第5話 希未子の事情

 事前に何の前触れもなく食事に誘われたのだから、これぐらいの金額なら当然に割り勘なんてけち臭い事は言わない。なんせこれ程の女性から誘われれば、ここはもう清水の舞台だろうがスカイツリーだろうが、飛び降りる積もりで彼女の昼食分も払う一大決心の覚悟を鹿能は決めた。そうすると気持ちは幾分と楽になり、これから彼女とも会話を弾ませようと身構える。しかし誘った彼女はそんな鹿能の期待とは裏腹に、彼女はゴタゴタしている家の内情を言われた。

 ハア? と気落ちしながらも仕事仕事と割り切り、悟られないように気は張り詰めていなければならない処が今の彼には一番辛い。

 この場で急にゴタゴタしていると言われても、幾ら身内の密葬でもまだ家の者は数人しか見掛けていない。それを言うと、今朝早くおじさまの納棺まえに主立った身内が挨拶に来て、あとは夕方の通夜まで顔を見せないらしい。どうやら二十人近くが先程まで押しかけて、丁度鹿能が花を届けに来た頃には、皆は潮が引くように引き上げた後らしい。

「今は家にはあたしの両親とおばあちゃんと賄いの家政婦さんとあたしを入れて五人しかいないのよ」

「それで全員ですか」

「兄が居るけれど、今朝は会社へ出て後は弟が一人だけどこれが今、金沢の大学ヘ行っているのよ」 

 なんで金沢なのか、それは住みやすから決めたらしい。兄は来月ホテルで結婚するが祖父が亡くなっても式は延期しないらしい。

「それって差し支えないんですか」

 そう謂う問題ではないらしい。どうやら兄は大学を出ると暫くは外国で暮らしていたらしい。らしいと言うことは、キチッとした仕事には就かず世界中を放浪していたようだ。祖父の話では兄は金がなくなると旅先から金の無心をする。それがエジプトだったり南米だったりの神出鬼没にして、やっと一年前に帰ってきた。そこで祖父は「勝手に行動すれば以後の資金援助は一切しない」と有無も言わさず直ぐに良家のお嬢さんと見合いを決められた。兵糧を断たれた兄はそれで覚悟してこの縁談を決めた。その挙式が来月に迫っている。

「その祖父が今回は亡くなられたんですね、それでも式を挙げられるんですか」

 それも祖父の遺言らしい。そんな遺言って有るんですかと聞くと。どうも型破りな祖父らしい。兄はそれに輪を掛けたような人だから、花嫁に逃げられない限りは絶対に実行する。それよりこれからが大事な話になるからよ〜く聞いて欲しいと頼まれた。

 私で良ければお聞きしますがと言えば、あなただから話したい。とこれまた実にもったいぶって、何処まで真剣なのか気晴らしなのか、鹿能にすれば判断が付かなかった。

 どうやら話は希未子さんの縁談らしい。それを知って鹿能が相当気落ちした事は想像を絶する。もうそれだけでこの場に居る価値は皆無と言っても過言ではない。

 社内では希未子さんのお相手として有望視されているのは片瀬井津治かたせいつじと言う人物だ。みんなこの話には乗り気で居るらしいが当の希未子さん一人が不満らしい、と解ると鹿能の気分はまた復活して次の言葉にも力が入る。

「何が気に入らないんですか」

 どうも皆が勝手に決めているところが不満らしい。それなら辞めればと言うが。それがどうもそうはいかないらしい。

「そんなに難しい話ではないでしょう」

 そう気安く言われると、彼女は「あなたも皆と一緒なの」と益々意固地になってくる。これはどうすれば彼女の気持ちがほぐれるのか思案のしどころになってしまった。最初は片瀬も婿養子候補であって、まだ親族ではないから祖父の会社の仕事で海外に居て商談を進めていた。処が父親はその張本人に祖父の死亡を知らせるらしい。親戚でもない彼をどうしても家族が招いているのが希未子にはまた癪に障るらしい。

「それで間に合うんですか」

「多分間に合わないでしょう」

 と希未子はアッサリと否定する。それは兄からやっと本人と連絡が付いたと知らせてきたからだ。父から委託された兄にすれば間に合わなくても良いらしい。と謂うのも既に祖父は亡くなっているから、祖父の考えだけを本人に伝えるだけだ。葬儀そのものには妹の花婿候補の一人に過ぎない以上は、参加には大した意義はない。片瀬は婚約者でもなんでもない、ただ親族から好感をもたれているだけだ。それでもこのまま何も連絡しないわけには行かないから、一応は後々を考えてそう言う形を取っただけだろうと希未子は結論づけている。

「じゃあ別に波多野さんご自身でハッキリと片瀬さんとは皆さんで勝手に決めているだけであたしの本心じゃ有りませんとハッキリこの葬儀の場を借りて宣言すれば良いんじゃないですか」

「そこまで言い切れるほど敵愾心てきがいしんのある人でもないのよ」

「そんな仇討ちでも有るまいし大層なものでしょうか」

 ただ付かず離れずある一定の距離を保っているのはその辺りに理由があるらしいが、鹿能にすれば、どやっちゅうねんと言いたい。

 彼は商社マンとしては一流過ぎても人間味が乏しい。しかしある程度の思いやりはあるがささやかなヒューマンエラーすらない。少しドジをしでかす方が面白いとは思うが、勿論それは社会生活からはみ出ない程度ですけれど。 肝心なことは胸に秘めながらも時には、バッカーじゃないのと言って笑える人の方が、人生の深みが見えるから支えて上げたくなる。と鹿能の眼を見ながら言われた。



 

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