第6話 希未子の策略

 これまでの話から彼女が誰か特定の人物を指して説明しているようだ。特に彼女が希望する相手の人間性については納得させるものを多く感じた。それが自分だと解釈できるだけの根拠が今は乏しいが、彼女との円滑な付き合いを望む鹿能には、初めが肝心とここの食事代は持つ決意を秘めた。なーに金欠になれば社長から前借りしてでも格好をつけようと注文した料理を食べ始める。

 昼食が終わりに近づくと彼女がいつ席を立つか、そのタイミングでテーブル席の端に置かれた伝票を取ろうと手持ち無沙汰で待ち構える。そこで彼女が口にしたのは「後は食後の珈琲ね、飲むでしょう」と言われた瞬間は全てのもくろみが狂って直ぐに立て直す必要に迫られる。

「ああ、良いですね飲みましょう」

 ともう少し話が続けられると謂う悦びからか、意識とは正反対に同意して仕舞う。

 こうなると何としても自分を売り込んで元を取らないと徒労に終わる。それだけはなんとしても避けたいと焦る一方で、先ずは今の状況を的確に知る必要から片瀬に付いて訊ねる。

「片瀬さんとはおじいさんの会社を通じて知り合ったんですか」

 丁度一年前になるらしい。それは世界中を放浪していたお兄さんと重なるように入社したようだ。それで祖父は二人を同じように社内教育をして外商に付いて学ばせた。初めは国内での商取引を兄と一緒に付いて回り、いずれは海外経験のある父を助けるように片瀬を仕込んでいる内に、後継者を擁立する必要から先に兄の縁談を急がせた。そんな関係で祖父は片瀬も同じように我が家へ出入りさせた。そこで希未子さんと接して親しくなり、祖父も後押しするようになった。どうも希未子さんに至っては、好奇心と興味半分に片瀬と付き合ったらしい。そのせいか家族が片瀬に好感を示すようになると逆に今度は、彼女の方で片瀬とは距離を保ち始める。これを見た祖父は希未子が片瀬に物足りなさを感じたと思い、彼の地位を上げる為に大事な仕事に就かせる。即ちひと月前から片瀬は海外との取り引きを任されて初めて出張に出ている。

 祖父に謂わすと片瀬を欧州に派遣して次第に大きな商談を任せて、早く役職者に育てたいらしい。そこで将来は兄と肩を並ばせたい思惑が見え隠れし始めた矢先だった。それほど祖父は片瀬を見込んでいた。

「その片瀬さんを急に呼び戻すんですかそれで商談には差し支えないんですか」

「ないことはないわよね」

 片瀬の代わりに前任者を急遽派遣して、そのまま商談を続けるらしい。もちろん当社のイメージダウンは覚悟している。それほど祖父が死に際に大事な要件を指示したらしい。その意図を今はお父さんと兄しか知らない。

「じゃあ片瀬さんは帰ってくれば先ずは祖父から聞いたものを伺うのが今回の趣旨なのですか、それが希未子さんとはどう関わっているんでしょうしょうか?」

 と取り敢えず鹿能は恐る恐る聞かざるを得ない。一体おじいさんは最後に何を片瀬に言うつもりだったのか誰もが気になるが、それでも希未子さんは至って気にする素振りが全く見受けられない。

「波多野さんはおじいさんの云いたいことをある程度察しているんですか?」

 と尋ねても動じない。

「そんなの神様じゃあないから解りっこないわよね」

 とそれどころか居直って仕舞い、のほほーとしている処が怪しい。まさかそれを逆手に取って、今までの経緯を白紙撤回するつもりなのかを問い合わせても彼女は曖昧にしか言わない。それどころかその時には、鹿能にも同席して欲しいと頼まれて仕舞った。これには鹿能も激しく動揺して尻込みする始末だ。

「わたしは今回初めてお目に掛かった一介の花屋に過ぎないのにそれはちょっと私には大役過ぎませんか」

 と役者不足だと暗に自重を促すが、彼女は全く意に介しない。それどころかあなたがこの場には一番の適任者だと疑わない。その理由を突き詰めると彼女は、この席には荒野に轍を求めるドン・キホーテ役が必要だと白状した。

 なぜわざわざそんな人にそんな道を選ばさせるのか今の鹿能には解らない。更に解らないのは、それは誰がやるんですかだろう。

 マジにこの質問をする鹿能を見て、希未子は吹き出さんばかりに笑った。

「あなたは今まで何を聞いていたのですか」

 こうなると適当にはぐらかすしかないと。

「似た処でラ・マンチャの男ではダメですか」

 と言った。

 今度は彼女の方がハア? と小首を傾げて、面白しろい事を言う人と笑ってしまう。

「もう、どっちでもあなたの好きにして下さい祖父が片瀬に言い残した遺言を語る場は多分あの家になるでしょう」

「それは葬儀が終わった後ですか」

「さっきも言ったとおり間に合わないと謂うのが前提ですから今夜は無理でしょう明日は野辺送りですから暫くは落ち着くまで待ってからにしますその時はお呼びしますから是非来て下さい」

「何の関わりもない人が行ってもしゃあないでしょう」

「だからさっき言った通りあなたのような人が必要なんです演じて下さい」

 その役者に成り切れと言うのか、でも彼女はお似合いだと指名している。

 それで台本を訊くと、出たとこ勝負で、全てアドリブで頼まれた。

「ハア? そんな無茶な」

 いえ、あなたが一番の適任者です。そう言うと彼女は鹿能より先に立ち上がり、テーブル席端の伝票を掴み取られてしまう。少し遅れた鹿能の顔を見て彼女は冷酷に笑った。その顔には有無を言わせぬ決意がみなぎると、そのままレジへ向かう。鹿能は呆気に取られて後に従った。

 

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