第41話 夕食の話題

 畳まれた脚立を小脇に抱えてやって来ると、鹿能は脚立を無造作に脇に置いて縁側に座り込んだ。すると直ぐにひと仕事終えた鹿能の為に、千鶴さんが紀子のりこさんを呼んでちょっと甘すぎるかしら、と虎屋の羊羹と緑茶を持ってこさせた。千鶴さんは立ち去る紀子さんも誘ったが、今日は夕食の手が抜けられないと引き下がった。

「白石さんで無く急に慣れない枝の剪定なんか頼まれて驚いたでしょう」

 と緑茶と羊羹を勧めた。肝心の希未子さんは手入れの終わった枝を見ていて何も言わない。

「あの人はもう高い処の選定は無理ですからでも指定が無ければ立花さんがやっていたでしょう」

 ともっぱら何も言わない希未子さんを横目で見ながら千鶴さんばかり喋っている。当の希未子さんは鹿能が二つの枝を見事に分けてしまった辺りを、何かに取り憑かれたようにじっと眺めて居る。仕方なく彼女をそのままにして千鶴と鹿能は緑茶を飲みながら羊羹を食べ始めた。

「多分ね、あの時に白石さんの手の届かない高い枝の剪定をお前に指定して来たが大丈夫かと立花さんに聞かれたけれどご指名ならしゃあないなあと言われました」

「あらそうなのじゃあ矢っ張り希未子さん鹿能さんを指定したのは正解ね」

「あれは希未子さんが電話したのですか」

「残念でした電話をしたのは紀子さんでーす」

 千鶴さんはまるでクイズに外れた解答者に言う様に喋られた。それが却って今までの仕事がゲーム感覚みたいに、安請け合いされれば堪らないからちょっとムッとした。

「これは秋になればグラデーションの様に染まる紅葉もみじとあの常緑樹が溶け込んで見ものだと思うでしょう」

 と希未子さんがおもむろに口を開いた。それを聞いた千鶴さんも作業を終えた辺りに眼を遣る。確かに絡まる枝は見事に払われているが、伸ばした小枝だけはその境目が判らないままに茂っている。しかしよく見ると二つの形の違う葉が微妙に濃淡を付けるように、かろうじて以前の二つの枝らしき境目を形作っている。

「そうねよく見れば秋になると一方は赤く染まるけれどもう一方は緑のままだから希未子さんの言うようにこれは枝先が細かく切り分けられて赤と緑が天然色のグラデーションのように交わりそう」

「成りそうでなく間違いなくそうなりますッ」

 と希未子は力強く言い切ってやっと緑茶と羊羹に手を付けた。

 この枝葉による飾り付けは、千鶴さんに依って夕食時には家中の評判になった。

 お義父さんはともかく、健司は特にこの話に耳どころか口まで突っ込む始末だ。

 義祖母は「夕食時ぐらい静かに咀嚼するものですよ」とたしなめながら「おじいさんがまだ居たらさぞかしこの孫息子のていたらくを嘆かれたでしょうね」と奥の仏間に眼をやった。

 希未子さんはそんな周囲の揉め事をさらりと流して、静かに食べている。それが千鶴さんには不可解らしい。この後はこの人はどう出るのか判らないからだ。だってあの後、希未子さんは鹿能さんに何も云わずに、そのまま帰してしまったからだ。後で紀子さんがもっとねぎらってあげるべきでしょう、と言われても、希未子さんは作り笑いを浮かべただけだった。

 結局あたしと紀子さんとでお礼を云って、玄関までお見送りをした。これまた不思議なのは鹿能さんまでが、希未子さんとは余り語らずに帰って仕舞った事だ。

 夕食の話題は今年の秋はそんな見事な紅葉が見られるのかに集中した。これはもっぱら内の健司が音頭を取っているから、つまらない出来栄えになれば困るのは鹿能さんだろ。そうなると内への出入りは難しくなる。そう考えるのは千鶴さんだけで無く、多分希未子さんもそうなのか、この話には余りにも乗ってこなかった。

 もっぱら今日の話題は、丹波の親戚から届いた鹿肉のジビエだ。これを紀子さんは此の夕食によりを掛けて作っていた。二人の部外者は鹿能が来るまで手伝っていたが、それはさほど味には影響していない。何故なら紀子さんは、肝心の味付けで無く、材料の下ごしらえにと、野菜の皮むきと裁断しか遣らせて無いからだ。肉とスープが絶妙らしく主人の総一郎が、これじゃあ暫くは食費を切り詰めて粗末な食べ物にならないか、と心配するほど高級ブランド肉に匹敵する味付けらしい。これには祖母から、そんなけち臭い事を言うもんじゃないと咎めて、実に柔らかくて食べやすいと褒めている。

 隣の健司も舌鼓を打ちながら、紀子さん賞賛している。千鶴さんが気になったのは、一人黙々と咀嚼する希未子さんだった。その彼女が、この夕食に招待すべきだったわね、とポツリと言うと。みんなは一時箸を止めたほど気にしたようだ。庭の剪定現場にいなかった連中にすれば、既に陽は落ちて庭を観てもどう変わったのか、その違いがイマイチ解り難かった。それで白石さん程ではないだろう、と此の言葉の意味を深く察しきれなく、また話題は料理に戻った。丹波の親戚の話では春先より、冬を前にした晩秋が良いらしいから、今日のはそれだけ紀子さんの腕が良かったと云うことで夕食は終わり紀子さんは帰った。


 希未子は鹿能に次の休日を電話で聞くと、その日に会いに彼の部屋へやって来た。彼女は一通り部屋を覗くと、いつもの通り代わり映えしないのね、と囁いてそのまま上がり込むかと思えば外へ出た。

「何処へ行くの」

「散歩、だって天気はいいし吹く風も心地よいんですもの」

 そういってアパートの階段を下りた。彼は戸締まりと身支度をして後を追った。希未子は階段下で佇んでいる。薄いカーデガンに膝丈のスカート姿が、朝陽を浴びて背景の東山から昇った陽が眩しかったが、彼女の髪を陽射しが後光のように縁取っていた。

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