潜入、ガ=ダルガ


【迫田視点】


 以前、帝国に忍び込んだ時、もう二度とこんなことはすまいと誓ったのに、なぜだか自分からこんな役目を言い出してしまった。本当は阿佐見さんの傍にいて、彼女を助けることが私の役割なのだが……戦争を回避したいという彼女の願いを叶えるためには、ガ=ダルガのことをもっと知る必要がある。


「う~、たまらん。臭い。サコタ、換気はしているのか?」

「エアクリーナーが作動しています。でも、臭いまで完全に取り除くことはできませんよ。閉鎖空間なんです、我慢してください」


 潜水艇<しんりゅうⅡ>――それが、この閉鎖空間の名称だ。全長二十メートル足らず、正面から見ると真円を上下に少し潰したような楕円形をしている。防衛装備庁が誇る最新技術が詰め込まれた潜水艇だ。我々は、この潜水艇でガ=ダルガに向かっている途中だ。<らいめい>を出発して、二時間ほどが経過している。


「うぅ、あとどのくらい我慢すれば良いんだ?」

「まもなくです。もう少しだけ我慢してください、ゲラン」


 密閉空間に五人の男が詰め込まれていれば、私でも気になる程臭いが充満してくる。ましてやゲランは嗅覚が敏感な狼男。影響は少なくないだろう。


「ゴダを見習って、もう少し静かにしていてください」


 そういってゴダに視線を向けると、彼は石像のように固まっていた。どおりで静かなはずだ。海の男とはいえ、いや、海の男だからこそ、鉄で出来た船に乗り込み海の底に潜るなどということは、恐怖でしかないのだろう。少しでも訓練して、慣れさせておけば良かったか。


「サコタ、気にするな。ゲランはどこにいても不平不満を口にしなければ気が収まらないのだよ」

「ルースラン、てめぇ、潜水艇ここでたら只じゃ――」

「ゴタゴタは外でお願いします! 浮上まであと五分ですっ! 」


 潜航艇の操縦をしてくれている座間一等海曹が、船内に響き渡る声で宣言した。狭い空間内でのルースランとゲランのやりとりに、嫌気がさしたのだろう。二人のやりとりはお約束みたいなもので、私は慣れているが知らない人間からすればうるさいだけだろう。本当にこの二人がやりあったら、周囲は悲惨なことになるのだが。


 座間一曹の宣言通り、およそ五分後に<しんりゅうⅡ>が海上に出た。艇内と外気の圧力調整が完了したことを確認し、艇上部に配置されたハッチを開けて外に出る。サメの肌を参考にしたという潜水艇の外部は、ざらざらした感触はあるが足下が危うくなる印象はない。

 星明かりの中、数十メートル先に海岸線が見える。あれがガ=ダルガか。人家の灯りは見えない。波で揺れる船体の上を移動し、後方にある小さなデッキに配置された格納庫から、黒いパッケージを取り出す。私に続いて出てきたルースランに手伝ってもらって、パッケージを展開。ボンベを操作して空気を送ると、膨らんでゴムボートになった。ゲランは別の格納庫から電波中継ブイを取りだし、海に放り投げた。着水と同時にアンカーが降ろされると、ブイはこの付近で浮かび続けることになる。とんでもない速さの海流だったら流されるかも知れないが、ここら辺りの流れはそれほど強くはなさそうだ。

 ボートの準備ができたところで、ハッチから船内を覗くと、ゴダがまだ固まったままだった。


「ゴダ、もう着きましたよ。そこにある荷物を取ってください」

「!」


 私の声で意識を取り戻したゴダが、慌ててバックパックを差し出した。私は、ひょいと持ち上げて、ゲランにパス。それを繰り返して四人分の荷物を運び出した。私たちにとって、二~三十キロ程度の重さなど気にもならないが、ゴダも軽々と扱っていることに少々驚く。彼らの種族は、現代人類ホモ・サピエンスより基礎的な身体能力が高いと予想されていたが、何気ない動作の中でそれに気が付くとやはり驚いてしまう。グ・エンやゴダを見ている限り、知性は同程度なのだろうと想像できるが、サンプルが少なすぎて判断できない。


 バックパックをゴムボートに載せ、ゴダを引っ張り上げれば準備は完了だ。私は、船体の座間一曹に声を掛けた。


「では、行ってきます」

「できるだけ海岸線に近い場所を選びましたが、その分上陸は難しそうです。お気を付けて」

「ありがとう。では、十日後に」


 ハッチを閉め外から、ロックをかける。すでに、三人はゴムボートに乗ってオールの準備をしている。ゴムボートと<しんりゅうⅡ>につないでいたロープを外し、私もゴムボートに飛び乗った。


「さて、行きますか」

「おうよ」


 ゲランが張り切って、組み立てたオールを海面に突っ込んだ。あいかわらず、繊細さに欠ける。ルースランも呆れた口調で注意する。


「ゲラン、みなでタイミングを合わせるんだ。ひとりで漕いでも意味ないぞ」

「お、おぅ」

「あ、あの、ちょっと待ってもらえますか? 今、星を見て方角を決めますから」


 ゲランにゴダが声を掛けた。ゲランが不思議そうな顔をする。そういえばゴダの視力も、普通の人間と変わらないことを忘れていた。


「いや、その必要はないよ。私たちにはいるから」

「えっ? こんなに暗いのに?」


 正確に言えば、見えているのは私とルースランで、ゲランは臭いで探知しているはずだ。


「あちらに向かって、一緒に漕ぐ。いいかい? では、行こう」


 四つのオールが、暗い海面の水を後ろへと押し出すと、ゴムボートはゆっくりと海岸線に向かって移動を始めた。

地球の伝承では、吸血鬼は流れる水を渡れないという。誰が言ったのか。そもそも、地球の吸血鬼とホール2の吸血鬼では、まったく違う生き物だ……と思う。少なくとも私やルースランに、水を忌避する傾向はない。そもそも流れる水を渡れないなどという弱みがあったら、生物として生きにくいだろう。


