無名島会談準備

 蒼い空にポツンと浮かんだ黒い点は、みるみるうちに大きくなって行く。


管制塔ここから見ると、その飛行機は平たい板のようにも見えた。まさにエア・プレーン。複葉機が板みたいだからだろうね。そういえば、“飛行機”って言葉は、森鴎外が付けたと言われている。ドイツ語からの翻訳で、飛行機。うん。空中エアプレーンなんて名前にならなくて良かった。


 そんなことをぼんやりと考えているうちに、その変わった形の飛行機は、無名島の西側に作られた長さ三千メートルの滑走路に向かって舞い降りようとしている。滑走路の三分の一は海上に浮かんでいるだけだから、さぞや着陸は難しいだろう。


「海に浮かんだフロートといっても、海底でケーブルに固定されていますし、オートバランサーも備えていますから、そんなに揺れたりしませんから着陸は難しくありませんよ」


 あら、心配が口に出ちゃっていたのかしら。いけない、いけない気をつけないと。


「ほら、問題ないでしょう?」


 私の隣で説明しているのは、防衛装備庁の技官だ。彼の言葉通り、妙に平べったい飛行機は、ゆっくりと滑走路に進入して停まった。管制塔から見下ろしたその機体の形は、普通の飛行機――つまり、細長い円筒形の胴体に羽根が付いている(チューブ&ウィングという言うらしい)とは、違う。


「いやぁ、美しい。BWBブレンディットウィングボディは、独特の美しさがありますね」


 確かに、三角形に近い形は独特の美しさがある。そして、目を引くのが機体後部に半分埋まっている丸い筒――電動モーターファンだ。よく、あんなもので飛べるなぁと素人ながら驚く。電動航空実証機、通称<スカイマンタ>は、JAXAが中心になって開発した次世代電動航空機だ。空飛ぶエイマンタとは、言い得て妙。


<スカイマンタ>の乗員乗客は、合わせて20名。航続距離は、確か北海道から沖縄まで無着陸で飛ぶことが目標、だったっけ。異界こっちでの飛行試験は、すでに何度か行われて、特に大きなトラブルもないと効いている。わざわざ、異界こちらで実験するのは、日本ではいろいろと安全規制の縛りがあって試験しにくいから、というのが本音らしいが、こちらも人や物を運ぶ足がどうしても必要なので許可した。当たり前だけど安全性には、十分に配慮してもらう約束で。


 今回の飛行は、蓬莱村からテシュバートを経由して六時間、お客さんと必要物資を運んで来てもらっている。あっと、お客さんを迎えに行かなきゃ。


 管制塔――といっても、四階建ての小さな塔だけど――を降りると、そこはもう滑走路の一部だ。すぐ目の前まで、ゆっくりと<スカイマンタ>の機体が近付いてくる。意外と静かだわ。ジェット機のような騒音はしないのね。


 機体前方の一部が開いて、そのままタラップになった。その先端が地面に付かないうちに、人影が飛び出してきた。私の後ろに付いていた、護衛役の自衛官が反応したのが気配で分かったけど、私は何でもないとジェスチャーで示した。飛び出していた人の正体が、すぐに分かったから。


「サクラさんっ! 魔物クリーチャーズ! 魔物はどこですかっ!」


 挨拶もすっ飛ばして、私に詰め寄ったのはジョイラント師ことダニー君だ。


「ダニー君、落ち着いて。君もお父さんになったんだから、ね」

「いやいやいやいや、サクラさん。我が王国では見たこともない、いや大陸では噂にすらなっていなかった新しい魔物クリーチャーズですよ? しかも飼い慣らされているって言うじゃないですか! これが興奮せずにはいられましょうかっ!」


 さすが、王国ではあまり重要視されていなかった生物学者を目指した男。その生き物に対する情熱は、結婚し子供が生まれても冷めていなかったのね。ある意味立派。社会人としてはどうかと思うけど。私も、詩や律ちゃんのことを聞きたかったのに、しょうがない。これは、先に知識欲を満足させてあげないと。


