第35話 片瀬の忠告
「私が見つけられなかった
片瀬は酸味の利いた珈琲を一口味わってから続けた。
「それがなんで有るかそれは希未子さん自身が持って生まれて長い間に培われたものなんでしょう」
更に希未子は時々不思議な事を言う。あの器量で言われると取るに足らない事でも無視できないらしい。
馴れ初めは亡くなった波多野総一氏にホテルのロビーで孫娘を紹介されたのが切っ掛けだ。入社早々にあるホテルのロビーに行くと、彼女はご覧の通り人を食ったような面構えで、足を組んで座っていたんだ。そこへ会長が、お前に合わせたい人が居ると私を連れて会長から紹介して貰った。すると彼女は慌てる様子も無く静かに立ち上がって、希未子と名乗りおじさまから伺っていた片瀬井津治さんってあなたなのと急に淑やかにされて挨拶された。
俺は直ぐに会長の顔を窺うと、相手は俺のことを知った上で来ているのだと判った。だがこっちは彼女の事は何も知らなかった。
「孫娘は余程のことでないと滅多には人と会おうとしないが、どう言う訳が君の素性を話すとじゃあ逢ってみると言い出してねそれで連れて来たんだよ」
そう言うなり後は君たち二人に任せたからわしはこれで失敬すると言って、サッサとホテルのロビーから引き上げてしまった。急に何の予定も無いままにその場に取り残されてしまったんだ。戸惑う俺を尻目に、彼女はエスコートするようにホテルのロビーを離れた。
「それが彼女との最初の全く予期せぬ出会いだ」
「それで
「どうも彼女は会長から俺の嗜好を聞かされていたのか映画館へ連れて行かされた」
「どんな映画ですか」
サスペンス映画もので特にラストのどんでん返しが凄いミステリーな映画だった。流石に映画館の前まで行かされたときにはビックリした。感情の起伏に富んだ中にも淑やかさを秘めている感じの人ですから。エッこんな映画を見るのかと思ったら、片瀬さんの好みでしょうと言われて、ハアーと我を忘れた。会長の好みに合わせて映画の話も随分とした。それで映画好きだと思われたようだが、あれは面白くて結構出会ったばかりの二人には話題に事欠かず愉しいデートだった。これには会長の早とちりもいい物だと機嫌を良くして、上々の出だしだったのが半年も持たずに彼女とは調子がズレてきてしまった。
「何がいけないんですか」
「どうも彼女の思い違いのようだ。ちょっとした事を気にし出すと全ての物が気に入らなく成りだして無理難題を押し付けて邪険に扱われた」
「その切っ掛けは何なのです」
ある日突然に起こったもんじゃない。少しずつひび割れが大きくなるように、気持ちの行き違いが起こり始めた。ひとつひとつの言葉に反応していた解釈がこないだと微妙に違って来る。まあそう謂う見方もあるかと思える程度だから聞き流していた。しかし次のデートでは矢っ張り違うと確認できるほど、彼女の言い分がハッキリとした一つの行動に現れるようになった。それでも彼女に合わして行くうちに次第に控え目になり、気が付いたときにはもう修復不可能にまで彼女との心が開いてしまった。すると彼女は今まで曖昧に濁らせていたものが、ハッキリ主張するようになり、更に要件が満たされなければ会ってくれなくなった。要するに恋人から友人に格下げされた。その訳をこの前に一時帰国したときに彼女の口から告げられた。
「あの時ですか」
それがこの前に鹿能が指摘した。あなたには無くてわたしにはあると言い切ったものらしい。あれは希未子さんが言わせたのだが……。
「そうあの時に」
己自身を切磋琢磨出来る人と、そうでない人を、希未子さんに見分けられた。その違いが現れる人が彼女に魅入られる。それが彼女の恋愛感情なんだ。
希未子が鹿能さんに有って俺にないものを見つけ出した。それは単なる外見、上辺じゃあない。もっと掘り下げたもので、言い換えれば彼女はあなたのような人を待っていたんだ。だけど彼女はじっとしていない。鹿能さん、あなたは今以上に磨かないと飽きられてしまいますよ。具体的に示すと、恋は一歩後退二歩前進と云うように、駆け引きなのに、彼女にはそんな
「向上心が途絶えたと思うその判断の基準は何なのですか」
「それを掴めば鹿能さん、あなたの恋は永遠に続くが、その見極めを見誤ると私と同じ二の舞いに成りますよ、同じ
彼女を失いたくないのならあなたの思想信条が彼女の希望に打ち勝つように、少なくとも希未子の魅力がある間は常に努力を惜しまないようにする。それがあの人と長く寄り添えるあなたのたったひとつの道ですから。
「
「そう、荒野に足を踏み入れる覚悟を持たないとあの人との愛は覚束ないでしょう」
片瀬は酸味の利いた珈琲を一気に飲み干した。
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