第8話 希未子の事情

 立花園芸店は自動のガラス戸を閉めてスイッチを切りシャッターを下ろした。三々五々従業員が裏口から帰って行く。鹿能も後片付けを終えて帰り支度を始めると立花さんに呼び止められた。おそらく明日の波多野家に於ける出棺を前にして個人への飾り花の相談だと思い足を止めた。だが意外にも立花さんはもう花の注文は無いやろうと言われた。理由はあれ以上は派手にやらないそうだ。

なんででしょう」

 立花社長に謂わすと、密葬の花飾りは出棺でも殆どが通夜のままらしいと知った。白井さんが帰ったのを確認して立花さんは、店の入り口横にある昼間の応接セットに座り込んで鹿能には向かい側を勧めて座らせた。

 どうも社長はあれからも白井さんとここへ来るまでの仕事ぶり、特に波多野家についてあれから更に聞き込んだらしい。内の店では冠婚葬祭の花も扱っているが、大抵が一般家庭か、もしくは近在のスーパーの店長や病院の院長、学校の校長ぐらいで派手なところでは、ホテルの披露宴の宴会場で洋装の花嫁のブーケも扱ったが、ホテル側からの要請でなく、日頃懇意にしている顧客からの依頼だった。今回は密葬とは謂え、あれぐらい大きな会社の個人を花で飾り付けたのは初めてらしい。

「たとえ密葬でもこれはええニュースになる」

 と社長は切り出した。この後の本葬、もしくはお別れ会もひょっとすれば飾り付けでお呼びが掛かるかも知れない。となると評判だけの立花社長もこれで実績が伴ってくると張り切っている。

 そこで白井さんにここへ来るまでの庭師の仕事で、どれぐらい著名人や社長などの邸宅の庭を手入れしたか訊いたようだ。

「そこで鹿能、お前はあそこのお嬢さんとはええ繋がりが出来たそうやさかい何とかそこを足がかりにして内の店を大きくしたいがどやねん、あの娘さんをこれからの仕事で上手いこと繋げられへんかとそこが聞きたいんやがどやねん」

 ハア? まだそんな大層な処までいってないから社長の早とちりもいいところだ。それを見透かす様に、今までの前置きを撤回して、ざっくばらんにあの娘の様子を聞きに来る。それが仕事がらみでなく純粋な交際と解ると、どう思われるか不安がよぎる。

 怪訝な顔付きに立花さんは、心配するな。あれから白井さんを誘ってあの家に挨拶に行ってきた。そこで希未子さんとも会って短いが少し話したらしい。その印象を立花さんは言っている。

「あれから白井さんといかれたのですか、なら仕事の話はあの人に言っても聞き入れてもらえないどころかたちまち嫌われますよ」

「そうらしいなあ」

 立花さんにしてみればあの後で通夜に顔を出して会った印象より、白井さんから聞かされた話の方が彼女の性格を端的に物語っているらしい。立花さんが希未子さんに会いに行ったのは白井さんの「立花さんでもコロッといかれますよ」と言われたことが気になったらしい。そこで立花さんは彼女の本性を垣間見たらしい。それを訊ねると、どうも気になる事をひとつ発見したようだ。

「何ですかそれは」

「今はまだお前に言わん方がええやろうわしが見誤っているかもしれんしなあ」

 先ほどとは違って急に社長は口を濁した。それは彼女に会ってこれだけは言っておかなあかんと思い詰めた物が、いざ語り出すと次第にその根拠が揺らいできたからだ。やっぱり社長でもあの希未子さんの人となりを的確に掴み切れてないと鹿能は思った。それは後で希未子さんに立花さんの印象を聞けば解ることだが、既に彼女との距離をそこまで縮めていると彼は錯覚している。


 祖父の波多野総一の密葬が済み二日目に、希未子さんから立花園芸店の鹿能に連絡が入る。片瀬井津治が帰ってきたらしい。どうやら会長の葬儀には間に合わなかったのか。とにかく希未子さんに呼ばれた場所はあの家でなく、家の近くにある喫茶「曼珠沙華」だった。最初希未子さんから指定されたときは解らなかったが電話を切ってから思い出した。曼殊院で初めて彼女に会った時に近くに居た老夫婦がやっているという店だ。なんで今まで彼女さえ知らなかった店を指定したか解らないがとにかく行くことにする。

 立花社長は葬儀が終わったのに、今更何の注文かと首を捻ったが、仕事の話でないと解った。それでも社葬かそれに近い本葬を予定している家である。繋がりは大事にしたいから行ってこいと見送ってくれた。

 店はこのあいだ昼食を摂った白川通りに面しているあのレストランとはそう離れていない。なるほどあの夫婦が言ったとおり曼殊院から遠くないが、バスを降りてから少し逆方向へ歩かないと行けない。

 少し早いから寄り道をして、彼女が指定した時間通りに店に入ると既に彼女はテーブル席に座って待っていた。

「なんて言って店を出てきたの」

 鹿能が着席するなり希未子に訊ねられる。返事に戸惑う間に珈琲が来た。持ってきたのはバイトらしい若い子だった。奥さんは今日は来てなくて、カウンターの奥に居るご主人には鹿能との成り行きを説明したらしい。それで納得したのかあるじは邪魔になると思い挨拶に出て来ない。それより希未子は今置かれている立場を鹿能に急いで説明する必要に迫られていた。

「あたしがあなたを此処へお呼びしたのはもっとあなたに力になって貰いたいからです」

 これには鹿能の驚きは隠せないが、今の自由がおびやかされようとしているからだ。それは彼女が置かれた立場を包み隠さず鹿能に告白しょうとする姿勢から理解した。

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