過保護お姉さんの戦い ~vs.瑠璃篇 9~

「なあ三郷みさと。その玉子焼きひと切れ、この唐揚げとトレードしてくんね?」

 鵜川が青々とした丸刈り頭を下げながら手を合わせる。

 しっかしコイツの頭、見事な色合いだ。まるで深い湖の水面を覗き込んでいるかのような気分になる。コイツがもしゆっくりと湖に沈んでいったら、水上からの発見は非常に困難に違いない。

「ヒロ姉が作った玉子焼きと、冷凍食品の唐揚げに同等の価値があると?」

 鵜川の頭頂部に向かって、冷たい拒絶の言葉を突きつけてやった。

「いいじゃねえかよ、ひと切れくらい。お前は毎日あのお姉さんの手料理食えんだろ?」

「まあ、たしかにそうだな。……だがおかずのトレードを申し出る前に、まずは相手の名前を覚えろ」

「え、あれ!?」

 鵜川が心底意外そうにカクン、と首をかしげる。

「お前の名前、伊崎いさきじゃなかったっけ?」

 いったいなんなの。昨日といい今日といい、若年性アルツハイマーって伝染病なのか?

「鵜川、いい加減にしろ。こいつの名前は三波みなみだと何度言ったら分かるんだ」

 ちっ。罹患りかんしてるやつがもう一人いた。

 春日かすが雅義まさよし。ヒロ姉が学校に襲来したあの日、奈落に落ちた憐れな男の一人だ。

「ちなみに三星みほし、さっきのトレードの件だが、このミートボールとではどうだ?」

「オマエらいい加減にしろ。一緒に弁当食べてる相手の名前くらい、もうそろそろ覚えろよ」

 ヒロ姉の一件以来、昼休みになるとボクの周りにはヤローどもの群れが寄ってくるようになった。誘ったわけでも、了承したわけでもないのにだ。

 彼らのお目当てはもちろんヒロ姉手作りの料理。なにかと理由をつけては一品、二品とかすめ取ろうと画策する。これに対する防衛を完遂するだけで、ボクの午後に割り振られたエネルギーの約半分が消費されるのだ。

「ちょっといいかな」

 突然の声に、ヒロ姉の手料理に群がるハイエナの群れがいっせいに顔を上げた。

「矢作?」

 鵜川が怪訝そうな顔つきで呟く。

 ていうか、ボク以外のやつの名前はちゃんと覚えてるんだな。

 そこに立っていたのは、昨日の厄介な女子中学生の兄、矢作やはぎ悠也ゆうやだった。

 昨日は妹の頭を小突いたり、部室棟に鍵を取りに走ったりするのを遠目に見ていただけだったが、こうして間近で見るとこれぞ真のイケメンという感じがする。

 整った目鼻立ちにさらさらヘア。スラリとした長身はボクより十センチは上に見える。

「昨日は妹が迷惑かけちゃってゴメンな」

 そう言ってボクに笑いかける顔は、まるで青春ドラマの主役を演じるアイドルみたいだ。

「なんだ井崎いさき、矢作の妹と知り合いなのか」

 井崎という名に覚えがないのと、事情を説明するのが面倒くさいのとで、春日のその質問を無視する。

「あれ。井崎くん? でも、たしか隣に越してきたのって赤城さんって人じゃ……」

 春日の余計な一言に混乱した矢作が不思議そうに首を捻った。

 もういいや。

 どうせ誰もボクの名前、ちゃんと覚える気ないし。

 ていうか、もう覚えてくれなくていいし。

「赤城は一緒に住んでる従姉いとこの名前。ボクは明彦はるひこ・メルーセ・トスワイラー・フォン・ドルトムントー・ナ・ハ・ルローレ・ローゼンバッハ・三前みさきだ。よろしく、矢作くん」

「よ、よろしく……。ていうかゴメン。名前、覚えきれなかった。もう一度いい?」

「信じるなよ……。三前明彦だ」

「あ、ああ、そうか。よろしく三前くん」

 ホッとした。ようやくボクの名前をちゃんと覚えてくれるやつが現れた。

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