過保護お姉さんの戦い ~vs.佳澄篇 3~

「じゃあ、お弁当は置いていくわね」

 ハンドクリームかなんかのCMかっていうくらいの、形のよい白い手が弁当の包みを机の上に置いた。

 ゴトリ、という重い音が弁当箱の中身の充実度合いを思わせる。

 ちなみに、ヒロ姉が本気を出した時の料理スキルはハンパじゃない。

 去年のボクの誕生日、旅行で不在の両親に代わって作ってくれた夕食は、下手なホテルラウンジの料理を軽く凌駕りょうがする出来栄えだった。息子の誕生日に二人で旅行に出かける薄情はくじょうな両親など、ヒロ姉お手製のソースがタップリかかったステーキ一切れにも値しないと言っていい。なんなら鳳華軒ほうかけん担々麺たんたんめん一杯に値するかどうかについても厳密な審査を必要とするところだ。

「ヒロ姉、わざわざ来てくれてありがとう」

 ぼちぼち担任が姿を見せる時刻なのに気づいて、ボクは弁当箱を机の中にしまいながら遠回しにヒロ姉に退出をうながした。

 ヒロ姉はニッコリと笑ってうなづきながら扉へ向かおうとする。

 その後ろ姿を見送っていると、突然左腕の袖をクイクイと引っ張られた。

「ねえ三前、だあれあの人? すっごいキレイな人じゃん!」

 宇津科さんがキラキラした目をヒロ姉の背中に向けながら嘆息たんそくを漏らしていた。同性である宇津科さんは奈落の底に落ちる代わりに、何か憧れめいたものをヒロ姉に対して感じたらしい。

「あ、えっと。ボクの……姉さん?」

「どして疑問形?」

 どうしてでしょうね。

 姉のような人であることは確かであり、ただ厳密に言えばそうではなく、事情が知れればきっと一悶着ひともんちゃく起きそうで……。

「私、ハルくんの従姉いとこなの」

 どうやらボクらの会話が耳に入ったらしい。ヒロ姉がいつの間にか立ち止まってこちらを振り返っていた。

 その顔は先ほどと変わらず笑みをたたえたまま。けれどただ一点、目だけがさっきまでと違う印象を感じさせた。

 どことなくひんやりとした、鋭さを感じさせる眼光。

 そのヒロ姉の目を見たとたん、ボクの脳裏に昨夜のお説教シーンがフラッシュバックした。

 

 ……ああ。これ、アカンやつや。


「……赤城比呂実っていいます。よろしくね」

 舞台の中央に進む女優みたいな足取りで、ヒロ姉がボクらの前に戻ってくる。


 アカンで、明彦。宇津科さんがピンチやで。


 頭の中のもう一人の自分が警告を発した。なんでかそいつ、関西出身らしい。

「あなたのお名前は?」

 宇津科さんの席の前で優雅に立ち止まると、ヒロ姉は歌うような声でそう問いかけた。

「私、宇津科佳澄です。はじめまして」

 ヒロ姉の発する冷気に気づいていないのか、宇津科さんははしゃいだような声で挨拶を返す。まるで、偶然街中で有名人を見かけたような反応だった。

「宇津科、佳澄さん……」

 一言づつ噛み締めるかのように、ヒロ姉が口の中で反芻はんすうする。

「とってもすてきなお名前ね」

 そう言われて、宇津科さんの顔がパアッと華やいだ。

 このまま何事もなく、無事にことが済みますように。

 そう心の中でせつに願いつつ、ボクは固唾を飲んで成り行きを見守る。

 けれどそんな願いも虚しく、次の瞬間ボクの恐れていたことが起こった。

 ヒロ姉は内緒話をするように宇津科さんの耳もとに口を寄せると、ボクら三人にしか聞こえない声でこう言った。


「……それで、ハルくんとはどういう関係?」


 ヒクッ、と宇津科さんが身体からだこわばらせるのが分かった。さっきからボクが感じていたものを、ようやく宇津科さんも共有できたらしい。

「い、いや、あの…………。どういうって言われても……」

 宇津科さんが囁くような声でやっとそれだけを返す。さっきまでとはうって変わった、戸惑いにわずかな怯えのようなものが混じった顔色だった。


 何しとんねん! はよ宇津科さんに助け船出さな!


 もう一人のボクが脳内でかす。

 分かってるよ、うるさいな! だからなんで関西弁なんだ、オマエ。

 おっちゃん、その犬チャウチャウちゃうんちゃう!?

「ねえ、何言ってんのヒロ姉。たまたま隣の席になっただけの人に……!」

 今度はボクがヒロ姉の耳もとで囁いた。

 その言葉に、ヒロ姉はすくっと身体からだを起こしてボクに向き直る。

「そう。安心した……」

 さっきまでの威圧感がうそだったかのような、ほころぶような笑顔がその顔に広がっていた。

「たまたま隣の席になった女の子、というだけなのね? そうなのね?」

 ボクがぎこちなく頷くのを確認すると、ヒロ姉は呆気あっけにとられたような顔の宇津科さんに目を戻す。

「ごめんなさいね、宇津科さん。私、なにか勘違いしちゃったみたい。ハルくんといいになってあげてね」

 そう言い残してヒロ姉は教室から去って行った。さながらレッドカーペットの上を歩くハリウッド女優のような颯爽さっそうとした歩き方で。

 その時ボクの頭の中では、さっきヒロ姉に言われた言葉の省略された後半部分がリフレインしていた。




「もしそうじゃなかったら、どうなるか分かってるわよね? 昨夜の話、忘れてないわよね?」

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