過保護お姉さんの戦い ~vs.佳澄篇 2~

 そうこうするうちに始業時間も近くなり、教室内のざわめきもしだいに大きくなってくる。

 と、突然ざわめきのトーンがなぜか微妙に変わった。

「なあおい、三橋みはし

 いきなり後ろから背中をせわしなくつつかれる。

 なんだよ、うっとうしいな。

 ちょっとイラッとしながら振り返ると、後ろの席の丸刈り男子が教室後方のドアを目を皿のようにして凝視ぎょうししていた。

 えっと、こいつの名前なんだっけ。たしかムカイだか、ムカワだかそんな感じの名前だったような……。

「何、どうしたのムケカワ君?」

「ウカワだよ、鵜川うかわ鵜川うかわ太一たいち

 視線はあさってのままなのに、ちゃんとツッコミは入れてきた。すごいマルチタスク。

「ああ、それはごめん。ちなみにボクは三前明彦。三橋みはしじゃなくて、三前みさき

 ちょうどいい機会なので、自分の名前に関する情報にしかるべく修正を入れておいた。

 いきなり話しかけてきておいて人の名前を間違えるとか、まったく失礼だよな。礼儀ってものがまるでなってない。

 ボクはきちんと礼儀をわきまえているので、そんな失礼なことはしない。彼の名前もちゃんと覚えてる。たしか、ズルムケ君。

「なんか、スゲェ美人がこっち見てんぞ」

 そのカワカムリ君が興奮したようにまくしたてるが、正直ボクのテンションはそこまで上がらない。


 理由①

 女性がこっちを見ていると言い出す男の八十七パーセントは自意識過剰で、その主張の九十八パーセントは勘違いである。

 理由②

「スゲェ美人」という表現を使用する男の九十一パーセントは誇張癖、もしくは妄想癖のいずれかがあり、実際の言及対象がヒロ姉を見慣れたボクを驚かせるレベルの美人であった実例は過去に一例もない。

 以上、三前みさき総研調べである。


 だが、こちらがノーリアクションであることなどお構いなしに、カタツムリ君はボクの袖をぐいぐいと引っ張る。まったく諦めが悪い。

 仕方なしに、ボクは彼の視線を追って教室の扉へと目をやった。

 ハラリと揺れる長い黒髪と、瞳の大きなパッチリした目。それだけが扉の陰からチラチラと見え隠れしている。しぐさから察するに、どうやらまともに教室を覗きこむのをはばかっているらしい。

 それにしても、髪と目しか見えない相手を「スゲェ美人」とか、いったいどんだけ夢見がちなの?

 その時、扉の陰から覗く目がボクの姿をとらえた。その人物は目を二、三度しばたかせると、ピョコッと扉の陰から飛び出して姿を現した。

 驚いた。

 本当にスゲェ美人だった。

 それもそのはず。教室の入口に姿を現したのは誰あろう、赤城比呂実その人。


 な、なんでヒロ姉がココに……?


 あまりの意外な出来事に、ボクの口がポカーンと開く。

 いくらか童顔で、つい先日までは高校生だったとはいえ、ベージュのニットワンピ姿のヒロ姉は真新しい制服の群れの中ではいやでも目立つ。

 しかも一人で外出すれば、帰宅までに必ず五、六回はナンパやらスカウトやらに声をかけられるビジュアルの持ち主とくればなおさらだ。

 教室内のクラスメイトたちはもちろん、廊下を行き交う生徒たちもみな一様にヒロ姉に注目していた。

「ハールく〜ん」

 ヒロ姉が手招き付きでボクに呼びかけたとたん、教室中の視線がボクに集中する。

 思わぬ人物の登場にほうけていたボクは、慌てて立ち上がった拍子にイヤというほどひざを机の脚に打ちつけた。教室中の視線が集まる中心点で取る行為としてはこれ、あまりおすすめはできない。恥ずかしいし、痛い。できることなら一人きりの時でも避けたほうがよい。とにかく痛い。

「ちょっとハルくん、大丈夫!?」

 ひざを押さえてうめくボクのもとに、ヒロ姉がテテッと駆け寄ってくる。

 ヒロ姉、手招きしといてなんで自分から教室に入ってきちゃうのん?

 ちょっと涙でうるんだ目に、ヒロ姉が手にした包みが映った。

「……ヒロ姉、それは?」

 ボクの問いに、ヒロ姉がタータンチェックのチーフに包まれた箱のようなものをヒョイとかかげて見せる。

「あ、これお弁当。朝、渡すの忘れちゃったの。ゴメンね」

「あ、いや……」

 痛みをこらえてなんとか身体からだを起こすと、すぐ目と鼻の先にヒロ姉の顔があった。

 夜明け間近まぢかの空のような色の瞳と、つやつやときらめく唇。

 それが、なぜか見慣れない角度で目に映る。

 

 …………?


 我ながら迂闊うかつだったと思うが、ボクはその時はじめて自分の身長がヒロ姉をわずかながら追い越していたことに気づいた。

 そのことがなぜか、ボクをくすぐったいような恥ずかしいような、複雑な気分にさせる。

「あのさ、ヒロ姉。今日はオリエンテーションだけだから、弁当はいらないんだけど……」

「あら、そうだったの!?」

 大きな目をさらに大きく見開いて、ヒロ姉が驚きの声をあげた。

 こういう時の表情がまたカワイイんだよな、この人。

 きっと、これまでの人生で犯した失敗の数だけ男を奈落の底に落としてきたに違いない。

「いいじゃねえか、三橋。こんなキレイなお姉さんがせっかく作ってきてくれたんだから、休み時間にでも食えよ!」

 突然後ろの席から不躾ぶしつけな調子の声が割って入ってきた。

 こいつも今しがた奈落の底に落ちたクチだろう。憐れな。

 それからボクの名前は三前だ、マイマイカブリ君。

「そうだぞ。こんな美しいお姉様の手料理をムダにするなど、バチあたりにもほどがある!!! あ、お姉様。ちなみにボク、三谷みたにクンの親友の飯嶋いいじまっていいます」

「オレ、高橋たかはし俊介しゅんすけっす。木崎きさきクンとは仲良くしてもらってます」

「はじめまして。三吉みよしクンの無二むにの友、春日かすがと申します。よろしくお見知りおきを」

 立て続けに、奈落の底からの声が響いた。

 気づけば、いつの間にやらボクらを取り囲む幾重いくえもの男子の輪が形作られている。

 たった二分かそこらで、親友やら無二むにの友やらが十人近くもできた。

 そして、誰一人ボクの名前をちゃんと覚えていなかった。

「ハルくん、安心したわ。入学早々、こんなにたくさんお友達ができてたなんて」

 なんとも暢気のんきな調子で、ヒロ姉がホンワカした笑顔を浮かべて見せる。

 この人、ホント罪作りだな。

 しかもたちの悪いことに本人がそれを自覚してない。

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