「ウミウシの魔物クリーチャーズは、<らいこう>で管理しているわ。今、案内させるから」


 近くにいた自衛隊員にお願いして、ダニー君を<らいこう>まで連れて行ってもらった。


「まったくしようがないな、ジョイラント師は」

「あ、ヴァレリーズさん」


 いつの間にか、ダニー君の後ろからヴァレリーズさんが現れた。


「久しいね、サクラ」

「え? そうでしたっけ?」

「……」


 前にヴァレリーズさんと会ったのは……あ、律ちゃんが生まれた時だ。確かに久しぶりかも。

 ダニー君が無名島ここに来ることは聞いていたけれど、ヴァレリーズさんも来るとは知らなかった。


「どうして、ここに?」

「我がヴェルセン王国としては、ファシャール帝国とガ=ダルガの問題だと認識しているのだが、陛下に対してエバ皇后から交渉に立ち会って欲しいと正式に依頼があってね」

「はい、帝国は王国に隠し事などしない、ということです。もちろん日本あなたがたに対してもね」

「あら、グードさんじゃないですか。では、ガ=ダルガとの賠償交渉はグードさんが?」


 ヴァレリーズさんの後ろからひょっこり現れたのは、ファシャール帝国の宰相、グードさんだった。テシュバートから乗って来たのね。宰相なのに、フットワーク軽い……宰相だからフットワークが軽いのか。


「坊ちゃま、いえ、サリフ皇帝陛下に交渉ごとをお任せしてしまうと、話がどこか別の方向に向かってしまいますからね」


 確かにそうね。グードさんの言葉に、思わず笑ってしまった。


 ヴァレリーズさんとグードさんが無名島を訪れた理由は、ここでガ=ダルガとの会談が行われることになったからだ。会談という名前だけれど、実質的にはガ=ダルガ側からの休戦申し込み、いや、降伏だな……に伴う賠償やら補償やら、今後の事に関しての話し合いだ。


「いや、それにしても、飛行機というものは、すごい。我が帝国でも購入は可能ですか?」


 飛行機ねぇ……実を言えば、政府の計画の中には王国と帝国を含む大陸各地を、航空路線で結ぶという案がある。<スカイマンタ>の試験は、それを見越した意味もあるのよね。でも、航空機というハードウェアだけじゃだめで、空港運営とかソフトウェアの部分も必要になる。仮に今、帝国(王国でも)に飛行機を渡しても、決していい事はないだろう。政府が怖れているのは、事故もそうだけれど軍事への転用だ。飛行技術を渡したら、蓬莱村が爆撃されたなんて洒落にもならない。


「これはまだ試験段階なんですよ。飛行機については、またいずれお話ししたいと思っています。まずは、身体をおやすめください。村瀬一佐、お願いします」

「はい。日本国海上自衛隊無名島駐留部隊村瀬一等海佐であります。グード宰相、無名島へようこそ。私がご案内します」


 グードさんは、村瀬さんに任せたわ。よろしくね。さてと。


「ガ=ダルガからの公式使節は、二日後にこちらへ到着する予定です。それまでどうしますか、ヴァレリーズさん?」

「ふむ。調整官として、サクラと情報の交換をしたいところだが……その、いくぶん疲れがでたようだ。休ませてもらえると助かる」


 あちゃー、ヴァレリーズさん、乗り物はまだ克服できていないのね。船はそれほどでもなかったのに、やっぱり飛行機は辛かったか。気が付かなくて、ごめんなさい。


「それでは、明日の朝にミーティングを行いましょう」


□□□


「サクラさん、すごい、すごいよ!」


 ヴァレリーズさんを宿泊施設に案内した後、指令室へ戻ろうとしたところをダニー君に捕まった。


「すごいって、何がすごいんですか?」

「決まっているじゃないですか、あの魔物クリーチャーズですよっ! ガ=ダルガ固有の魔物クリーチャーズで、個体間で精神感応のような能力があり、しかも、しかもですよ、彼らガ=ダルガはそれを飼い慣らしているというね、もう、常識がひっくりかえっちゃいますよ」


