過保護お姉さんの戦い ~vs.瑠璃篇 12~

「ハルくん、コーヒーでもどう?」

 矢作妹を送り出してリビングへ戻ると、ソファーに腰掛けたヒロ姉にニコッと笑いかけられた。

 コーヒーでもどうと言いながら、テーブルにはすでに黒褐色の液体が注がれたマグカップが二つ、馥郁ふくいくたる香りを漂わせている。ヒロ姉、ついさっきまで夕食後の洗い物をしてたのに、恐ろしく迅速に事情聴取の準備を整えていた。

「可愛らしいお嬢さんから、なにかいい匂いのする焼き菓子を頂いてたみたいだし……」

 物理的にも精神的にも、逃げ道をガッチリ閉ざされていた。

 ポンポンとソファーの座面を叩くしぐさでいざなわれるまでもなく、マグの配置によってボクの行き先にヒロ姉の隣以外の選択肢はなくなっている。

 どうやら暗雲の到来は、明日の夕食を待つまでもないらしかった。

「今の女の子は矢作さんのところのお嬢さん?」

 隣りにおとなしく腰を下ろしたボクの顔をヒロ姉が覗き込んでくる。背中へと払われた長い黒髪から、シャンプーのほのかな香りが漂う。

「うん。アニキがボクと同じ学校の一年で……」

「それで、いつの間にこんなものをもらうほど仲良くなったの?」

 ヒロ姉の指差す先には、矢作妹の持ってきた小さな手提げ。その口からはいまだバターと小麦粉の甘い匂いが漂っていた。

「昨日、鍵を忘れて出かけたって部屋の前でベソかいてたから、自転車でアニキのとこまで連れてったんだよ。これはそのお礼だって」

 手提げを探ると、端をテープで留めた紙製のラッピングバッグが出てきた。プラの透明な窓からは、丸や四角の様々な形のクッキーが見えている。

「ふーん。自転車で?」

「うん。そう」

「二人乗りで?」

「うん……まあ、そう」

「恋人どうしみたいに仲良く?」

「いや、それはどうなの……かな」

 刹那、ボクの手からクッキーのラッピングバッグがパシッとひったくられた。

「ずるい!」

 ヒロ姉はそう鋭く言い放つと、バッグの端を留めていたテープをはずし、クッキーを一枚取り出した。

「おねえちゃんだって、ハルくんの自転車の後ろになんか乗せてもらったことないのに! そもそも男女による自転車の二人乗りは、恋人どうしか従姉弟いとこどうしの場合しか許されてないんだからね! お巡りさんに捕まっちゃうんだからね!!!」

 そして腹いせみたいにクッキーを半分かじり取ると、まるでアメリカのカートゥーンに出てくるリスかなんかみたいなイキオイでバリバリと噛み砕く。

 いやだって、今までそんな必要がある場面が発生しなかったんだからしょうがないですよね?

 しかもヒロ姉、道路交通法をいつの間にか独自に改正しちゃってるし……。

「ちょっとハルくん、このクッキー美味しい!」

「よかったね! でもヒロ姉、なんでちょっと怒ってんの!?」

「怒ってない!!!」

 ふむ。それにしても、ヒロ姉が怒りつつも太鼓判を押すというのなら、どうやらお菓子作りの腕は相当なものらしい。矢作妹……のお母さんが。

 どれどれ、とボクもクッキーを一枚つまみ上げると、横からトンビみたいにヒロ姉の手がそれをさらっていった。

「ハルくんはまだダメ!」

 言うが早いか、ヒロ姉が今度は一枚まるのままクッキーを口へ放り込む。片手には一枚目の残り半分を持ったままだ。

「ふぉえいふぁうふん、ふぁんふぁ……」

 バリンボリンとクッキーを咀嚼そしゃくしながら話すもんだから、なにを言っているやらまったく聞き取れない。

「ヒ、ヒロ姉、呑み込んじゃってから話してよ……」

 どうやら、呑気のんきにクッキーを味わっている場合じゃなさそうです。

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