第5話 美里の留守番

「行ってらっしゃい」

「ああ……」


 なんか逆のような気がするが、仕方ないバイトへ行かなければ、とハヤトはドアをバタンと閉めた。


「細かいパーツの組み立ては神経を使う。余計なことを考えないで集中しよう」


 ハヤトが出かけたので、美里は大急ぎで食器を洗ったり、掃除機をかけた。自分の食べた分は仕事しないと申し訳ない。カーテンを開けると外の日射しが眩しい。ここはちょっと裏通りに入っているので車の往来の音は聞こえず静かだ。


 ランドセルを背負った数人の小学生がおしゃべりをしながらのんびりと歩いている姿や、仕事へ向かう人達が見える。それを上から眺めてから美里はテーブルに座りメールをチェックした。


 母親や友人からメールが入っていた。居場所を尋ねるメールばかりだが、いちいち返事をするのも面倒くさく放置していた。それに昨日から何かと忙しかった。


 さて、返信しようかと思っていると今度は母親から電話がかかってきた。鋭くスマホをにらんで出ようか出まいか考えた。数回着信音が鳴ってから電話に出た。だって聞かれることはいつも決まってるんだもの。


「ああ、やっと出た。今何をしてるの? それから、どこにいるの?」


 という矢継ぎ早の質問。ごくりとつばを飲み込んだ。


「ちょっとお、答える暇もないわよ。今は友達の家にいるの」

「また、友達の家。相手の人だって迷惑じゃないの? まるで親が面倒を見ていないように思われるでしょう、まったく!」

「その通りじゃないの、格好つけることないわよ今更」


 家にいたからと言って、面倒を見てくれるわけではない。夜の仕事をしている母親と自分の生活時間は正反対。食事から何からほとんど自分でやっている。ただ寝る場所があるのはありがたいが。だから迷惑なのは、いちいち電話してくる母親の方だ。大して心配しているわけでもなく、ただ所在だけを確かめるとすぐ切ってしまう。美里にとっては友人の家の方が居心地がいいし、気持ちも落ち着く。


「しょうがないわなね」

「だってたった一人きりの娘でしょう」

「まあ、居場所だけは連絡するわ。しつこく連絡されてもかなわないから。元気でやってるから大丈夫よ」

「そう、それならいいけど」


 私は私でやることがある。両親が離婚すると同時に、父親と離れ離れになった。美里は中学生、兄はその時高校生だった。大好きだった兄は父親に引き取られ、離れ離れになってしまった。


 ああ、お兄ちゃん今どこで何をしているの。


 お兄ちゃんだけが私の見方だったのに、会いたいよお、と美里は取り込んであった兄の写真を見てつぶやいた。


 母親なんかどうでもいいのよ、いつだって好きなように生きてきたんだから。兄貴のことが一番心配。両親に馬鹿にされている私のことをいつも守ってくれたんだ。


 ああ、今どこで何をしているの……。


 兄のことを思い出すと自然と涙があふれてくる。ぎゅっとスマホを握りしめる。


「そんなことばかり考えてもいられないんだわ。買い物に行って必要なものを買いそろえてこなきゃ」


 美里はできるだけ安い服をそろえようと、買い出しに出た。コンビニで百円玉を拾いここへついてきたのは、たまたまハヤトが兄が働いていたらしき会社の紙袋を手に持っていたからだ。それも友人からの情報だった。手がかりが少ないのだ。


 だから、ひょっとしてこの人兄と一緒に働いていて、意外と早く見つけ出せるのではないかと期待したのだ。だが。うまくやらないともう会わないほうがいいと逃げ出されてしまうかもしれない。さりげなく接近したいところだ。


 ハヤトが、面倒くさいから知らないと即答してしまったら、それっきり探すきっかけがなくなってしまうかも知れなかったからだ。百円さえ持っていないほど貧乏だったわけではない。


「お兄ちゃんにちょっと接近できたみたい。これからうまくやらなきゃ」


 美里は唇をきゅっと結んでから、クレジットカードの入ったバッグを持って外へ出ることにした。

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