 私たちを乗せたゴムボートが離れると、<しんりゅう>はゆっくりと海中へ戻っていった。直接目にしなくとも、音でそれと分かる。黙々とオールを漕いでいくと、五分ほどでゴムボートの底が海底の岩に擦れるのを感じた。無言のまま、ゴムボートを下りる。四人でゴムボートを引きながら、岩場を踏みしめ未知の島へと上陸する。


 上陸後、装備を確かめる。ゴダは、半袖のシャツに八分丈のズボン、海生生物の皮を鞣して作ったサンダル風の履き物。蒸気機関を用いている民族にしては素朴すぎる気もするが、ゴダが言うにはこれが彼らの一般的な服装なのだそうだ。あとは斜めに掛けた荷物袋。

それに対して我々は、黒いタクティカルギアにバックパック。ただのタクティカルギアではなく、<ホール2>経由の技術とアメリカ軍の技術を融合させたものに、御厨教授がカスタマイズを加えたものだ。

 ここまで乗って来たゴムボートは、空気を抜いてバックパックに収納する。圧縮空気のボンベを含めても数キロ増えるだけなので問題はない。問題は、ここがどこで、目的地までどのくらいの距離があるか、だ。こういった場合、やはり人工衛星やGPSの支援があるのとないのとでは、大きな違いがある。もっとも、私の本業は外交官であり、敵地潜入のような諜報員スパイもどきのミッションに慣れているわけではない。外務省入省当時に外交官心得として諜報に関する基礎知識を叩き込まれたことと、DIMOに出向していた時にほんの少し経験がある程度だ。今回の場合、現地人であるゴダに情報提供してもらうほかない。


「ゴダ、ここがどの辺りか分かりますか?」

「たぶん、グズンの岬あたりだと思う」


 ようやく暗闇に目がなれたらしいゴダが、周囲を見回して答える。私は、グ・エンとゴダの記憶を元に作成したガ=ダルガの地図を、頭の中に思い浮かべる。グズン岬は島の北東部だったはず。グ・エンの所属するディナ氏族は島のほぼ中央、バウ氏族の支配地域は島の西部だから、バウ氏族が軍港にしているという港を調査するには少し遠いか。先にディナ氏族に接触した方がいいだろう。


「ディナ氏族のまではどのくらいかかる?」


 “家”といっても私たちのイメージする家とは異なり、氏族全体で居住する場所という意味だ。規模としては村、あるいは小さな街というレベルらしい。


「歩いてなら2、3日かな? 途中で馬が調達できれば……」

「時間がもったいないな。ゲラン、お願いできますか?」

「お安い御用だ」


 私の問いかけに答えたゲランは、タクティカルギアのジャケットを脱ぎ、ボトムのサイドとフロントにある留め金を外した。そして、空を見上げる。


「月が出ていないな。そもそもこっちの月でも、力を貸してくれるかな?」


 二つの月がないこの夜にしたのは、月明かりで発見されることを防ぐためだ。


「よし! 少し離れてくれ」


 そう言って、ゲランは身体に力を込め始めた。ゲランの全身が、オーラのようなぼんやりとした光に包まれる。それを見ることができるのは、この場では私とルースランだけだが。


「ひっ!」


 ゴダが小さな悲鳴をあげる。

 目の前にいる男の身体が変化していくのだ、初めて見たら驚くのは当たり前だろう。事前に忠告しておくべきだった。

 わずかな時間で、変身を終えたゲランは、銀色狼の姿でこちらを見る。


『いいぞ。荷物と小僧を乗せろ』

「おっ! おい、ゲラン。狼になっても言葉が普通に分かるぞ」

『なにっ、本当か? サコタはどうだ?』

「えぇ、確かにいつものモゴモゴとした声じゃなく、きちんとした発音で聞こえますよ」


 これも、異界この世界の利点なのだろうか。いや、そんな考察は後で良い。今は氏族の家に向かうことを急がねば。


 私とルースランは、ゲランの荷物を彼のタクティカルギアに固定する。彼のギアは、変身することを考慮して、分離・伸縮することが可能なつくりになっている。


「さぁゴダ、君も乗って」

「え? あ、あぁ……」


 ゴダが恐る恐る狼に近寄り、その背中に乗る。私は、タクティカルギアの一部を握るよう、ゴダに伝える。


「しっかり握って、落ちないようにするんだ」

「わ、わかった」


 覚悟を決めたのか、ゴダがしっかりとゲランに捕まる。ゲランが少し身体を揺すっても、安定しているな。


「私は先行しよう」


 ルースランは蝙蝠に変身すると、闇夜の空に向かってはばたいていった。ふと、御厨教授の言葉が思い浮かぶ。


『君たち吸血鬼という存在は、2.5次元あるいはそれ以上の次元の存在なのかもしれない』


 彼女の仮説によれば、蝙蝠に変身したり霧化したりしている時、吸血鬼われわれの意識は別の次元に折りたたまれているのだという。


『俺たちも行こう』

「あぁ、そうだな」


 私はゴダを抱えるような形で、ゲランの背中に跨がる。と言っても、重さがほとんどない状態なのでゲランの負担にはならない。最近になって、ようやく人型を保ったまま飛行できるようになったのだ。先生ルースランに言わせると、まだまだ優雅さが足りないそうだが。


『では、行くぞ。おい、小僧、道案内は頼むぞ』


 そう言うやいなや、ゲランは走り出した。


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