第13話 終宴

 うたげ紀子のりこさんが台所とこの場を何回往復したか解らないぐらいに盛り上がった。だが上座に座る片瀬の座卓の料理はまだ箸が進んでいないのだ。それがそのままさっきの重苦しい会話を象徴している。皆が賑やかに喋っているには変わりがないが、差し詰め片瀬には再出発を祝う雰囲気など何処にもない。鹿能に云われた「希未子きみこさんをあなたは支えられるか」この言葉が腹の底にへばりついているからだ。

「さっきは社長の総一郎さんがこれからが総仕上げで今度の商談が纏まれば直ぐに帰国して次はツウーランク上のポストを用意しとくとさっき伺ったよ」

 気を入れ直して片瀬は話を戻そうとする。

「エへ〜、お父さんが言ったのそれともおじいちゃんの遺言かしら」

 どうやらさっきは上座でそんな話をしていたらしい。

「それでいつ帰国出来るの」

 この商談が終わればそのまま帰るから、現地の者にその引き継ぎや懇意にしてもらった人との顔繋ぎやその他諸々の雑用が残っている。だから長くても二ヶ月以内には帰って来ると大まかな日程を示した。

「そんなに掛かるの」

 半年以上掛けて築いたものを、はいさいならと次の者に簡単に引き継げるほどいい加減な仕事はしていない。全て今は亡き会長の息の掛かった得意先ばかりだ。これからも築いた信用をそのまま取引先に引き継がないと会社が危うくなる。そこまでして帰国させたかった理由は、希未子さんが一番良く知っているはずだと片瀬は訴えている。

「片瀬さん、さっき私が言ったものが何処まであなたの心の中に浸透しているか帰国後には解るようにしてもらわないと困るのは希未子さんですから宜しく」

 と鹿能は傍観者に徹するが、希未子にすれば、片瀬に対する鹿能の余裕のようにも受け取れる。

 取り敢えずは帰国後のあなたの活躍を期待したいと、希未子は取って付けたような謝辞を並べて、片瀬に寛ぐようにビールを勧める。

 上座の三人がビールを飲み出す姿で、本来の目的に添って宴が盛り上がりだした。遠巻きにしていた身内も門出を激励するように、入れ替わり立ち替わりやって来ては酒を酌み交わした。

 希未子はこの場をそっと抜け出すと、今度は鹿能を父の前へ連れて行く。これには鹿能も勘弁して欲しいが希未子は「これからが本番よ」と有無を言わさない。

「ハア? 既に恋のライバルとはエールの交換を終えたのにまだなんか有るの」

「当たり前でしょううちの両親と祖母を身近に知ってもらって売り込んでほしいから連れて来たのよ」

「そう言われても片瀬一人で随分と渡り合って消耗してしまったんですけれど」

 何寝言を云ってるの、それほど柔な精神でもないでしょうと発破をかけられる。まさに動くダイナマイトで、壊しながらこの人は新たに好み通りに造り直すようだ。

 移動した両親と祖母は、端の紀子さんが定席する辺りで寛いでいた。これで二人はグルッと一回りしたわけだ。

 祖母とは通夜飾りの仕事で見知っているが、面と向かって喋るのは今日が初めてだ。依って緊張感が全身に漂ってしまう。だが希未子さんが祖母の失敗談ばかり話すと、これには流石の祖母もただの人らしくなり、両親共々一緒になって笑い出した。とにかく我が家では大本の祖父があのような人だから、息子はともかく孫達は勝手気ままに育った。これは仕事にかまけて孫達をほったらかした所為せいだと、祖母は息子の総一郎に小言を言い出す始末だ。希未子はご覧の通りよと明け透けに見せつけられると、後は和気藹々わきあいあいと鹿能はこの輪の中に入って行けた。

「アラ、隅っこに居たお兄さんがいつの間にか向こうの片瀬さんの席に移動してるわ」

 と希未子さんが指し示した。矢っ張りあの二人は気が合うようだと父も穏やかに観た。

 片瀬と健司はたまたま入社が同じ時期に重なったが、この似たような素質に気付いた祖父が、意図的に二人を同じ海外部署に配置して仕事をさせた。見習い生として二人は業務を習得すると、直ぐに海外勤務に就かせるが、孫の健司には見合いをさせるために途中で帰国させた。それが本人にはどうも不満らしく、父親にはまた海外勤務に戻して欲しいと希望しているらしい。そんな二人だから、どうせ社長のわしへの不満だろうと勘ぐっている。しかし希未子が観ると、お互いにビールのピッチも上がって愉しんでいるように見える。

「どうだ希未子と久しぶりに会って変わっているか」

 健司はビールを勧めながら片瀬に逢瀬の気分を訊いている。

 片瀬にすればさっきの彼女の印象からか、自棄気味に俄然注がれたビールを速いペースで飲み干している。それでも構わず健司は、明日は異国の空に消えてゆくこの男のためにビールを注いでいる。そしてその健司が「お前ももっとひねくれろ」と言っている。

「お前も聞いているだろう会長である祖父が亡くなったというのに我が家、いや我が社では俺が来月結婚するのに何の異議もとなえない、おかしいと思わんか会長が亡くなって喪中なのに直ぐにその孫が式を挙げるか」

 片瀬は笑って聞き流している。

「お前、それは本音じゃないだろうもう少し独身を愉しみたいのだろう」

 まあなあ、と健司も嗤い返すと。

「祖父は死ぬ間際に孫の結婚は延期するな、それと至急片瀬を呼び戻せと枕元で親父に言付けたらしいんだ。誰も訊いていない。親父しか知らせてないらしいんだ」

 と健司は声を潜めて片瀬の耳元で囁いた。それだけかと訊かれて、お前の事も細かく指示したそうだが、それをお前に伝える為に親父は呼び戻したが、希未子がどうもぶち壊したらしい。

 片瀬はこの話を聞きながら向こうに居座る希未子に眉を寄せて見遣った。 


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