過保護お姉さんの戦い ~vs.瑠璃篇 19~

 電話の向こうで矢作兄が女性と話す声が辛うじて聞き取れるが、音が遠すぎて内容までは判別できなかった。

 祈るような気持ちで、二人の会話が終わるのをじっと待つ。もし障害が矢作家の住宅事情だけなら、ボクの計画の半分は終了だ。

 待つこと数十秒、再びスマホから矢作兄の声が聞こえてきた。

『もしもし。やっぱり大丈夫だ。アパートがペット禁止でさえなければ、猫を飼うこと自体は反対じゃないって。もともと母さんも猫は大好きなんだよ』

 僥倖ぎょうこうだ。

 ガッツポーズでもしたいところだが、右手に矢作妹、左手にスマホで思うようにいかない。

「……分かった。これから戻る」

 それだけを伝えて通話を切ったとたん、おとなしくしていた矢作妹がふたたび身じろぎを始めた。

「もういい加減にしろよ。そんなムダな逃亡をくわだててる暇があったら、そいつの名前でも考えとけ」

「違うってば! もう逃げないから放してよ……」

 そう言われて、突然我に返った。

 逃がすまいと必死になるあまり、矢作妹を思い切り抱きしめてしまっていた。その体温やシャンプーの香りが急に意識されて、思わずドキッとする。

 慌てていましめを解くと、夜気のせいかうっすらと頬をあからめた矢作妹が白い吐息をほうっ、と吐き出した。

 沈黙が垂れこめる。

 気まずい。ものすごく……。

 いや違うよ? やましい気持ちとか、全然ないよ? お前が逃げようとするから仕方なくだよ?

「……この子の名前を考えろって、どういうこと?」

 その問いによって沈黙が破られたことにホッとし、思わず一つ息を吐き出した。

「まだ名前つけてないんだろ? 相変わらず『この子』とか言ってるし」

「そうだけど。今さら名前つけたって……」

 そう呟きながら、矢作妹がまた目をうるませた。

 名前をつければ情が移る。

 情が移れば別れがたくなる。

 なのに、別れの時は刻々と容赦なく近づいてくる。

 今、きっとそんな現実が矢作妹をさいなんでいるのに違いない。

「じゃあ、名前考える前にひと勝負といくか」

「……勝負?」

 ボクはふたたびスマホを取り出し、例のあの人に電話をかけた。

「……あ、もしもし。ヒロ姉? 遅くなってゴメン。うん、これから帰る」

 心配そうな面持ちでこちらを見つめる矢作妹をよそに、ボクは頭をフル回転させてこの後のプランを練っていた。ヒロ姉のスペックをもってすれば、勝算は十分にあるはずだ。

「それでヒロ姉、お願いがあるんだけど……」

 チラリと矢作妹の胸もとに目をやると、この騒ぎの元凶である子猫がなんともノンキな顔で見つめ返してきた。


「……今日、これから一緒に行ってほしいところがあるんだ」

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