきっと役に立つ時が来る、とにらんでいた。


 そして、今日のバイト先は……俺はもらってきた仕事先のリストを見て住所と照らし合わせてみた。


―――この家か。


 本当に、ここなのか! 大きいなあ。


 再びスマホを取り出し、位置を確認するが、間違いなのではない。


 白い洋風の建物に、赤い屋根。上がくるんと丸みがかった窓際には花柄のカーテンがかけられている。まるでおとぎ話に出てくるような少女趣味、基い華麗な建物。


 さてさて、どんな人が住んでいるのだろう。怖くはあるが楽しみでもある。庭の周囲には種類の異なる木々が植えられ、家の周囲にはこれまた建物に輪をかけて可憐な花々が咲いている。ガーデニングをこよなく愛する一家なのだろうか。


 手入れが行き届いている、ということはかなり人の手が入っているということ。これらの植物を美しい状態に維持するのは大変な仕事だ。まあ、プロの植木職人が手入れをしていて、ここの住人は手を汚すのは大嫌いなんていうことは、よくあることだ。部屋数は、いくつぐらいあるのだろう。かなりありそうだ。


 これだけ大きい家……掃除のし甲斐がかなりありそうだ。俺にとっては願ってもないことだ。


 さて、と。家族構成は……四人家族だ。両親に娘が二人。上の娘の知り合いがうちの以前からの顧客だとかで、紹介されて姉が連絡を寄越したそうだ。


 呼び鈴を押す。涼やかないい音だなあ。


 出てきたのは……この家にぴったりの華麗な少女。


 ロングヘアの前髪をさらりと片手で持ち上げ、きりりとした目でこちらを見つめた。


「杉山海斗です。よろしくお願いします」

「あの、大学生ですよね。やっぱり、若いわね……」

「はい、現在十九歳ですから、若いといえば若いです」

「合格だわ」

「僕なんかでよろしかったのでしょうか。こんなに立派なお宅……」

「いいのよ、ばっちり。お待ちしていましたよ」

「ありがとうございます」

「どうぞ、まずは中へ入って!」

「はい。あのう……家の中では、この仕事のことについて内緒というのは……」


 姉は「汚れてるから、よろしくお願いしますねえ」といいながら、指を口元へもっていきながら、部屋の中へ招き入れた。


 家事代行でこの家に来ていることを、妹には内密にしておいてほしいとささやかれた。


 なぜなのかな。


 よほど気難しい妹、もしくはひどい人見知りなのかな。まあいいや、仕事はすべて姉を通して申し込みがされるということだから。


「かわいらしいワンちゃんですね」とあたりさわりのないことを言うが、姉の後ろからじっとこちらの様子をうかがう様子は、一度も会ったことがない、いとこが訪ねて来た時の幼い子供のような様子。


 おまえいったい誰だよ、っていうようなヘンテコな顔をしている。かと言ってワンワン吠えるわけでもない。警戒心がなく、番犬としては向いていないようだ。


「そうでしょう。柴犬だけど、とってもかわいいんですよ。妹に一番なついてるみたいで」

「そうですか。妹さんは?」

「あのう、キッチンにいます」

「食事中ですか」


 といってもすでに十時を回っている。のんびりとブランチを楽しんでいるところか。


「いいえ、もう朝食は済ませています」

「そうですか……」


 まあいい。誰かがいても仕事に支障はない。


「掃除が済んだら、昼食の準備をお願いしますね」

「かしこまりました」

「まずは、一階のお掃除から」

「はい、さっそく始めます」


 俺はエプロンを付け、まずは玄関の床などの掃除を始めた。掃除機をかけ、次にモップをかける。多少犬の毛が落ちてはいるが、それほど汚れはなかった。廊下の掃除がすんなり終わり、リビングへ入った。


「失礼します」


 あれが妹か。キッチンテーブルの隅にちょこんと座っている。ショートボブの髪形につぶらな瞳。高校生ぐらいかな。いや、中学生かもしれない。今時の女の子は大人びているからな、とおじさんのような感想をつぶやいた。もちろん心の中でだ。


 鈴のような小さな声が聞こえた。


「あなたは?」

「僕は杉山海斗といいます。僕のことは……気にしないでください。ちょっと部屋を掃除しますけど……」

「そうですか……私は……麻保です。よろしく……」

「こちらこそよろしく」


 と言いながら、妹は目を伏せてしまった。相当な恥ずかしがり屋のようだ。


 おお、俺の仕事については秘密にしなければならなかった。この家には家事代行の仕事をしに来るのだが、それについては妹には内密にしてほしいと言われている。だが、こうして掃除したり食事を作ったりしていれば、どんなに鈍感な人でも俺が何をしに来ているのかは予想がついてしまうだろう。


 何のためにこの娘に秘密にするのか姉の意図は全くわからないが、まあいい。それぞれの家にはそれぞれの事情というものがあるのだ。それを飲み込んで仕事をするのも家事代行業を続けるコツ、と教わっている。


 余計な詮索は禁物、と早速仕事にとりかかった。


 不思議な妹は、うつむいたまま目だけをこちらへ向けてこちらの仕事ぶりを観察している。おお、あとで褒めてもらえるように、せいぜいしっかりやっておこう。

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