 飼い慣らす、というのはどうなんだろう? 状況的に家族まとめて捕獲して檻に閉じ込めて、無理矢理利用していた、って感じなんだけどなぁ。


「いやいや、他にも飼い慣らした魔物クリーチャーズがいるらしいです。一部は、家畜化しているとか」

「それは、初耳だわ。迫田さんが、変な動物に乗った話は聞いたけど」

「たぶん、それも魔物クリーチャーズですよ。サコタさん、乗ったんですか。いいなぁ。私も乗りたい、触りたい。近くで観察するだけでも……あ、それでですね、サクラさん。お願いがあります」


 ダニー君が急に真剣なまなざしで、私を見つめてきた。


「お願いって……なんですか?」

「ガ=ダルガの人たちから、魔物クリーチャーズを飼い慣らす方法を聞き出してください。それと、できれば私をガ=ダルガまで連れて行って欲しい」


 また無茶を。


「えーっとですね、まず飼い慣らす方法についてですが、本当にそんなものがあるなら、それとなく聞いてはみます。でも、期待しないでくださいね」


 うれしそうに、頷くダニー君。


「それから! あなたのガ=ダルガ行きですが、却下します」

「えっ! なんでですかっ!」


 はぁ~っと、大きなため息が出てしまった。


「あなた、ダニー君。既婚者で子供生まれたばかりでしょうが。可愛い子供を残して、未知の大陸行くんですか? 行ったら、一日二日じゃ終わらないでしょ? その間、ふたりはほったらかしですか? え? 子育ては、詩に丸投げですか? どうなんです?」

「あ……」


 自分が置かれた状況を、ようやく理解したようだ。


「いずれ、ガ=ダルガには本格的な調査が入ります。調べて欲しい事柄を、まとめて送ってもらえれば、調査項目に追加することは可能です。それに、子育てが落ち着いたら、改めて調査チーム、遠征チームに参加してもらうことも吝かではありません」


 時々、暴走しちゃうけど、生物学者としては優秀なのよね、ダニー君。鋭い観察眼はあるし、イラスト上手いし。

 でも、今は家族を第一に考えて欲しいな。


「そう……ですよね。あぁ、すいません。またやってしまった」


 落ち込むダニー君に、少し同情してしまう。


「会議が開催されている間は、ウミウシ魔物クリーチャーズでもなんでも自由に観察していいですから」

「えっ、いいんですか? やった。それじゃ、さっそく――」


 さっきまで落ち込んでいる風だったダニー君は、私の言葉にバッと顔を上げると、話の途中で走り出した。


 そして、少し離れたところで立ち止まり、こちらを振り返ると。


「いろいろ実験もしたいと思いまーす!」

「え? ちょっと、あの……」


 私の言葉も聞かず、ダニー君は素早い動きで走り去って行った。


 ……反省してないじゃん。


□□□


 二日後。ガ=ダルガからの使節団が無名島に到着した。使節団団長は、ガイ・アズ・ディナ。ディナ氏族の長にして、グ・エンのお父さんだ。


「おおぅ、サコタ! 待たせたな」

「ディナ氏族長、お待ちしておりました」

「何を堅苦しい。お前と儂の仲ではないか。で、グ・エンを妻にする決心は着いたか?」

「着いて早々、何を言っているんですか、父上っ!」


 ガイ・アズの出迎えは、面識のある迫田さんに任せたのだけれど、なぜかコントが始まった。


「ガイ・アズ。そのお話はお断りしたはずですよ」

「いや、ここにこうして実物を見れば、お前の気持ちも変わるかと」

「なにを勝手に決めているんですかっ」

「なにをって、娘の嫁入り先は父親が決めるものと決まっておるだろ」

「そんな風習、クソ食らえです!」


 いつまで続くんだ、これ?


「ディナ氏族長。親子喧嘩は後でしてください。あなたは講和の交渉に来たのでしょう?」


 私の目配せで気が付いたのか、迫田さんがようやくコントを終わらせた。


「みなさま、お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。こちらが、現在ガ=ダルガ議会の議長であり、ディナ氏族の氏族長であるガイ・アズ・ディナ氏です」

「ディナ氏族長、ガイ・アズ! 此度は、大変ご迷惑をおかけした。バウ氏族の暴走によるものだが、止められなかった我ら全員の責任だ。どのような罰でも受ける覚悟で罷り越した。よろしく頼む」


 深々と頭を下げる、ディナ氏族長。お辞儀の文化があるのね。


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