第26話 希未子の願い

 希未子きみこさんが鍋に具材を追加する間に、鹿能は希未子宛の片瀬からの手紙を読んだ。一読を続ける鹿能を覗いながら、次々と野菜を入れてどうかと訊いてくる。返事を延ばすようにゆっくりとたたんで手紙を返した。

「交渉中の商談が纏まり近いうちに帰れるとは書いてあるがこれには帰国の日にちが書いてないけれどいつ帰ってくるんだろう」

 おそらく仕事にめどが付いた段階で、一刻も早く知らせたいと、意気込んで書いている様子が窺える。

「千鶴さんはなんと言ってました」

 ウーンとチョッピリ眉間を寄せたが、あなたの意見を聞きたいのにと苦笑にがわらいされた。

「千鶴さんは普通の人が見れば微笑ほほえましい内容だけど、ヨーロッパで同行したあの人の印象からするとこれは焦っているようだが、あなたはどう思うの」

「帰るのを楽しみにしていると書いてあるから普通で問題ないでしょう」

「あれは単なる社交辞令でなくそこから切実なる本音が読み取れなくてはこの先あなたは苦労するわよ、さあ煮込めたようだから召し上がれ」

 と希未子さんはおろし醤油の入った小鉢に入れて差し出してくれた。鍋のメインは湖北で捕れた鴨の肉で柔らかくて良い味が出ている。冬はこれに限ると良くこの店へおじいちゃんが食べに来たらしい。なるほどアッサリしていて胃にもたれないところが良いらしい

「そのおじいちゃんは片瀬さんを見い出しただけあって将来を見込まれていたそうですね」

「兄よりも肩入れしたそうらしいけれど」

 確かにおじいちゃんのお眼鏡に適っただけはある人だけど。元来おじいちゃんは一代で今の会社を築いただけあって努力家には目を掛けてあげる。でも鹿能さんのような人ならそれ以上の物を期待されない。だからもしあたしが貴方を紹介すればおじいちゃんはひっくり返って腰を抜かしかねない。

 希未子さんが言いたいのは職人と商人あきんどの区別では無く、人を相手に絶えず動き回ってる人と椅子に座ってジッとしている人を一見すれば、おじいちゃんの目には同じ努力家には映らない。

 鹿能はウンウンと頷きながら、鍋に箸をつついては一旦停止してから小皿へ、そこで十分に汁を含ませて二段階に口へ運んでいる。これが結構板に付いてしまった。終いには希未子さんは辛気くさいのか、そこのお肉もう食べ頃よとアドバイスしてくれる。こうなると何しに来たのか分からなくなる。それでも根気よく話してくれると謂うことは、余程に片瀬とは縁を切りたいのだろう。そんな思いがヒシヒシと箸を持つ手から伝わりそうだ。でもこんな光景を会長は絶対に望んではいないが、その死によってこうして此処で鍋を囲んでその会長の生き方そのものを論じているのだから、人生は何処でどう繋がっているのか世の中は不思議なものだ。

「でも千鶴さんも片瀬さん同様に小さい時は親の苦労を見て育ったんでしょうなのに千鶴さんは余り努力家に見えないのにどうしておじいちゃんは健司さんの花嫁候補に挙げたんだろうそこは片瀬さんとは相反する考え方ですね」

「兄は細かいことを言う人とは合わないのよ、だから少しは気の抜ける人をおじいちゃんは捜したけれど片瀬の場合は気の抜けないあたしを候補に挙げたのよおじいちゃんはこれでこの二人が次の時代を背負っていけば会社は安泰発展するとおじいちゃんはその長い経験に基づいた方針にあたしが反対したから慌てて片瀬を海外から国内担当に切り替えさそうとして倒れた。もし父もおじいちゃんの考えを継承すれば手強くなるわよその覚悟を今日のこの料理を食べたのなら決めて欲しい」

「ハア?(それなら芸者を呼んでドンチャン騒ぎしないと割が合わないなあ)」

「もう鳩が豆鉄砲を喰らったような顔しないで頂戴」

「で、どうすればいいか」

「とにかくのらりくらりと躱し続けるあなたなら出来ると見込んでるのよ」

「どう躱していけば良いんだろう」

「そう難しく考えなくても良いでしょうどうすれば花は綺麗に人前で目立てさせて気を惹かせるかを常に考えているんでしょうそれと似たものよ」

「贈呈の花束造りとは全然違うような気がするけれど」

「お花の飾り付けも商社マンも自立心を養うのは同じで外見が違うのは一種の錯覚で全ては荒野に見えても、なにかが有るから人は荒野でも足を踏み込むあなたにはそこを歩きながら道を見つけ出せる人です」

「何もない荒野を歩くだけの強靱な精神は残念ながら持ち合わせていませんが」

「あたしという後ろ盾が在っても歩くのはいやなんですかこれからの事を考えればそこはハッキリおっしゃい ! ませ」

「ちゃんと支えてくれるかどうかあなたは気まぐれな処が有るから」

「まあ仰いますのねそうさせたのはあなたなんですからそこを肝に銘じて行動すれば何の迷いも無く荒野を突き進める、と思われませんか」

 彼女は焚き付けるだけ焚き付けてどうしょうと言うんだろう。ただ単に片瀬から逃れたいからなのか。

 彼女が接近したのは、お前なら誘惑次第では毒にも薬にもなりそうだと立花さんは言っていた。最近は否定も肯定もしないただ頑張れのひと言しかアドバイスが無いのはどう言う事なんだ。

 彼女が片瀬を嫌いなら嫌いで突き放せば良いものを、それが出来ないのは片瀬をハッキリ嫌いだと思わせるものがないからだ。ただ悪い人ではなく欠点も見つからず、希未子以外はみんなが反対しない以上は、どうすれば良いかその答えを鹿能に見いだした。ならそれに応えられた暁には荒野がバラ色の人生に成るというのか。気心が知れて充実する愛ほど、嘘と真実まことの接点が見分けにくくなって来た。

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